班倢妤は日本人にとっては、能「班女」の典拠となった女性の名として知られてきた。能においては、絶えず扇をつま繰る主人公の姿が、班倢妤を思い起こさせるというので、班女というあだ名を頂戴することになっている。本物の班女のほうも、自らを扇に見立てた怨みの詩を残しているのである。
班倢妤は前漢の末期、成帝に愛された女官であった。聡明な人だったらしいが、女色におぼれやすい成帝が他の女性にうつつを抜かすようになると、災いの及ぶのを恐れて身を引き、皇太后に仕えながらさびしい晩年を送ったとされる。
怨歌行と題する詩は、己を扇に見立てながら、夏の間は微風を発して喜ばれても、やがて秋風とともに棄捐されるように、自分も捨てられる身であったことを嘆いたものである。
怨歌行
新裂斉紈素 新に斉の紈素を裂けば
鮮潔如霜雪 鮮潔にして 霜雪の如し
裁為合歓扇 裁ちて合歓の扇となせば
團團似名月 團團として 名月に似たり
出入君懐袖 君が懐袖に出入し
動揺微風発 動揺して 微風発す
常恐秋節至 常に恐る 秋節の至りて
涼風奪炎熱 涼風 炎熱を奪ひ
棄捐篋笥中 篋笥の中に棄捐せられ
恩情中道絶 恩情 中道に絶えんことを
新しく斉の白絹を裂くと、鮮やかな色は雪のようです、それを裁ってあわせ張りの扇を作ったところ、丸々として満月のように見えます
扇は天子様の懐に出入りし、動かされるたびに微風を発します、
でも、やがて秋が来て、涼しい風が炎熱を吹き去り、この扇も必要が無くなって箱の中に捨て置かれてしまうように、私への天子様の愛が消えていくのが辛いのです
成帝の愛を奪い、それを独占しようとした女性に趙飛燕とその妹趙合徳がある。趙飛燕は長安の歌姫で、その身が燕のように軽やかだったことから飛燕とあだ名された。ついには成帝の皇后となるのであるが、妹とともに自分らの寵愛を持続させるために、成帝が他の女性に産ませた子をすべて毒殺したという伝説がある。中国の歴史上でも名うての悪女として有名である。
その趙飛燕も、短いながら詩を残している。
帰風送遠操
涼風起兮天落霜 涼風起って 天は霜を落す
懐君子兮渺難望 君子を懐へども 渺として望み難し
感予心兮多慷慨 予が心を感ぜしめ 慷慨多からしむ
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