柿本人麻呂の死:人麻呂火葬説(万葉集を読む)

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柿本人麻呂の死については、わからぬことが多い。もっともおだやかな見方としては、任地の石見において、下級官僚のまま死んだのではないかとする斉藤茂吉の説がある。茂吉は、考証を進めた結果、続日本紀にある記録を元に、慶雲四年(707)、石見の国をおそった疫病の犠牲になったのではないかと推論した。人麻呂四十代半ばのことである。

これに対しては、人麻呂は高官であったが、罪を得て刑死したとする梅原猛の説や、持統天皇の死後数年たって後、天皇を追って殉死したとする伊藤博の説などがあり、人麻呂の死についてはいまだ定説を得ないのが現状である。

ここでは、万葉集にある人麻呂の死を巡る五首の歌を読み解きながら、素人なりの考察を述べてみようと思う。人麻呂には、そんな遊びを許す懐の大きさがあると考えるからである。

万葉集巻二挽歌の部に、人麻呂が自らの死を悲しんで詠んだという辞世の歌が載せられている。 

―柿本朝臣人麿が石見国に在りて死(みまか)らむとする時、自傷(かなし)みよめる歌一首
  鴨山の磐根し枕(ま)ける吾をかも知らにと妹が待ちつつあらむ

この歌を文字通りに読めば、人麻呂は石見の国の鴨山というところで死んだ。その死に際しては、最愛の妻は身近にはおらず、人麻呂はその妻を気遣いながら死んでいったということになるだろう。

鴨山がどこにあったかについては、さまざまな説がある。おそらく石見の国のどこかにあって、妻が住むところからは離れていたのであろう。だから、死に急迫された人麻呂は、妻を呼び寄せるに暇がなかったのかもしれない。その鴨山の岩を枕にして、自分は今死につつある。そんな自分を、妻は待ち続けていることだろうと気遣う。

これが歌から読み取れる人麻呂の死の事情である。

一方、人麻呂の死後妻が詠んだとされる歌が二首、万葉集に載せられている。

―柿本朝臣人麿が死(みまか)れる時、妻依羅娘子がよめる歌二首
  今日今日と吾(あ)が待つ君は石川の貝に交りてありといはずやも
  直(ただ)に逢はば逢ひもかねてむ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ

まず、この二首にある石川という地名に留意したい。先の人麻呂自身の歌では、鴨山の岩を枕に死ぬとあるのに、これらの歌では、人麻呂の遺骸は石川という川の中に、貝に混じってあるといっている。この食い違いはどういうことか。

人麻呂は死後妻のもとに運ばれ、妻によって葬儀に付された後、石川というところに埋葬されたのではいか、どうもそう考えるのが自然のようである。

だが、人麻呂が石川の貝に混じってあるというのは、どういうことか。梅原猛は、人麻呂は刑を受けて水死したのだとする説の根拠として、この部分を取り上げているが、筆者にはそうは思えない。

人麻呂は、妻たちによって火葬され、その遺骨が石川の水の流れの中に撒かれたのではないか。そう考えるとすっきりと腑に落ちる。大胆な推論にうつるだろうが、ありえないことではない。

人麻呂には、彼の時代に始められた火葬を詠んだ歌がある。また、同居の妻を失った際、自分自身妻の遺体を火葬に付したと思える節がある。人麻呂が敬愛した持統天皇も火葬に付された。こんなところから、自分の遺体も火葬されることを望み、それを生前妻に伝えていたというのも、ありうることなのである。

「吾が待つ君は石川の貝に交りてありといはずやも」とは、貝に混じって水の中にある骨のイメージを言葉に表したものと考えられなくもない。むしろ火葬されてバラバラになった骨とでも考えなければ、死者の遺骸が貝に混じって横たわっているというイメージは伝わってこない。

また、二首目には、「石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ」とある。

この雲とはなにをさしているのだろうか。まず思い浮かぶのは霊魂である。古代人の意識の中では、人の霊魂は死後肉体を遊離してさまようものとしてイメージされていた。そのイメージが雲と結びついてもおかしくはない。

しかし雲はまた煙を連想させるものでもある。その煙とは、ここでは火葬の煙とも考えられる。妻は夫の遺骸を火葬にした際、そこから立ち上る煙を見て、それを夫の霊魂がさまよい出たものとしてイメージしたのかもしれない。

人麻呂自身の歌にも「土形娘子を泊瀬の山に火葬せる時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌」として、「こもりくの泊瀬の山の山の際にいさよふ雲は妹にかもあらむ」というのがある。

ここでいう雲が、亡き人の霊魂をさしていたことは文脈のうえからほぼ間違いのないところである。これと同じ意味において、人麻呂の妻も、石川に立つ雲に人麻呂の霊魂を重ね合わせていたのではないか。

これらの事情からして、妻が詠んだこれらの歌は、夫の火葬を詠んだものだと、筆者は考えるのである。

以上三首に続けて、別人が詠んだ歌が載せられている。

丹比真人が柿本朝臣人麿が意(こころ)に擬(なそら)へて報(こた)ふる歌
  荒波に寄せ来る玉を枕に置き吾(あれ)ここにありと誰か告げけむ
或る本(まき)の歌に曰く
  天ざかる夷の荒野に君を置きて思ひつつあれば生けるともなし

これらの歌は、人麻呂の心に成り代わって、後世の誰かが歌ったものであろうが、人麻呂の死を知る手がかりにはなりえていない。一つ目の歌は、人麻呂の「屍を哀れんで歌った歌」になぞらえて作ったものと思われる。二つ目にいたっては、あまり感興を誘うこともないものである。


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    このページは、が2007年2月 1日 19:31に書いたブログ記事です。

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