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庚戌歳九月中於西田穫早稻:陶淵明収穫を歌う


庚戌歳は義煕六年(410)、陶淵明46歳。田舎に閑居して、農耕生活を営み、長沮傑溺の古の聖人に思いをはせる。淵明の理想とする生き方を歌った詩である。

秋の九月に早稻を収穫するとあるのは、二毛作の稲をいうのであろうか。


「庚戌歳九月中於西田穫早稻」

  人生歸有道  人生 有道に歸するも
  衣食固其端  衣食 固より其の端なり
  孰是都不營  孰か是れ都て營まずして
  而以求自安  而も以て自ら安んずるを求めんや
  開春理常業  開春 常業を理むれば
  歳功聊可觀  歳功 聊か觀るべし
  晨出肆微勤  晨に出でて微勤を肆くし
  日入負耒還  日入りて耒を負ひて還る

人の一生は道徳的に完成されたことが目標だが、まずは衣食が足りていなければならぬ、誰が一体働くこともなく、安定した生活を送り得ようか(有道は道徳的に完成されたこと、孰是は、誰が一体の意)

春の初めに農業を始めれば、秋には収穫が得られものだ、朝早くから農作業にいそしみ、日没後耒を担いで家に帰る

  山中饒霜露  山中 霜露饒く
  風氣亦先寒  風氣も亦先づ寒し
  田家豈不苦  田家 豈に苦しからざらんや
  弗獲辭此難  此の難を辭するを獲ず
  四體誠乃疲  四體 誠に乃ち疲るるも
  庶無異患干  庶くは異患の干す無からんことを
  盥濯息簷下  盥濯して簷下に息ひ
  斗酒散襟顏  斗酒もて襟顏を散ず
  遙遙沮溺心  遙遙たる沮溺の心
  千載乃相關  千載 乃ち相關はる
  但願常如此  但だ願ふ 常に此の如きを
  躬耕非所歎  躬耕は歎ずる所に非ず

山中には霜露が多く、風も身にしみて寒い、田舎の生活は辛いものだが、この苦難は避けることができない

手足は疲れるが、害虫の被害にあわないよう気をつけるばかりだ、盥で手足を洗い、酒でも飲んで気晴らしをしよう(異患はイナゴの害や風水害のこと)

古の隠者長沮傑溺の心は、千年を隔てて私の心に通ずるものがある、いつまでもこうした心でいたいものだ、躬耕は嘆くべきものとは思わぬ


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