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ヘラクレイトス:万物流転の思想


ヘラクレイトスはイオニアのギリシャ諸都市の一つエペソスの人で、紀元前500年頃に活躍したし思想家である。イオニアの人ではあるが、ミレトス派の説とは異なった独特の思想を作り上げた。「万物の根源は火である」というのが彼の思想の核心であり、また「万物は絶え間なく流転する」とも説いた。

ヘラクレイトスの言葉は非常に難解で晦渋なものとして知られているが、その人柄も学説を裏返したように気難しかった。彼のあだなは「暗い人」あるいは「謎をかける人」といったのである。

もともとエペソスの王家の末裔だったとも言われる。気位の高さはそんな生まれから来ているのかもしれない。ピタゴラスやクセノパネスを痛烈にこき下ろし、あのホメロスでさえ尊敬しようとはしなかった。

ヘラクレイトスの気難しさを物語るエピソードが残されている。エペソスの市民が彼に法律の制定を依頼したとき、次のように言って断ったというのだ。

「あほうども、おまえたちと一緒に市政をみるより、子どもたちと遊んだほうがよっぽどましじゃ。」

また、エペソスがヘラクレイトスの友人ヘルモドロスを追放した時、彼は次のようにいったと伝えられている。

「エペソスの人間なんて、もう成年に達しているものは、みんな首をくくって死んだほうがよい。そして後の国家はヒゲのない若者たちの手に残したほうがよい。ヘルモドロスのような、自分たちのうちでいちばん有用な人物を、われわれのうちにはいちばん有用な人など一人もいらない、そんな者がいるなら、よそへ行って、よその人間と暮らしたらよいといって、追い出すようなことをしたのだから。」

ヘラクレイトスにはこのように変わったところがあったが、ついには人間嫌いが嵩じて、人里離れた山の中で暮らすようになった。そして草の葉や木の実を食べて暮らしているうちに、水腫にかかって死んだと伝えられている。これは、火を尊び水を卑しんだ哲学者にとっては、皮肉な最後といえるものであった。

このヘラクレイトスの基本思想を、火に結び付けて集約したのは、ほかならぬアリストテレスである。アリストテレスは「形而上学」の中で、ヘラクレイトスの説をミレトス派の延長上で論じ、次のようにいっている。

「メタポンティオンのヒッパソスやエペソスのヘラクレイトスは、火をそれ“真にもとのもの(原理)”であるとしている。」

アリストテレスはこのように、ヘラクレイトスをイオニアの哲学者たちが探求したアルケーの思索者として位置づけていたわけであるが、プラトンはちがった風にヘラクレイトスを評価していた。

プラトンはヘラクレイトスの複雑な思想のなかから、その核心をなすものとして「万物流転」を取り上げた。プラトンによれば、ヘラクレイトスは、この世界に存在するすべてのものは、一瞬たりとも静止していることはなく、絶えず生成と消滅を繰り返していると主張した。「諸君は同じ河に2度足を踏み入れることはできない。なぜなら新しい河水が、絶え間なく諸君に押し寄せてくるからだ。」こうヘラクレイトスはいって、この世界に恒常的なものは何もないと主張したというのだ。

恐らくピタゴラスを通じて不変のイデアという観念に到達したプラトンにとっては、ヘラクレイトスの思想は乗り越えられるべきものであった。だがプラトンはヘラクレイトスのこの思想をただ投げ捨ててしまうのではなく、自分の思想の中に巧妙にとりこんだ。つまり、感覚し得る世界には永遠なるものは何も存在しないということの証拠として万物流転の思想を利用しながら、他方では感覚を超えた知性的な存在としてのイデアを主張したのである。

プラトンとアリストテレスが後世に与えた影響があまりにも大きかったので、ヘラクレイトスの思想もその枠内で受け取られることが多かったが、彼の思想は決してそのようにこじんまりしたものではなかった。

たとえば火についても、それはアリストテレスが要約したような、静的な原理には留まらない。火は始原的な要素であり、万物がそこから生じた元のものではあるが、それ自身が不変の実体といったものではなく、絶えず燃えながら変化しているものである。「火は空気の死を生き、空気は火の死を生き、水は空気の死を生き、土は水の死を生きる」といった具合に、すべてが相互回帰的に循環しながら、流動している。そこには、戦いのイメージがある。「戦いがすべてのものに共通して見られ、闘争が正義であることをわれわれは知らねばならぬ。」

この戦いのイメージは、戦いを通じての統一のイメージとも結びついている。「対立物の統一」の思想である。闘争において対立物は調和であるところの一つの運動を生み出すべく結合する。「万物から一が生じ、一から万物が生ずる」という言葉は、この絶え間なき運動の過程を象徴したものである。ヘラクレイトスにとっては世界とは、もろもろのものがせめぎあいつつ、その動的なプロセスのなかから調和したものや一なるものが生成される、ダイナミックな相においてイメージされていたのである。

統合する対立物というヘラクレイトスのこの思想は、やがてヘーゲルによって血肉化され、弁証法的な思考へと発展していくことになるだろう。


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