陶淵明の詩「遊斜川」は、序に「辛丑正月」とあるところから、辛丑の年即ち隆安五年(401)陶淵明37歳のときの作である。斜川とは鄱陽湖沿いの地で、当時陶淵明が住んでいた尋陽とは対岸にあたっていた。
この頃の陶淵明は、桓玄に仕えていたのであるから、この年の正月には休暇をとっていたのだろうか。だが詩の本文には、そのうち休暇をとって帰郷しようともある。あるいは、任務の合間にこの地に立ち寄ったのかもしれない。
辛丑正月五日、天氣澄和、風物閑美。
與二三鄰曲、同遊斜川。 臨長流、望曾城。
魴鯉躍鱗於將夕、水鴎乘和以翻飛。
彼南阜者、名實舊矣。不復乃爲嗟歎。
若夫曾城、傍無依接、獨秀中皋。
遙想靈山、有愛嘉名。欣對不足、率爾賦詩。
悲日月之遂往、悼吾年之不留。各疏年紀郷里、以紀其時日。
辛丑正月五日、天氣澄み和はらかに、風物閑かにして美はし。
二三の鄰曲と、ともに斜川に遊ぶ。長流に臨み、曾城を望む。
魴鯉、鱗を將に夕ならんとするに躍らし、水鴎和なるに乘じて以て翻飛す。
彼の南阜は、名實に舊し。復た乃ち爲に嗟歎せず。
夫の曾城の若きは、傍に依接するもの無く、獨り中皋に秀づ。
遙かに靈山を想ひて、嘉名を愛するあり。
欣び對して足らず、率として爾に詩を賦す。
日月之遂に往くを悲しみ、吾が年之留まらざるを悼む。
各おの年紀郷里を疏し、以て其の時日を紀す。
この詩は叙景詩として評価が高い。水流渓谷の風景を長閑に歌ったものだが、同時に、清遊の中に雑事を没却し、己の意のままに生きようとする姿勢が、後世の詩人たちに大きなインスピレーションを与えた。
開歳倏五日 開歳 倏(たちま)ち五日
吾生行歸休 吾が生 行くゆくは歸休せん
念之動中懷 之れを念へば 中懷を動かし
及辰爲茲游 辰(とき)に及んて 茲の游びを爲す
氣和天惟澄 氣 和やかにして 天 惟れ澄み
班坐依遠流 班坐して遠流に依る
弱湍馳文魴 弱湍に文魴馳せ
閒谷矯鳴鴎 閒谷に鳴鴎矯がる
迥澤散游目 迥澤に游目を散じ
緬然睇曾丘 緬然として曾丘を睇(なが)む
雖微九重秀 九重の秀 微(な)きと雖も
顧瞻無匹儔 顧み瞻げば 匹儔無し。
年が明けてはや五日、近いうちに休暇をとって帰郷しよう。そう思うと心がうきうきし、日吉日を選んでこの地に遊んだ。穏やかな天気に誘われ、仲良く舟に並んで座ると、緩やかな瀬には模様のついた魴が馳せ、谷あいには鴎が鳴きながら舞い上がる。
広々とした湖水に目を遊ばせ、はるか遠くに曾丘を眺めると、九重にそびえ重なる偉容とはいえないが、あたりに匹敵する眺めはない。
提壺接賓侶 壺を提げて賓侶に接し
引滿更獻酬 滿を引きて更に獻酬す
未知從今去 未だ知らず 今從りのち
當復如此不 當に復た此くの如くなるべきやいなや
中觴縱遙情 中觴 遙情を縱にし
忘彼千載憂 彼の千載の憂ひを忘れん
且極今朝樂 且し今朝の樂を極めよ
明日非所求 明日は求むる所に非ず
酒壺を提げて同舟の人に勧め、なみなみとついでは、また更に献杯す。これから先、こんなすばらしい思いを再びすることができるだろうか。少なくとも飲んでいる間は、俗世間を超越し、故人が言う「千載の憂ひ」を忘れよう。
しばしの間、この楽しみに耽ろう、明日のことはどうでもよい。
ここでいう「千載憂」は、古詩十九首中の一句「生年百に滿たざるに常に千歲の憂ひを懷く」からとった。短い人生を、何故そんなに齷齪と生きるのかとの、自省の感を表現した、中国人にとっては永遠の響きを持つ言葉なのである。
関連リンク: 漢詩と中国文化
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