腸中車輪転ず(古歌と悲歌:楽府歌辞)

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中国語に「腸中車輪転ず」という言葉がある。腹の中で車輪が転ずるというのであるから、腹がひっくり返る、あるいはぎりぎりと揉まれる、そのような感じを表した言葉である。苦しくて、やりきれない、そんな煩悶がひしひしと伝わってくる。筆者などは、人間の苦悩を表現した言葉として、これ以上に迫力あるものを知らない。

この言葉は、楽府歌辞の中にある二つの作品の中で使われている。いづれも戦場にあって故郷を思う歌である。


古歌

  秋風蕭蕭愁殺人  秋風蕭蕭として人を愁殺す
  出亦愁        出でては亦愁ひ
  入亦愁        入りても亦愁ふ
  座中何人       座中何の人ぞ
  誰不懷憂       誰か憂ひを懷かざらん
  令我白頭       我をして白頭ならしむ
  胡地多飆風     胡地飆風多し
  樹木何修修     樹木何ぞ修修たる
  離家日趨遠     家を離るること日に趨に遠く
  衣帶日趨緩     衣帶日に趨に緩む
  心思不能言     心に思へば言ふ能はず
  腸中車輪轉     腸中車輪轉ず

秋風が物寂しく吹いて人を愁い悲しませる、出ても愁え、入りても愁う、座中にあるのはなんという人たちだろう(みな胡の人々ばかりだ)、だれか憂えずにおられようか、私の頭は憂えで白くなるばかりだ

胡地にはつむじ風が吹き渡り、木の葉も吹きちぎられるほど、家を離れていよいよ遠く、私の身はますますやせ細って帯もゆるくなっていくばかり、この苦しみは到底言葉では言い表せない、悲しみで腸がよじれるほどだ


悲歌

  悲歌可以當泣  悲歌は以て泣くに當つべく
  遠望可以當歸  遠望は以て歸るに當つべし
  思念故鄉     故鄉を思念すれば
  鬱鬱纍纍     鬱鬱纍纍たり
  欲歸家無人    家に歸らんと欲するも人なく
  欲鍍河無船    河を鍍らんと欲するも船なし
  心思不能言    心に思ひて言ふ能はず
  腸中車輪轉    腸中車輪轉ず

悲しみの歌を歌って泣く代わりにしよう、遠く故郷を望んで帰る喜びに代えよう、故郷を思えば、木の鬱鬱として山が纍纍と重なるように、私の気持ちも思いが積み重なる

帰ろうと欲しても家には人なく、渡ろうと欲しても川には船がない、この思いは言葉では言い表せない、悲しみで腸がちぎれるほどだ


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