ロンドン旅行をした人には、グリニッジの船着場付近に係留された帆船カティ・サーク号を見た方も多いことだろう。海洋国家イギリスの全盛時代を象徴するものとして、今も英国民に親しまれている船だ。ウィスキーの銘柄にもなっている。その貴重な歴史的遺産が炎上したというニュースが人々を驚かせた。
ガーディアンの伝えるところによれば、放火の可能性もあるらしい。出火の直後現場から立ち去るシルバー色の車が監視カメラに映っていたというが、今のところ関連は明らかでないという。
当所、船体は全焼に近いダメージを受けたと伝えられたが、詳細な検分の結果半焼にとどまったことがわかったらしい。修復も不可能ではないとのことだ。この船については、既に修復計画が動き始めており、それにもとづいて甲板やマストの大部分が取り外され別のところに保管されているので、残存する船体と併せて、もとの姿にもどすことも夢ではないと、関係者は語っているという。
カティ・サーク号は、イギリス帆船の最後の世代を飾るものとして、1869年クライド川のダンバートン・ドックで建造された。ティークリッパーと呼ばれる、茶の輸送を目的とした高速帆船である。船長64m、デッキ上の高さ46.3mの美しい姿をしている。また、船首の先端にはシュミーズをまとい、馬の尻尾を左手につかんだ婦人の像が取り付けられている。船の名の由来となったカティ・サークの像である。
カティサークとは短いシュミーズという意味だそうだが、それをまとった魔女の話がロバート・バーンズの詩に出て来る。魔女が馬に乗って逃げる男のあとを追いかけ、馬の尻尾をつかんだという話だが、その詩のイメージを船のモチーフにしたのである。
ご案内の通り、西洋の帆船はみな、船首に像を取り付けている。魔よけのためだと思われるが、それがまた船の名ともなっているのである。
カティ・サーク号は、1870年2月に処女航海を行った。喜望峰回りで上海まで3ヶ月半の旅であった。高速とはいえ帆船が可能なぎりぎりの能力だったようだ。合わせて8度の航海をしたが、蒸気船の時代を迎えるに当たって現役を退いた。
第2次大戦中は海軍の訓練船として用いられた。現在地に移されたのは1951年のことである。現在はカティ・サーク財団が管理している。
財団では、焼け残った船体の部分を核にして、なんとか元の姿に復元したいと考えているそうだ。
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