陶淵明:於王撫軍坐送客(王弘との交友)

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義煕十四年(418)陶淵明が54歳の年、王弘が江州刺史として赴任してきた。王弘の王氏は山東朗邪の出身であり、当時の晋にあっては最高の家柄を誇っていた。その王弘がすでに隠士として名をあげつつあった陶淵明を尊重し、何かと淵明の世話を焼いた。陶淵明は著作佐朗に推挙されて断っているが、これも王弘の推薦によったものだといわれている。

江州刺史といえば、地方の最高実力者。その宴に招かれているのであるから、陶淵明は隠者とはいっても、世間から完全に孤立していたわけではなかったようだ。


於王撫軍坐送客

  秋日淒且厲  秋日 淒として且つ厲なり
  百卉具已腓  百卉 具に已に腓(や)む
  爰以履霜節  爰に霜を履むの節を以て
  登高餞將歸  高きに登りて將に歸らんとするに餞す
  寒氣冒山澤  寒氣 山澤を冒し
  游雲倏無依  游雲 倏(たちま)ち依る無し
  洲渚四緬邈  洲渚 四もに緬邈(めんばく)たり
  風水互乖違  風水 互ひに乖違す

秋は冷ややかで厳しく、諸々の草はすでに黄ばんでしまった、霜を踏む季節に臨み、丘に登って旅立たんとする人を送ることとなった

寒気が山沢に立ち込め、浮き雲はちぎれてすぐに形を変える、川の中州の渚はぼんやりと霞み、風の向きと水の流れは互いに食い違う

(百卉は諸々の草、腓むは黄ばむ、登高は丘に登ること、秋は重陽の節句を中心に丘に登る風習があった、洲渚は川の中州の渚、緬邈は遠くにぼんやりと霞むさま、乖違は食い違うこと)


  瞻夕欣良讌  夕を瞻て良讌を欣ぶも
  離言聿云悲  離言 聿(ここ)に云(ここ)に悲し
  晨鳥暮來還  晨鳥 暮來還り
  懸車斂餘暉  懸車 餘暉を斂む
  逝止判殊路  逝くと止まると殊路を判(わか)つ
  旋駕悵遲遲  駕を旋らせば悵として遲遲たり
  目送回舟遠  目送す 回舟の遠きを
  情隨萬化移  情は萬化に隨ひて移る

夕景色を見ながら宴をなすのは楽しいが、別れのことばは筆にしがたく悲しい、朝飛び立った鳥が暮れ近くに帰ってきた、今まさに夕日が残照を納めようとしている

旅立つあなたと止まる私、馬車に乗って去ろうとしても心が沈んで足取りも遅くなるのだ、あなたの船が遠ざかっていくのを目で追う、だがこの別れの悲しみも万物の変化とともに消えていくだろう

(讌は宴に同じ、聿云は助字、懸車は夕日、淮南子に出典がある、殊路は分かれ道、遲遲は足取りの遅いさま、萬化は万物の変化)


関連リンク: 漢詩と中国文化陶淵明

  • 酬劉柴桑:陶淵明

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