陶淵明:癸卯歳始春懷古田舍

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癸卯歳は元興二年(403)陶淵明39歳の年、母の喪に服してから3年目にあたる。前年東晋の政権を崩壊せしめて実権を握った桓玄は、この年の十二月東晋の安帝を廃して自ら皇帝を名乗り、国号を楚と称した。このような激動の時期にあって、陶淵明は田園に閉居することで、身辺に災いの及ぶのを避けることが出来た。

この年の春、陶淵明は田園の生活を歌った詩二篇を作った。「懷古田舍」とは田舎の家にあって、遥かな古人を思うという意味である。

陶淵明は、世の中が目まぐるしく動き、その中に血なまぐさい風が吹くのを横目にしながら、古人に思いをいたしていたのであろう。


癸卯歳始春懷古田舍其一

  在昔聞南畝  在昔 南畝を聞くも
  當年竟未踐  當年 竟に未だ踐まず
  屡空既有人  屡しば空しきは既に人あり
  春興豈自免   春興 豈に自ら免れんや
  夙晨裝吾駕  夙晨 吾が駕を裝ひ
  啓塗情已緬  塗を啓けば情已に緬かなり
  鳥弄歡新節  鳥弄 新節を歡び
  冷風送餘善   冷風 餘善を送る
  寒竹被荒蹊  寒竹 荒蹊を被ひ
  地爲罕人遠   地は人の罕なるが爲に遠し
  是以植杖翁  是を以て植杖翁
  悠然不復返  悠然として復た返らず
  即理愧通識  理に即すれば通識に愧じるも
  所保詎乃淺  保つ所詎ぞ乃ち淺からんや

昔、南に畑を開いたという話は聞いたことがあるが、まだ自ら実践しないでいた。貧乏暮らしには顔回のような先人がいることだし、春を迎えて何もしないわけにはいかない。

朝早くおきて籠を背負い、畑道を行くとなんとも気持ちが良い。鳥は春を喜び、そよ風がさわやかだ。荒れ道には竹が生え、誰も通らない道は遥かに続く。

昔の植杖翁も、このわたしのように籠を背負い、悠然と暮らして二度と俗世間には戻らなかった。彼らに比べれば恥じるばかりのわたしだが、志は負けないつもりだ。

植杖翁は論語微子編に登場する老隠者。「子路從而後、遇丈人以杖荷篠子路問曰、子見夫子乎、丈人曰、四體不勤、五穀不分、孰爲夫子植其杖而芸 子路拱而立」

なお、蜀山人の号南畝は、この詩からとったものだろう。


癸卯歳始春懷古田舍其二

  先師有遺訓  先師 遺訓あり
  憂道不憂貧  道を憂へて貧を憂へずと
  瞻望邈難逮  瞻望するも邈かにして逮びがたく
  轉欲心長勤   轉た長に勤むることを心せんと欲す
  秉耒歡時務  耒を秉りて時務を歡び
  解顏勸農人   顏を解ばせて農人に勸む
  平疇交遠風  平疇に遠風交かひ
  良苗亦懷新   良苗 亦た新を懷く
  雖未量歳功  未だ歳功を量らずと雖も
  即事多所欣  即事 欣ぶ所多し
  耕種有時息  耕種は時有りて息ふも
  行者無問津   行く者は津を問ふ無し
  日入相與歸  日入りて相與に歸り
  壺漿勞近鄰  壺漿もて近鄰を勞ふ
  長吟掩柴門  長吟して柴門を掩ざし
  聊爲隴畝民  聊か隴畝の民と爲らん

孔子にこんな言葉がある「道を憂えても貧乏を苦にするな」。わたしのようなものにはいくら望んでも及びがたいが、せめて畑仕事に精を出そう。

耒をとって農作業にいそしみ、顔をほころばせて農夫たちを励ます。畑にはそよ風が吹きかい、麦の穂には新しい芽が出る。

まだ収穫には遠いが、眼前に広がる景色は喜ばしいものだ。作業の合間に一休みをするとき、津を問うものの現れないのが少し残念だ。

日が暮れると農夫たちとともに家に帰り、ともに酒を酌み交わす。扉を閉めて家の中で長吟するのは楽しい、こうやってしばらくは百姓の生活を楽しもう。

「行者無問津」は論語微子編に出てくる長沮桀溺をふまえたもの。

「長沮桀溺而耕、孔子過之使子路問津焉、長沮曰、夫執輿者爲誰、子路曰爲孔丘、曰是魯孔丘與、曰是也、曰是知津矣、問於桀溺、桀溺曰、子爲誰曰、爲仲由、是魯孔丘之徒與、對曰然、曰滔滔者天下皆是也、而誰以易之且而與其從辟人之士也、豈若從辟世之士哉、而不輟、子路行以告夫子憮然曰、鳥獸不可與同郡吾非斯人之徒與而誰與、」


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