大伴家持:鷹狩と鵜飼(万葉集を読む)

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大伴家持は花鳥風月を歌に詠む風流の人であったとともに、鷹狩や鵜飼を楽しむ行動の人でもあった。特に鷹狩を好んだらしく、鷹を詠んだ長歌を三首も作っている。ここでは、そのうち最初に作られたものを取り上げてみよう。

越中国守時代、日頃自慢にしていた鷹を、鷹匠の老人が誤って逃がしてしまった。家持にとってはよほどショックだったのだろう。鷹を失った悲嘆を面々とつづり、夢の中でまで鷹の居場所を捜し求める。そんな気持ちの盛られたこの作品は、あの「海ゆかば」の長歌とともに、家持の二大長編である。

―放逸せる鷹を思ひ、夢に見て感悦びよめる歌一首、また短歌

  大王(おほきみ)の 遠の朝廷(みかど)と 
  御雪降る 越と名に負へる 天ざかる 夷にしあれば 
  山高み 川透白(とほしろ)し 野を広み 草こそ茂き 
  鮎走る 夏の盛りと 島つ鳥 鵜養(うかひ)が伴は 
  行く川の 清き瀬ごとに 篝さし なづさひ上る 
  露霜の 秋に至れば 野も多(さは)に 鳥多集(すだ)けりと
  大夫(ますらを)の 友誘(いざな)ひて 鷹はしも あまたあれども 
  矢形尾の 吾が大黒に 大黒ハ蒼鷹ノ名ナリ 白塗の 鈴取り付けて 
  朝猟に 五百(いほ)つ鳥立て 夕猟に 千鳥踏み立て 
  追ふ毎に 免(ゆる)すことなく 手放(たばなれ)も 還(をち)も可易き
  これをおきて または在り難し さ並べる 鷹は無けむと 
  心には 思ひ誇りて 笑まひつつ 渡る間に 

  狂(たぶ)れたる 醜(しこ)つ翁の 言だにも 我には告げず 
  との曇り 雨の降る日を 鳥猟(とがり)すと 名のみを告(の)りて 
  三島野を 背向(そがひ)に見つつ 二上(ふたがみ)の 山飛び越えて 
  雲隠り 翔り去(い)にきと 帰り来て 咳(しはぶ)れ告ぐれ 
  招(を)くよしの そこに無ければ 言ふすべの たどきを知らに 
  心には 火さへ燃えつつ 思ひ恋ひ 息吐(づ)きあまり 
  けだしくも 逢ふことありやと 足引の 彼面此面(をてもこのも)に 
  鳥網(となみ)張り 守部を据ゑて ちはやぶる 神の社(やしろ)に 
  照る鏡 倭文(しづ)に取り添へ 乞ひ祈みて 吾(あ)が待つ時に 

  少女(をとめ)らが 夢に告ぐらく 汝が恋ふる その秀(ほ)つ鷹は
  松田江の 浜ゆき暮らし つなし捕る 氷見(ひみ)の江過ぎて 
  多古の島 飛び徘徊(たもとほ)り 葦鴨の 多集(すだ)く舊江(ふるえ)に
  一昨日(をとつひ)も 昨日もありつ 近くあらば いま二日だみ 
  遠くあらば 七日(なぬか)のうちは 過ぎめやも 来(き)なむ我が背子
  ねもころに な恋ひそよとそ 夢に告げつる(4011)
短歌
  矢形尾の鷹を手に据ゑ三島野に猟らぬ日まねく月そ経にける(4012)
  二上の彼面此面に網さして吾(あ)が待つ鷹を夢(いめ)に告げつも(4013)
  松反りしひにてあれかもさ山田の翁がその日に求めあはずけむ(4014)
  心には緩(ゆる)ぶことなく須加の山すかなくのみや恋ひわたりなむ(4015)
右、射水郡古江の村にて蒼鷹を取獲たり。形容美麗(うるは)しくて、雉を鷙(と)ること群に秀れたり。時に養吏(たかかひ)山田史君麿、調試節を失ひ、野猟候に乖く。風に搏る翅、高く翔り雲に匿る。腐鼠の餌、呼び留むるに験靡し。是に羅網を張り設けて非常を窺ひ、神祇に奉幣して虞らざるを恃む。粤(ここ)に夢裏に娘子有り。喩して曰く、使君(きみ)苦念を作して空に精神を費すこと勿れ。逸放せる彼の鷹、獲り得むこと未幾(ちかけむ)。須叟ありて覚寤して、懐に悦びて、因(かれ)恨みを却す歌をよみ、式て感信を旌す。守大伴宿禰家持。九月二十六日ニ作メリ。

長歌は、大きく分けて三つの部分からなる。(ここでは段落で区切った)前段では、家持が日ごろ鷹狩や鵜飼を愛し、丈夫の友を誘っては山野に鷹狩を楽しむさまが語られる。詞書の中に形容美麗の蒼鷹とあるから、形に優れ、また能力も高かったのであろう。

その鷹を、狂れたる醜つ翁が自分に告げず勝手に持ち出して、逃がしてしまったと、鷹を失った残念な思いが中段で綴られる。家持は手を尽くして、鷹を取り戻そうとするが、如何ともしがたいうちにも、鷹を愛惜する気持ちはいよいよ勝るばかり。

そんな折、家持は夢の中で少女に会い、汝が求める鷹は葦鴨の多集く舊江にいると告げられる。喜び勇んだ家持の姿が目に浮かぶようであるが、家持はそこで筆を納めている。

この最後の段は、家持の想像からなるフィクションだろう。風流人らしい趣向だといえる。

四首の短歌はそれぞれに鷹を失った無念を歌ったものだが、長歌にあるものを繰り返しているばかりで、あまり新味はない。

次に、家持の鵜飼の歌を取り上げよう。白き大鷹を詠む歌の次に載せられているもので、越中時代の後半、旧暦の三月上旬に作られたものである。

―鵜潜(うつか)ふ歌一首、また短歌
  あら玉の 年ゆきかはり 
  春されば 花咲きにほふ あしひきの 山下響(とよ)み 
  落ち激(たぎ)ち 流る辟田(さきた)の 川の瀬に 鮎子さ走り 
  島つ鳥 鵜養(うかひ)伴なへ 篝(かがり)さし なづさひ行けば 
  吾妹子(わぎもこ)が 形見がてらと 紅の 八入に染めて 
  おこせたる 衣の裾も 徹りて濡れぬ(4156)
反歌
  紅の衣にほはし辟田川絶ゆることなく吾等(あれ)かへり見む(4157)
  毎年(としのは)に鮎し走らば辟田川鵜八つ潜(かづ)けて川瀬尋ねむ(4158)

春の気分が全編にあふれた歌である。家持の頃は早春から鵜飼を行ったのであろうか。花咲き、山下響き、鮎のさ走る川瀬を鵜とともに進んでいくさまが、目の前に彷彿とするような言葉の流れである。

「吾妹子が 形見がてらと 紅の 八入に染めて おこせたる 衣の裾も 徹りて濡れぬ」とは、いかにも家持らしい気分が表れている。この年の春、妻の坂上大嬢が越中まで夫を訪ねてきているから、この日、妻はまだ館にいて、夫のために衣を染めてくれたのかもしれぬ。

その衣が、川の瀬に浸って濡れることよ、と家持は歌う。鵜飼の楽しさと妻とともに生きることの喜びを、あわせて表現したのだろう。


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    このページは、が2007年4月 5日 20:30に書いたブログ記事です。

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