陶淵明:庚子歳五月中從都還阻風于規林

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陶淵明が劉牢之に仕えたとする説には異論があるが、35歳頃に、桓玄に仕えた事については、歴史的な事実として、ほぼ異論がない。

先稿で触れた「始作鎮軍參軍經曲阿作」にある鎮軍參軍とは、鎮軍将軍の幕僚という意味である。鎮軍參軍なる名称は、東晋軍の最高司令官に用いていた名称であり、劉牢之も、また桓玄を倒した劉裕もこの名を名乗った。陶淵明は劉裕にも仕えているが、詩にわざわざ「始めて」とあるのは、劉牢之に仕えたときのことをいうのではないか、これが陶淵明が劉牢之に仕えたとする説の主な根拠である。

これに対しては、実証的な材料が乏しいことや、陶淵明が35歳で桓玄に仕えた事実とのかかわりが不自然だという理由から、疑問を投げるものもいる。
 
筆者は考証学者ではないので、付け加えることは何もないが、とりあえず話を面白くするために、劉牢之に仕えたとする説にたって先稿を論じた。

陶淵明は35歳のときに桓玄に仕えたらしいが、その翌年36歳の年に、「庚子歳五月中從都還阻風于規林」(庚子の歳五月中、都より還るとき風に規林に阻まる)という詩を作っている。庚子とあるところから、これが隆安四年(400)陶淵明36歳の作だということがわかるのである。

陶淵明は何かの任務を帯びて都建康に遣わされたのであろう。この頃孫恩の乱はいまだ平定されておらず、桓玄はその討伐に加わりたい旨、何度も上奏しているから、或は陶淵明はその上奏の文書を届けにいったのかもしれない。

陶淵明は、任務を終えて帰る途中、規林というところで、強風のために足止めになった。その折に詠んだのが、以下の二首である。


庚子歳五月中從都還阻風于規林 其一

  行行循歸路  行き行きて歸路に循ひ
  計日望舊居  日を計へて舊居を望む
  一欣侍温顏  一つには温顏に侍するを欣び
  再喜見友于  再つには友于に見ゆるを喜ぶ
  鼓棹路崎曲  棹を鼓すれば路は崎曲し
  指景限西隅  景を指させば西隅に限らる
  江山豈不險  江山 豈に險しからざらんや
  歸子念前途  歸子 前途を念ふ
  凱風負我心  凱風 我心に負き
  戢枻守窮湖  枻を戢めて窮湖を守る
  高莽眇無界  高莽 眇として界なく
  夏木獨森疎  夏木 獨り森疎たり
  誰言客舟遠  誰か言ふ 客舟遠しと
  近瞻百里餘  近く瞻る 百里餘
  延目識南嶺  目を延べて南嶺を識り
  空歎將焉如  空しく歎ず 將た焉如(いかん)せんと

わかりやすい詩であるから、解説の要はないと思う。任務を終えて帰路に従いもうすぐ故郷に着くというときになって、風のために足止めをくった無念さが歌われている。その無念さは「凱風負我心 戢枻守窮湖」の部分によく現れている。


「庚子歳五月中從都還阻風于規林」其二

  自古歎行役  古へより行役を歎ずるも
  我今始知之  我 今始めて之を知れり
  山川一何曠  山川 一に何ぞ曠たる
  巽坎難與期  巽坎 與に期し難し
  崩浪聒天響  崩浪は天に聒しく響き
  長風無息時  長風は息む時なし
  久游戀所生  久しく游して所生を戀ふるに
  如何淹在茲  如何ぞ淹りて茲に在る
  靜念園林好  靜かに念ふ園林の好きを
  人間良可辭  人間 良に辭すべし
  當年詎有幾  當年 詎ぞ幾ばくも有らんや
  縱心復何疑  心を縱にして復た何をか疑はん

行役は役所づとめの任務、詩経に行役を嘆く詩があるから、陶淵明はそれを念頭に置きつつ、今の自分の身を嘆いているのである。巽坎は易の卦の名称で、巽は風、坎は風を現す。所生は父母、人間は世間、当年は人生の盛りの時期。

一篇の意は、こんな任務はもう沢山、世間のわずらわしさから開放されて、静かな生活を送ろう、人生の盛りは長くは続かない、自分の思い通りに生きることが肝要だ、というものだ。


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