2007年9月アーカイブ

ウィリアム・ブレイクの詩集「経験の歌」 Songs of Experience から「聖なる木曜日」 Holy Thursdayを読む(壺齋散人訳)

ウィリアム・ブレイクの詩集「経験の歌」 Songs of Experience から「土くれと石ころ」The Clod & the Pebble を読む。〔壺齋散人訳〕

ウィリアム・ブレイクの詩集「経験の歌」 Songs of Experience から「大地の答」 Earth's Answerを読む。〔壺齋散人訳〕

日本女性の美肌へのこだわりは、世界でも例を見ないほど熱心なものだそうだ。いつまでも若々しく美しい肌を保ちたいという願望は、世界中どこの女性でも共通のものだとは思うのだが、日本人女性の場合は、その願望が度を越して強いということらしい。

ソクラテスは西洋哲学史上画期的な存在である。真の哲学はイオニアの自然学ではなくソクラテスに始まるという見方もあるほどだ。ソクラテスの思想はプラトン、アリストテレスを通じて後世に伝えられ、それが西洋哲学の太い流れとなったことを考えれば、当然の見方といえなくもない。

ヴェルレーヌの詩集「叡智」は、ランボーとの別れの苦さを歌ったものと、宗教的な改心を告白したものとからなっている。前者の多くは獄中で書かれた。

1873年の夏に、ランボーとの間に引き起こした事件がもとで、ヴェルレーヌは1年半余りモンスの刑務所に服役した。この間にヴェルレーヌは信仰上の回心を体験し、カトリックに深く帰依するに至る。そしてその信仰を膨大な詩に残した。詩集「叡智」に収められた作品群がそれである。

東京の祭は、都市全体が共同で集中的に行うものはないかわりに、地域ごとに残っている伝統的な祭が、夏から秋にかけて、あちこちで断続的に行われ、それぞれに季節を彩っている。

阮籍は竹林の七賢の一人であり、数々の奇行で知られるとともに、中国の詩歌史上、陶淵明以前のもっとも優れた詩人とされている。

曹植:七歩詩

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曹植は曹操の庶子で曹丕の実弟である。少年時代から父に従って戦闘に従事し、また詩歌にも非凡な才能を示した。このため、曹操の後継者として目されたこともあったが、曹操が死に曹丕が後継者としての地位を確立すると、曹丕によって迫害された。

ウィリアム・ブレイクの詩集「経験の歌」 Songs of Experience から「始まりの歌」Introduction を読む。(壺齋散人訳)

ウィリアム・ブレイクの詩集「経験の歌」 Songs of Experience は、「無垢の歌」の姉妹編として、5年後の1794年に発表された。その際、「経験の歌」の諸編は、「無垢の歌」とともに一冊にまとめられ、題名も「無垢と経験の歌」Songs of Innocence and of Experience とされた。したがって新しい版では、「無垢の歌」が第一部、「経験の歌」が第二部という構成をとっている。

ウィリアム・ブレイクの詩集「無垢の歌」 Songs of Innocence から「夜の歌」 Night(壺齋散人訳)

メキシコのユカタン半島に、巨大隕石が衝突した結果できたクレーターが残っている。名をチクシュルーブ Chicxulub クレーターといい、幅170キロにもわたる広大なものだ。これは今から6500万年前、宇宙からやってきた直系約10キロの巨大隕石が作った穴だ。クレーターの規模からして、衝突したときの衝撃は想像を絶するものだったと推測される。

プロタゴラスやゴルギアスを始めソフィストと呼ばれる人々は、プラトンが多くの対話編の中で取り上げ、良きにつけ悪しきにつけその説に言及しているから、今日哲学を学ぶものにとっては、哲学史の一ページを埋めるための、なくてはならない人びとのように受け取られている。

「わたしの心は悲しかった」と題するこの詩は、ヴェルレーヌの特徴である感傷性と音楽性が最もよく調和した逸品であり、彼の一つの到達点を示している。だが、そこには深い精神性は感じられない。どちらかというと、言葉がそれを発した人間とは無関係に、自分自身に酔っているような風情だ。

「言葉なき恋歌」に収められた作品には、恋のけだるさを歌ったものが多い。それらの恋が男女の間のものなのか、それともヴェルレーヌとランボーとの間のものなのか、一篇づつから読み取ることはむつかしい。

老いて猶仲が良く、気が置けない友達は何者にも代えがたいものだ。ましてそんな友達と小さな旅に出かけ、温泉につかり杯を酌み交わす、これほど幸福な時間があるだろうか。

曹丕:燕歌行

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曹丕は曹操の庶子であったが、幼い頃から才能を示し、正室が死んでその母が曹操の正室につくと、俄然曹操の後継者となった。曹操自身は生前魏王を称し、漢の帝位を奪うことはしなかったのであるが、曹丕は父の死後漢の献帝に禅譲をせまり、自ら皇帝となる。

曹操は三国志の英雄たちのなかでも、人気という点では分がない。蜀の劉備が関羽や張飛などの英雄たちとともに生き生きと描かれているのに対して、曹操には陰険なイメージが付きまとっている。戦いには滅法強かった曹操が、赤壁の戦いで呉の孫権の火責めにあって敗れたのを捕らえて、歴史上これを喝采しなかった者はいなかったほどだ。

