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狂言「蝸牛」:誤解の喜劇


狂言「蝸牛」は理屈抜きに楽しめる作品である。山伏がシテを勤めるので演目上は「山伏物」に分類されるが、太郎冠者のとぼけぶりとあいまって、初めて作品としての面白さが発揮される。筋はごく単純なものだが、当意即妙のやり取りと、山伏の踊りがなんとも言えず滑稽であり、観客を引き込んでやまない。狂言の中でも、祝祭性に富んだ作品であるといえる。

太郎冠者は、主人から、伯父の病気を治す薬にと、蝸牛を取りにいくことを命じられるが、蝸牛がどんなものか見たことがない。一応主人からは大まかな特徴を教わったものの、それがどんなものか最後までわからない。

一方、シテの山伏は藪の中で寝ているところを太郎冠者と出会い、太郎冠者が蝸牛を求めていながら実物を知らぬことをいいことに、自分がその蝸牛であるといって太郎冠者をだます。だまされていることを知らぬ太郎冠者は、山伏からさんざんからかわれ、挙句の果ては主人ともども山伏の踊りに乗せられて乱痴気騒ぎとなる。

筋からいえば荒唐無稽ながら、演者のやりとりが観客を爆笑に誘い込む。

舞台にはまず、シテの山伏が登場する。(以下、テクストは「山本東本」)

山伏「三つの峯入り、駈出(かけで)なる、三つの峯入り、駈出なる、行者ぞ尊(たっと)かりける
(詞)これは出羽の羽黒山より出でたる、駈出の山伏です。このたび大峯葛城を仕舞い、唯今本国へまかりくだる。まず、そろりそろりと参ろう。
(道行)いや、まことに、行は萬行あり とは申せども、とりわき山伏の行は、野に伏し、山に伏し、岩木を枕とし、難行苦行を致す。(常座で)その奇特(きどく)には、(上を見て)空飛ぶ鳥をも、目(ま)の前へ祈り落すが、(落ちる鳥を視線で追ってから胸を張る)山伏の行力です。
これはいかなこと。けさ、宿を早々立ったれば、殊の外眠うなった。何と致そう…いや、これに大きな藪がある。まず、入ってみょう。
(舞台中央後方)エイエイヤットナ。 (狭い隙間を通る所作で中央へ) これは打ち開いた、大きな藪じゃ。どの辺りがよかろうぞ。いや、ここもとがよかろう。さらば休もう。(地謡座の前で)エイエイヤットナ。(寝る)くたびれた、くたびれた。」

山伏は、エイエイヤットナと大きな声で気合をかけると、藪の中に入って寝る振りをする。

そのあと主人と太郎冠者が登場し、主人は太郎冠者に蝸牛を取ってまいれと命令する。

主「( 主と太郎冠者登場。太郎冠者は後ろに座る。主は常座で)これはこの辺りに住居(すまい)致す者で御座る。それがし、果報めでたい祖父(おおじ)を一人(いちにん)持って御座るが、これへ蝸牛(かたつむり)を進上いたせば、なおなお、御寿命御長遠(ちょうおん)なと申すによって、太郎冠者を呼び出だし、蝸牛を取りに使わそうと存ずる。やいやい太郎冠者、あるかやい。(脇座へ移動)」
太郎冠者「ハアー。」
主「いたか。」
太郎冠者「お前におりまする。」
主「念無(ねんの)う早かった。汝を呼び出(い)だすは別なることでもない。そちも知るとおり、こちの祖父御(おおじご)ほど御果報といい御寿命といいめでたいお方はあるまい。」
太郎冠者「仰せらるるとおり、めでたいお方はございりますまい。」
主「それよそれよ。それにつき、蝸牛を進上申せば、いよいよ御寿命御長遠なというによって、汝は大儀ながら今から蝸牛を取ってこい。」
太郎冠者「畏まっては、ござりまするが、蝸牛と申すものは、どのようなもので、どこもとにいるものやら存じませぬによって、これはなにとぞ御免なされて下されい。」
主「知らずは教えてやろう。まず蝸牛とうものは、土から生じて藪に住むものじゃ。」
太郎冠者「ははあ、藪に住むものでござるか。」
主「頭(かしら)が黒うて、腰に貝を付けている」
太郎冠者「腰に貝がござるか。」
主「なかなか。その上、折々は角を出すものじゃ。」
太郎冠者「ははあ、角も出しまするか。」
主「劫﨟(こうりょう)を経たは人ほどもあるというによって、随分念を入れて、大きなを取ってこい。」
太郎冠者「何がさて、畏まって御座る。」
主「早う行け。」
太郎冠者「心得ました。」
主「エーイ。」
太郎冠者「ハアー」(主は狂言座に座る)

