曹丕:燕歌行

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曹丕は曹操の庶子であったが、幼い頃から才能を示し、正室が死んでその母が曹操の正室につくと、俄然曹操の後継者となった。曹操自身は生前魏王を称し、漢の帝位を奪うことはしなかったのであるが、曹丕は父の死後漢の献帝に禅譲をせまり、自ら皇帝となる。

こんなこともあってか、曹丕は曹操以上に人気がない。妻の甄氏に死を賜った事や、弟の曹植を冷遇した事など、その性格は冷酷で人の皮を被った獣だともいわれた。曹丕は比較的若くして死ぬのであるが、息子の死を前にして実の母親は涙ひとつ流さなかったといわれている。

だが曹丕の実像は、こんな風聞とは異なり、内政の安定に意を配った理性の人だったとする見方もある。漢の禅譲を受けて魏の皇帝となった曹丕は、呉や蜀との戦争に夢中になるより、自らの足元を固めるための施策を重んじたのであったが、志半ばで若くして死んでしまったため、治世に実績を残すことを得ず、悪評だけが広がったというのである。

曹丕はまた、父親の曹操同様詩をよくした文化人であった。彼は、中国の詩歌史上、初めて七言詩を歌った詩人としても有名なのである。

燕歌行は、そんな曹丕の代表的な作品として、いまでも人びとに口ずさまれている。


燕歌行

  秋風蕭瑟天氣涼  秋風蕭瑟として天氣涼し
  草木搖落露為霜  草木搖落して露霜と為る
  群燕辭歸鵠南翔  群燕歸るを辭して鵠南へ翔び
  念君客遊多思腸  君が客遊を念へば思の腸なること多し
  慊慊思歸戀故郷  慊慊として歸るを思ひ故郷を戀はん
  君何淹留寄他方  君何ぞ淹留して他方に寄るや
  賤妾煢煢守空房  賤妾煢煢として空房を守り
  憂來思君不敢忘  憂ひ來って君を思ひ忘る敢はず
  不覺涙下沾衣裳  覺へず涙下って衣裳を沾すを
  援琴鳴絃發清商  琴を援き絃を鳴らして清商を發す
  短歌微吟不能長  短歌微吟長くすること能はず
  明月皎皎照我床  明月皎皎として我が床を照らす
  星漢西流夜未央  星漢西流して夜未だ央きず
  牽牛織女遙相望  牽牛織女遙かに相ひ望む
  爾獨何辜限河梁  爾獨り何の辜ありてか河梁に限らる


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