チョコレートといえば、大方の日本人にとっては、年に一度のバレンタインデーを彩る季節的な食べ物だろう。つい最近まで、子どもはいざ知らず、大人が年中チョコレートを食うことはなかった。それを裏付けるように、チョコレート業界の売り上げは、バレンタインデーに依存することが大きかったのだ。
ところが、ヨーロッパでは今、ちょっとしたチョコレート・フィーヴァーが起こっているらしい。それもお菓子としてのチョコレートではなく、食卓を彩るグルメとしてである。昨年のグルメ・チョコレートの売り上げは記録的であったといい、2008年には16億ドルに達するだろうと予測されている。
こうしたチョコレート・ブームの火付け役となったのはショコラティエ Chocolatier と呼ばれる職人たちである。先日ヨーロッパのショコラティエを特集した番組をNHKが流していたが、彼らは今や単なるお菓子の製造業者ではなく、高級料理のシェフ並みである。念にも念を入れて、チョコレートを芸術品の領域まで高め、それをコンクールで競い合う。優勝した業者には、世界中から注文が殺到するらしい。その中に日本人の姿もあって、国際市場で競争している様子が印象的に映ったものだ。
ショコラティエの拠点として、今注目を集めているのは、イタリアのトリノだ。ここには、ゴビーノ “Gobino” やアメデイ “Amedei” といったシェフの工房があり、世界最高級のチョコレートを生産している。
彼らは防腐剤や人口顔料などを用いないことは無論、材料に最大の注意を払っている。中には、南米に専用のカカオ畑を持っている業者もある。“よいワインは優れたぶどうの木から”を地でいったやり方である。
トリノは固形のチョコレートを銀紙で包み、酸化防止を成功させた最初の街である。チョコレートの歴史の中でも、エポックを画したという自負がある。
ヨーロッパ人がチョコレートを食用にするのは、16世紀以降だ。スペイン人がアメリカ大陸からカカオを持ちこみ、液状の形にして飲んでいた。いまでいうココアの始まりである。スペインからフランスへ、更にサヴォイ公のトリノへと伝わった。固形のチョコレートが登場するのは19世紀のなかば、イギリスにおいてである。19世紀末には、スイスでミルクチョコレートが作られ、今日のチョコレートの原型となった。
こうしてみると、チョコレートを現在のような形で食べるようになったのは、そう旧いことではない。この短い時間の中でも、チョコレートを単に子供向けのお菓子に終わらせるのではなく、食卓への適応の可能性についても、シェフたちの研究が積み重ねられてきたのである。
いずれ日本でも、高級料理の食卓に、グルメ・チョコレートの欠かせない日が来るかもしれない。
〔参考〕Italians seek to seduce gourmet chocolate funs. By Mathias Wildt Reuter
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