蝸牛がどのようなものか良くわからぬまま、太郎冠者は蝸牛を求めて、山伏の寝ている藪へとやって来る。

太郎冠者「(正面を向く) さてもさても、こちの頼うだ人のような、ものを急に仰せ付けられるるお方は御座らぬ。今から見たこともない蝸牛を取ってこいとのおことじゃ。さりながら参らずはなるまい。まず急いで参ろう(歩き出す) いやまことに、こう参っても、蝸牛があればようござるが、藪に住むものと仰せられたによって、参ったならば、無いことは御座るまい(常座で止まり) いや、来るほどに大きな藪がある。どれどれ、まず入ってみょう。(舞台中央後方で)エイエイヤットナ。 (狭い隙間を通る所作で中央へ)ええ、これはいかなこと、おびただしい蜘蛛の巣じゃ。ははあ、これは打ち開いた、大きな藪じゃ。さて、仰せ付けられた蝸牛は、どこもとにいることじゃ知らぬ。少しもよいのに致したいものじゃが、(地謡座の方を見て)いや、あれに頭の黒い者が寝ている。もし、蝸牛でないか知らぬ。何にもせよ、まず起(おこ)いてみょう。
(山伏を起こす) いや申し申し、起きて下されい、起きて下されい。」
山伏「ああ、よう寝た。誰(たれ)じゃ。」
太郎冠者「私(わたくし)で御座る。」
山伏「何、私。」
太郎冠者「なかなか。」
山伏「私と言うは、誰じゃ。」
太郎冠者「ちと、用のことが御座る。何とぞ起きて下されい。」
山伏「(立ち)えい、ここな者は。何として、みどもを起(おこ)いたぞ。」

藪から現れた山伏を見て、太郎冠者はこれが蝸牛ではないかと勘違いする。主人の言ったとおり、藪に住み、頭が黒かったからである。

太郎冠者「(常座で)されば、そのことで御座る。ちかごろ聊爾(りょうじ)な申しごとながらもしこなたは蝸牛では御座らぬか。」
山伏「なんじゃ蝸牛ではないか。」
太郎冠者「なかなか。」
山伏「それは、何ゆえ蝸牛と思うぞ。」
太郎冠者「さればそのことで御座る。蝸牛は藪に住んで、頭の黒いものじゃと申しまするが、こなたの頭が黒う御座るによって、蝸牛では御座らぬかと申す ことでござる。」
山伏「なんじゃ、頭が黒いによって蝸牛ではないかと言うか。」
太郎冠者「さようで御座る。」
山伏「ちと、それに待て。」
太郎冠者「心得ました。」

太郎冠者が余りに愚鈍なので、山伏はここでひとつ太郎冠者の言うとおり蝸牛になしすまし、からかってやろうと思う。

山伏「(正面を向き笑う) さてもさても、世には興(きょう)がった者もあればあるものじゃ。みどもがこれに寝ていたれば、頭が黒いによって蝸牛かと申す。さだめてきゃつは愚鈍な者であろう。さんざんになぶってやろうと存ずる。(太郎 冠者に向き直り)やいやい、そちは何のために蝸牛を尋ぬるぞ。」
太郎冠者「さればそのことで御座る。私の頼うだ者の祖父御(おおじご)は大果報なお方で御座るが、それへ蝸牛を進上致せばいよいよ御寿命御長遠なと申しまするによって、それゆえ尋ぬることで御座る」
山伏「子細を聞けばもっともじゃ。さてさてそちは仕合わせな者じゃ。汝が尋ぬる蝸牛はみどもじゃ。」
太郎冠者「ははあ、すれば、こなたが蝸牛でござるか。」
山伏「なかなか。」
太郎冠者「それは私の仕合わせで御座る。それにつき、ちとお尋ねが御座る。蝸牛は腰に貝を付けていると申すが、その貝が御座るか。」
山伏「何じゃ、腰に貝がある。」
太郎冠者「なかなか。」
山伏「今、見せてやろう。(背中をみせ)そりゃ、そりゃ、そりゃ、そりゃ。」
太郎冠者「ははあ、まことにみごとな貝で御座る。」
山伏「みごとな貝であろう。」
太郎冠者「さて、また折々は角(つの)を出すと申すが、何とぞ角も見せて下されい。」
山伏「角か。」
太郎冠者「なかなか。」
山伏「角、角、それそれ。(後ろ向きに膝をつき、結袈裟(ゆいげさ)を持ち上げ)そりゃ、そりゃ、そりゃ、そりゃ。何と、角が見えたか。」
太郎冠者「ははあ、まことにみごとな角で御座る。」
山伏「みごとであろうがの。」

太郎冠者が、他にも蝸牛の特徴があるか見せてくれというと、山伏はさまざまなポーズをとりながら、自分こそ蝸牛そのものであると、いよいよ太郎冠者を信じ込ませる。そして信じきった太郎冠者は、是非一緒に主人のもとへ言ってくれと頼むのである。

