和賀山塊のブナの巨樹と白神山地の思い出

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先日NHKテレビが奥羽山地の一角に広がる和賀山塊の自然を紹介していた。日本一といわれるブナの巨樹や、ミズナラやクリの巨木など、日本の自然を彩る豊かな山林の映像を目にして、筆者は数年前に訪れた白神山地のブナの森を思い出し、懐かしい気分になった。

和賀山塊は岩手、秋田の両県が接する県境の丁度中間に位置する。そこにはブナ、ミズナラ、クリ、シナノキといった、かつて日本の山野を覆っていた広葉樹林が破壊せられずに残っていて、旧きよき時代の日本の自然を味わせてくれる。深い緑に包まれ、人の手が入らぬところから、緑の魔境とも呼ばれる。

この深い森の中に、日本一の巨樹といわれるブナの木が立っている。番組はこの巨樹の一年の営みを紹介していた。

この巨樹は幹回り8.6メートル、樹齢は600年近くにもなろうかという。ブナやミズナラなど膨大な量の実をつける樹木は、果樹と同様に消耗が激しく、そう長くは生きない。せいぜい200年くらいの寿命があるに過ぎないというから、この木は例外的に長寿ということになる。

長い風雪に耐えてきたその姿は、痛々しさを感じさせる。

まず地上から一本立ちしてはおらず、途中から細い幹が二股に分かれている。これは一度上部が欠けた後に、新たな枝が生じて、幹となったのだろうということを推測させる。幹の肌は滑らかさを欠き、いたるところ瘤に覆われている。表面に瑕がつき、そこから進入する細菌と戦った跡という。物言わぬものながら、全身創痍といった有様は、老いた戦士を思わせる。

樹木にとって、生きるうえで最も大事なものは光と水である。それらは葉によって受け止められる。この巨樹の場合20万枚の葉を繁らせ、日の光を浴びてそこから栄養のための光合成を行うとともに、一枚一枚が雨のしずくを受け止め、それを根元に向けて送る。葉が集めたしずくは枝を経て幹へと集まり、最後には太い流れとなって落ちていく。

森の中では、光と水を求めて木々同士の戦いが繰り広げられている。より高くそびえ、より広く葉を繁らせたものが、勝ち残るのである。

秋になると、樹木は葉を落とす。これは自然に起きるのではなく、枝と葉の間に膜をつくり、水や養分の流れを遮断することによって葉を枯らせるのである。葉は積雪の前にすべてを落とさねばならない。雪が葉に積もると、雪の重さに枝が耐え得ないからだ。

老樹の死は静かにやってくる。太い幹回りを誇る木でも、生きている部分は表層に近いごく一部である。その生きている部分が病気や欠損によって次第に死滅し、ついには全体の死に至る。死んだブナには月夜茸が生え、数百年かけて解体していく。解体された樹木は、次の世代のための栄養となるのである。

ところで、筆者が白神山地を訪れたのは数年前の夏の終わりのことであった。ここはブナの巨大な純正林があることで知られている。世界遺産に登録されたこともあって、単独で入山するのは難しいと聞き、森林ガイド付きのツアーに参加して登山した。

筆者らのとったコースは、秋田県の十二湖側から白神岳に上るというものだった。東京から新幹線で秋田に至り、そこから能代線で十二湖に向かった。一日目は十二湖を散策し、サンタランドというところに宿を取った。湖は一つ一つ異なった色を呈し、深く静かに澄んでいた。

二日目に上った白神岳は、海岸線に近い。海上からだと水上に直接そそり立っているように見える。ここにはブナのほかにも、ミズナラや他の種類の広葉樹もあった。

この年は夏の間に三度も台風に見舞われた。台風は大量の汐を巻き上げて白神岳に吹き付ける。その汐のためにブナの葉はことごとく痛んでいた。例年だと紅葉には早い時期にかかわらず、全山が紅葉したように赤茶けて見え、しかもところどころ落葉もしていた。本来なら、緑の葉に覆われてうっそうとした雰囲気であるべきところが、里山を歩いているような明るさを感じさせたのであった。

頂上に立つとさすがに気持ちがよい。この付近が世界遺産地区の境界になっているようで、海側は歩くことが出来るが、反対側に広がる遺産地区には原則立ち入ることが出来ない。通りがかったカメラマンにきくと、もう一月近くもここにいて、シャッターチャンスを狙っているのだという。

三日目に上ったマテ山周辺には、ブナの純正林があった。巨木ばかりが、一定の間隔を置いて立ち並んでいる。それらの木を下から見上げると、伸び上がる幹の先に枝葉が広がり、まるで緑の円蓋のように見えた。

森林ガイドがいうには、日本の山林には生活史というべきものがあって、比較若い時期の雑木林や、広葉樹林の青年期を経て、最終の段階ではブナの林に落ち着くのだそうだ。だから我々が今いるところは、日本の山林の究極的な姿なのだという。

ブナの巨木を見上げたその先から伝わってきたものは、森閑とした悠久の時の雰囲気だっただろうか、それとも子どもの頃に体験したことの、数々の思い出のかけらだっただろうか。筆者はそのときに覚えた何ともいえない感動を、今も忘れることができないのだ。


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