山上憶良:好去好来の歌(遣唐使を送る)

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山上憶良の最晩年、おそらく死の前年と思われる天平五年(733)、遣唐使が難波の津から唐に向かって出発した。遣唐大使は多治比広成、皇親系に属する高官であった。その多治比広成が、出発を一月ほど先に控えたある日、憶良の屋敷をわざわざ訪ねてきた。かつて遣唐使の一員として唐に渡り、また、学識の深さでも聞こえていた憶良から、有益な情報を得ようとしたのだろう。

この頃憶良は、筑前国守の任を解かれ、大和なる自分の家に帰っていたものと思われる。すでに七十の境をとうに過ぎていた。この老人にとって、遣唐大使の訪問は、大いなる喜びであったに違いない。大使の訪問を受けた翌々日には、歌を作って大使に奏上したのである。

自身が唐に渡った際のことについては、望郷の気持ちを詠った短歌一首のほかには、記録らしいものが残されていない。だが、憶良は老年の今になって、自らが唐にあった頃のことを思い出すとともに、日本人を代表してこの大国に渡ったときの心がまえをも思い出した。

広成に贈った歌は、日本人としての誇りと使命感が、ほとばしるように歌われている。あたかも自らが赴くような心意気がある。

―好去好来の歌一首、また短歌
  神代より 言ひ伝て来(け)らく そらみつ 倭の国は
  皇神(すめかみ)の 厳(いつく)しき国 言霊(ことたま)の 幸(さき)はふ国と
  語り継ぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人もことごと
  目の前に 見たり知りたり 人さはに 満ちてはあれども
  高光る 日の朝廷(みかど) 神ながら 愛での盛りに
  天の下 奏(まを)したまひし 家の子と 選びたまひて
  大命(オホミコト) 戴き持ちて 唐(もろこし)の 遠き境に
  遣はされ 罷りいませ 海原の 辺(へ)にも沖にも
  神づまり 領(うしは)きいます 諸々の 大御神たち
  船の舳に 導きまをし 天地の 大御神たち
  倭の 大国御魂(みたま) 久かたの 天のみ空ゆ
  天翔(あまかけ)り 見渡したまひ 事終り 帰らむ日には
  又更に 大御神たち 船の舳に 御手うち掛けて
  墨縄を 延(は)へたるごとく 阿庭可遠志 値嘉(ちか)の崎より
  大伴の 御津の浜びに 直(ただ)泊(は)てに 御船は泊てむ
  障(つつ)みなく 幸くいまして 早帰りませ(894)
反歌
  大伴の御津の松原かき掃きて我立ち待たむ早帰りませ(895)
  難波津に御船泊てぬと聞こえ来ば紐解き放けて立ち走りせむ(896)
天平五年三月の一日 良宅対面、献ルハ三日ナリ。山上憶良 謹みて上る。
大唐大使の卿の記しつ。

これは、壮大な国ほめ歌であるとともに、神々の加護のもとに、大任を果たさんとする丈夫(マスラオ)に向けた、雄々しきエールの歌である。

憶良はまず、日本は「皇神の 厳しき国 言霊の 幸はふ国」であると高らかに歌う。その国から、唐に遣わされるのであるから、あなたがたには、この国の神々が庇護を垂れるであろう。

「神づまり 領きいます 諸々の 大御神たち 船の舳に 導きまをし 天地の 大御神たち 倭の 大国御魂 久かたの 天のみ空ゆ 天翔り 見渡したまひ」と、憶良は、神々が船の行く手を、高天原の高みから見守り給う様を歌ふ。

この時代、遣唐使はそれこそ命がけの船旅であり、戻らぬものも多かったのであるから、彼等に向かって神々の加護を云々することは、何にも増して安心の種になることだったろう。「倭の 大国御魂」とは、文脈上は日本の国ではなく、大和の土地の神をさすのであろうか。「倭の」と、わざわざ中国風の表現を用いているところが面白い。

しかして、「事終り 帰らむ日には 又更に 大御神たち 船の舳に 御手うち掛けて 墨縄を 延へたるごとく 阿庭可遠志 値嘉の崎より 大伴の 御津の浜びに 直泊てに 御船は泊てむ」と、帰路の航海でも、神々が見守ってくれるだろうと、説くことを忘れない。

全体が、神々への言及からなるこの歌は、遣唐使が帯びていた異国への訪問という大命を考えあわせても、いささか大袈裟だといえなくもないが、当の遣唐使たちにとっては、最高の餞だったのではないか。

この歌に、憶良が日本という国に対して抱いていた神話的なイメージを読み取るものは多い。


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