太郎冠者「さてもさても、頼うだ人の申すとおり、劫﨟(こうりょう)を経たは人ほどもあると申しましたが、疑いもない、望むところの蝸牛で御座る。何とぞ私の方へおいでなされて下さい。」
山伏「それは行きたいものなれども、この間(あいだ)は、方々(ほうぼう)の約束があるによって、急には、え行かれまい。」
太郎冠者「ちかごろごもっともでは御座れども、私の、これでお目にかかりま したも多生の御縁で御座る。その上、主命(しゅうめい)と申し、私の仕合わせで御座る。外々(ほかほか)はともかくも、何とぞ私の方へおいでなされて下さりょうならば、かたじけのう御座る。」
山伏「いや、それほどに言うならば外々はあとにして、まず汝が方へ行き、そちが頼うだ者の祖父から寿命長遠にないてやろうぞ。」
太郎冠者「それはかたじけのう御座る。早う来て下されい。」

いよいよ一緒に行く段になると、山伏は興晴らしに囃子物でいこうといい、『でんでんむしむし、でんでんむしむし』と囃したてながら踊りだす。

山伏「さりながら、ただは行かれぬ。囃子物(はやしもの)で行こうぞ。」
太郎冠者「囃子物は私の得物(えもの)で御座る。それは何と申して囃しまするぞ。」
山伏「別(べち)にむつかしいことでもない。そちは『雨も風も吹かぬに、出な、かま打ち割ろう』と言うて囃せ。みどもは『でんでんむしむし、でんでんむしむし』と言うて浮きに浮いて行こう。」
太郎冠者「これは面白そうに御座る。それならば囃しましょう。」
山伏「早う囃せ、早う囃せ。」
太郎冠者「畏(かしこま)って御座る。(扇で左手を打ちながら)はあ雨も風も吹かぬに、出な、かま打ち割ろう、出な、かま打ち割ろう(常座で小さく廻る)」
山伏「でんでんむしむし、でんでんむしむし(舞台いっぱいに廻る)」

二人の囃したてながら歩き回るこの部分は、この作品のハイライトとも言うべきところである。そこへ主人が現れ、囃している二人を見咎める。

主「(囃しの途中で立ち、一の松で)最前太郎冠者を、藪へ蝸牛を取りにつかわいてござるが、あまり遅う御座るによって、迎いに参ろうと存ずる。(歩き出す) 何をしていることじゃ知らぬ… さればこそ、あれに何やらしている。やいやい太郎冠者、汝はそれに何をしているぞ。」
太郎冠者「(舞台口へ連れて来られて)いや、ただいま囃子物で蝸牛を連れて参るところで御座る。」
主「なんじゃ蝸牛を連れて来る。」
太郎冠者「なかなか。」
主「どれどれ…やあ、これはいかなこと。やいやい、あれは山伏ではないか。」
山伏「やいやい、囃せ囃せ。」
太郎冠者「(山伏に)心得ました。(常座で)雨も風も吹かぬに、出な、かま打ち割ろう、出な、かま打ち割ろう(山伏は『でんでんむしむし』と舞う)」
主「これはいかなこと。やいやい太郎冠者、あれは山伏ではないか。 (舞台口へ連れてくる)」
太郎冠者「やあ、山伏で御座るか。」
主「なかなか。」
太郎冠者「やいおのれは山伏ではないか」
山伏「何、山伏。」
太郎冠者「なかなか。」
山伏「山伏ということがあるものか。これはこの藪にを劫﨟(こうりょう)を経たでんでんむしむし、でんでんむしむし。」
太郎冠者「 雨も風も吹かぬに、出な、かま打ち割ろう、出な、かま打ち割ろう。」

主人は山伏にだまされていたことを太郎冠者に納得させると、二人で山伏を懲らしめにかかるが、なおも囃し立てる山伏に釣られて三人一緒に踊りだす始末。最後には、山伏を先頭に踊りながら退場していく。

主「さてもさても、むさとしたやつじゃ。やいやい、やい太郎冠者、汝はぬかれおった。あれは山伏じゃと言うに。」
太郎冠者「すれば真実山伏で御座るか。」
主「なかなか。早う打擲(ちょうちゃく)せい打擲せい。」
太郎冠者「心得ました。(常座で)やい、おのれはみどもをたらしおったな、さんざんに。」
主・太郎冠者「打擲(ちょうちゃく)してくりょう。」
山伏「これはいかなこと。そちたちは、そのように言うてもな、でんでんむしむし、でんでんむしむし。」
(主と太郎冠者は共に囃し出す。山伏を先頭に、囃しながら退場する)

筆者がこの作品を見たのは数年前。山本東次郎がシテを勤める舞台であった。荒唐無稽ながら、観客まで踊りたくならせるような演出に、狂言というものの面白さを感じ取り、心から笑えたものであった。


関連リンク: 能と狂言

  • 狂言の諸流派と狂言台本

  • 狂言の歴史






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