死者の遺骸が森を育てる?:火葬の是非

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死者の火葬は、ヨーロッパ文化圏では長らくタブーに近い扱いを受けてきた。しかし近年に至って、プロテスタント文化圏を中心に火葬を受け入れる雰囲気が広がり、急速に普及しつつある。

2001年のセンサスによれば、イギリスの火葬率は70.7パーセント、ドイツやデンマークでも50パーセントを超えるという。1990年頃までは、これらの諸国において、火葬はまだ少数派だったのであるから、そのスピードの速さには驚くほかはない。

もっとも、火葬国家といわれる日本でも、爆発的に普及するのは戦後もかなり経ってからのことであった。墓地の取得難と火葬炉の普及が拍車をかけたのである。以上のヨーロッパ諸国においても、似たような事情があったのだろうか。

ヨーロッパ以外に、プロテスタントが優勢のオーストラリアにおいても、火葬はめざましく普及しているという。2001年には、実に54パーセントに達したそうだ。

だが、キリスト教文化圏にあって、火葬はまだ全面的に受容されているわけではないらしい。火葬が急速に普及しつつある現状に警鐘を鳴らし、土葬に帰れと主張するものもいるそうだ。

オーストラリアのある学者は、ユニークな根拠を以て反火葬キャンペーンを展開している。その言い分をAFPが伝えているので、紹介しておきたい。

メルボルン大学のロジャー・ショート教授は、火葬によって大量の二酸化炭素が排出されると主張する。教授はそれが、地球温暖化に手を貸しているという。

教授の計算によれば一人の人間を焼くことによって50キログラム(?)の二酸化炭素が排出される。このほか火葬に要する燃料や、棺の木材から排出される二酸化炭素を加えると、火葬は環境にとってマイナスなのだそうだ。教授によれば、死者の火葬は環境を汚染する大きな要因になっているというのだ。

教授が火葬に替わって奨励するのは、従来型の土葬ではなく、遺体を段ボールに包んで木の根元に埋めるというものだ。こうすれば、解体された遺骸からにじみ出た人体の要素は、木にとっては養分となり、長い期間をかけて森を養うことにもなろうというのである。

教授がいうように、うまく事が運ぶかどうかは、確定的とはいいがたいようだ。

火葬や土葬が環境に与える影響については、議論がある。火葬擁護論者からいえば、火葬ほど衛生的な処理はない。また、土葬のように人体に含まれる汚染要因を土壌や地下水に侵出させる恐れもない。教授がいうように、火葬のプロセスで二酸化炭素が発生することは確かだが、トータルに考えればプラスがマイナスを補って余りあるということだろう。

それでもショート教授は、人間が死んでもなお自然に恵みを与え、地球に貢献し続けるというアイディアが捨てきれないようだ。科学的な根拠を云々するより、人々の感情に訴えかけているフシもみられる。

火葬の是非は脇へ置いて、このような議論がなされることの背景には、オーストラリアに残されている広大な自然があるのだろう。


関連リンク: 日々雑感

  • 日本の埋葬文化(埋葬の諸形態と歴史的変遷)

  • 日本における火葬の始まり(柿本人麻呂の挽歌)

  • 子規の埋葬談義(死後をめぐって)

  • 日本人の死生観と他界観
  • 地球温暖化のツケ:グリーンランド溶解の恐怖

  • 食料が燃料に化ける:地球温暖化対策の罠

  • バイオ燃料に未来を託せるか





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    柿本人麻呂の死について調べようとしたら偶然見つけた「壷齋閑話」には驚きました。博学多識にです。私がローカル新聞に随想を書いていますが壷齋が気に入りました。六中観の壷中天有だと気がつきました。早速、お気に入りに取り込みました。日本語の「ん」の解釈も納得。これからどんどんご活躍ください。勉強させていただきます。

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