ウィリアム・ブレイクの詩集「無垢の歌」 Songs of Innocence から「子羊」の歌 The Lamb 〔壺齋散人訳〕

ウィリアム・ブレイクの詩集「無垢の歌」 Songs of Innocence から「花びら」の歌The Blossom(壺齋散人訳)

ウィリアム・ブレイクの詩集「無垢の歌」Songs of Innocence から春の歌 Spring (壺齋散人訳)

原子論は、タレスに始まる初期ギリシャの自然哲学的世界観の一つの到達点を示している。ギリシャの哲学者たちは、世界を形作っているそもそものもと、つまりアルケーとは何かについて考察を進めるうち、質量としてのアルケーについてはますます多元論的な方向に向かう一方、存在を非存在から峻別し、存在者を存在させている原因とは何かについて、考察を深めていった。レウキッポスとデモクリトスの原子論は、これらの問題に一定の結論をもたらしたのである。

詩集「言葉なき恋歌」 Romances sans Paroles は、ヴェルレーヌがランボーとの痴話げんかがもとでモンスの刑務所に服役している間に出版された。時に1974年3月。ヴェルレーヌはまだ30歳になっていなかった。

ヴェルレーヌは友人シヴリーを通じてマチルド・モーテを紹介されるとたちまち恋に陥り、しつこく求愛するようになる。マチルドの両親はヴェルレーヌを警戒したようであったが、ヴェルレーヌはマチルド本人を陥落させようとして、愛の詩を作っては、せっせと送り届けた。その甲斐もあってか、ヴェルレーヌはマチルドと婚約することができたのである。

中国語に「腸中車輪転ず」という言葉がある。腹の中で車輪が転ずるというのであるから、腹がひっくり返る、あるいはぎりぎりと揉まれる、そのような感じを表した言葉である。苦しくて、やりきれない、そんな煩悶がひしひしと伝わってくる。筆者などは、人間の苦悩を表現した言葉として、これ以上に迫力あるものを知らない。

上邪:古楽府

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上邪もまた鐃歌の一つ。上邪とは天への呼びかけとも、あるいは愛するものへの呼びかけともうけ取れる。天への呼びかけとするなら、天に誓って自らの愛の強さを述べたとも受け取れる。

地球のような惑星がどのようにして作られるか、その誕生のメカニズムについてはわからぬことが多かった。このたび、アメリカの天体学者マクロー氏 Mordecai-Marc MacLow のグループが惑星の形成過程について一つのモデルを提出した。なかなか興味深いので紹介したい。

ウィリアム・ブレイクの詩集「無垢の歌」 Songs of Innocence から「揺りかごの歌」 A Cradle Song(壺齋散人訳)

ウィリアム・ブレイクの詩集「無垢の歌」 Songs of Innocence から「見つかった男の子」の歌 The Little Boy Found (壺齋散人訳)

ウィリアム・ブレイクの詩集「無垢の歌」 Songs of Innocence から「迷子になった男の子」の歌 Little Boy Lost (壺齋散人訳)

アナクサゴラスはアテナイに哲学をもたらした人である。その学説はイオニアの自然学の伝統に立ち、科学的精神に満ちたものだった。そこをペリクレスに買われ、アテナイに智恵あるものとして招かれたという。かれは生涯のうち30年間をアテナイで過ごしたが、最後はアテナイ市民によって裁かれ追放された。

ヴェルレーヌは甘ったれた性格で、他人を思いやる心に欠け、どうしようもない類の人間だったようである。いわば重症の性格破綻者だったと思われるのだ。もし詩を書くことがなかったなら、鼻持ちならぬ人間として、世間から排除されてしまっただろう。

艶なる宴 Fêtes Gallantes は、ヴェルレーヌにとって実質的には第二歌集である。サチュルニアン詩集によって、彼の独創性は広く認められるようになったが、この詩集はその延長上にあって、音楽的な要素や、甘い感情を歌った。

「有所思」は、男に裏切られた女心の悲しさを歌ったものである。贈り物のために鼈甲の簪(男子が髷を結うのに使うもの)を用意したが、男の心変わりを知ってそれを砕いて焼き捨ててはみたが、なおも男を慕う気持ちが抑えられない、そんな女心の悲しさがよく出ている歌である。

楽府は、古体詩、近体詩と並んで中国の韻文の三大様式の一をなすものである。曲をつけて歌うものであることから、樂曲ともいうべきものであり、その詩文を歌辞といった。題名には、歌、行、引、曲、吟などの文字を冠したものが多い。

ウィリアム・ブレイクの詩集「無垢の歌」 Songs of Innocence から「見つかった女の子」の歌 The Little Girl Found (壺齋散人)

ウィリアム・ブレイクの詩集「無垢の歌」 Songs of Innocence から「迷子になった女の子」の歌 The Little Girl Lost (壺齋散人訳)

ウィリアム・ブレイクの詩集「無垢の歌」 Songs of Innocence から 「不思議な夢」の歌 A Dream (壺齋散人訳)

まさに死なんとする瞬間、その人のまぶたの裏には、歩んできた人生がフラッシュバックのようによみがえるということだ。といっても、死んでしまった人間がそんなことを証言できるわけもないから、これは幸か不幸か死から生き返った人間たちがいっていることである。



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