李陵:蘇武に与える詩

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李陵は蘇武に遅れること1年後、匈奴との戦いに向かった。李陵を遣わした武帝は始め、李広利の輜重部隊として使うことを考えていたが、これに対し李陵自ら前線での戦闘を希望し、歩兵5000を授けられて北へと向かったのであった。

李陵の父李広は前代の将軍であった。対匈奴戦において、失策した部下をかばって自決した情けある将軍であった。またその祖先は秦の名称李信である。李陵は部門の子としての誇りを持っていた。

こんな李陵について、武帝は心中面白くないことがあった。というのも、愛する李夫人の兄李広利に手柄を立てさせたいと思い、その援護部隊として李陵に働いてもらいたいと考えていたのに、李陵はあえて戦いたいと申し出たからである。武帝は騎馬を与える余裕はないといったが、それでも李陵は引き下がらず、わずか5000の歩兵を以て匈奴の大群に立ち向かったのである。

その挙句は敗北であった。李陵の部隊は浚稽山で単于の本隊30000人と遭遇し、8日間にわたって果敢に戦ったが、兵の大半を失い匈奴に降った。

このことが武帝のもとに報じられると、臣下たちは李陵を非難した。その中でただひとり李陵を擁護したのが司馬遷である。司馬遷は李陵とは付き合いがなかったが、その勇気には感じ入るところがあったらしい。わずか5000の歩兵を以て匈奴の本体と果敢に戦ったのに、李広利のほうは別働隊と戦って大方の兵を失い、命からがら逃げてきたと、言外に匂わせたのである。このことが武帝の逆鱗に触れ、司馬遷は腐刑という不名誉な刑に処せられることとなった。

だがことの真相を知った武帝は、李陵を救出するための部隊を差し向ける。その部隊はなんらの成果も挙げずに戻ってきたが、李陵が匈奴に寝返って匈奴のために働いているという報告をした。匈奴の捕虜となったものの話を、誤り伝えたのである。この報告に惑わされた武帝は、李陵の妻子はじめ一族をことごとく誅殺してしまった。

妻子らが殺されたことを知った李陵は絶望して、根拠のないうわさを流した捕虜李緒を殺した。しかしてその後は再び漢の地を踏むことはなかった。

李陵は、同じく匈奴の捕虜となっていた蘇武とは心を許しあえる友として付き合っていたらしい。その蘇武が許されて漢に戻る日が来たとき、李陵は三首の詩を作って蘇武に与えた。

いづれも友情にあふれた作品であり、また彼らの境遇を踏まえて読むと鬼気せまる情念がこもっている。ここでは、第一首目を紹介しよう。


與蘇武詩(其一)          

  良時不再至  良時 再びは至らず
  離別在須臾  離別 須臾にあり
  屏營衢路側  衢路の側に屏營し
  執手野踟蹰  手を執りて野に踟蹰す
  仰視浮雲馳  仰いで浮雲の馳するを視るに
  奄忽互相踰  奄忽として互ひに相ひ踰ゆ
  風波一失所  風波に一たび所を失へば
  各在天一隅  各おの天の一隅に在り
  長當從此別  長く當に此より別るべし
  且復立斯須  且く復た立ちて斯須す
  欲因晨風發  晨風の發するに因って
  送子以賤躯  子を送るに賤躯を以てせんと欲す

分かれたら再開の日は再び来ないだろうと思われるのに、別れのときはたちまち迫ってくる、分かれ道に立ってはためらい、互いに手を取り合ってはためらいあう、(須臾:間もなく、一瞬のうちに、屏營:ためらう、衢路:分かれ道、踟蹰:ためらう)

空を仰ぎ浮雲を見れば、前後してたちまちに遠ざかっていく、風に吹かれて飛び去ってしまえば、二度と出会うこともない、(奄忽:たちまち、)

我々もそれと同じくここから分かれねばならぬ、別れを惜しむあまり立ちつくすばかり、せめて吹く風に乗って、あなたを何処までも送っていきたいものだ、(斯須:しばしの間)


次に紹介する「別歌」は、李陵晩年の歌とされる。別れが誰に向けてなされたものか、それは文意のなかから汲み取ってもらいたい。

別歌        
                                  
  徑萬里兮度沙漠  萬里を徑りて 沙漠を度り
  爲君將兮奮匈奴  君が將と爲りて 匈奴に奮ふ
  路窮絶兮矢刃摧  路は窮り絶えて 矢刃摧け
  士衆滅兮名已落  士衆滅びて 名已に落つ
  老母已死       老母已に死せり 
  雖欲報恩將安歸  恩に報ひんと欲すると雖も 將た安くにか歸せん

万里に遠征して砂漠を越え、天子の将軍となって匈奴と戦ってきた、だが、戦いに利あらず、道はきわまり、矢も刀も砕け、兵士たちはみな滅びて、我が名声も地に落ちた、

老いた母ももはや死に、その恩に報いたいと思っても、どこに身を寄せたらよいのか、それさえわからぬ有様なのだ

(李陵を描いた日本の小説に、中島敦の「李陵」がある。)


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    このページは、が2007年8月14日 19:40に書いたブログ記事です。

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