横浜の寿地区といえば、東京の山谷地区と並んで関東でも最大規模のドヤ街だったところだ。「ところだ」と過去形で書くのには多少のわけがある。かつては100軒以上の簡易宿泊所が立ち並び、職を求めて全国から集まった日雇い労働者が、一帯にあふれていたものだが、今ではそうした労働者もめっきり減り、しかも高齢化が進んで、ドヤ街特有の活気が失われてしまったのである。
寿地区にドヤ街が形成されたのは昭和30年代のことだ。折から日本は高度成長時代を迎え、建設業を中心に労働需要が高まっていた。寿町はそんな時代を背景に、日雇い労働供給の拠点となったのだった。最盛期、一角にはおびただしい数の労働者が生活し、手配師の求めに応じて、首都圏一帯の建設現場で働いていた。それは、東京の山谷地区においても同じようなものであった。
だが時代は変わり、平成の暗黒時代を経て労働市場も変化し、建設労働への需要が極端に減ると、ドヤ街は人をひきつける力を失った。
こうして寿地区には、空き部屋の目立つ簡易宿泊所が、時代から取り残されたように立ち並ぶようになったが、そこに住み続ける人々は、時代はもとより社会そのものから置き去りにされたような生活を送っている。そんな人々の様子を、先日のNHKテレビの報道番組が伝えていた。
今なおここに住んでいる人々は、若い頃からここを拠点に働き続け、老年を迎えて天涯孤独の身になった人が多い。住むところはあるからホームレスよりはましな境遇といえなくもないが、ファミリーレスなのである。その数6000人余という。多くの人は病気を抱え、孤独死するものも年々増えている。
番組は、そんなファミリーレスを相手に、孤軍奮闘する医師の姿を伝えていた。山中修ドクターという。氏は地区内の患者たちを一人ひとり把握して、なるべく適正な医療が行われるよう意を砕いているそうだが、一人の力では限界があろう。だが弱っている人を見つけると、見過ごさないように努める。必要に応じて医療保護の手続きを仲立ちすることもあるらしい。
場合によっては、患者のプライバシーにかかわることもある。死に臨んで息子と会いたがっている老人をみると、消極的な息子を説得して会わせてやった。老人はうれしそうな顔をして、その二日後に死んだそうだ。
今年の夏はことのほか暑かった。エアコン設備もないので、部屋の中にいても熱中症にかかり、体調を崩すものが続出した。それでも病院に入るより、部屋に居続けることを選ぶものが多い。社会から取り残された彼らには、自分のねぐらよりほか、身を休めるところはないのだ。そうして、部屋代を払う金がなくなると、ホームレスとなって、路上に消えていくのであろう。
同じような事情は山谷地区でも進行している。比較的体力のあるものは、数日おきにありつく仕事へと出かけていくが、仕事にあぶれたものは昼間から路上に居座って酒を飲んだりもしている。だが住人の大部分を占める老人たちは、自分のねぐらの中でひっそりと息づいているのだ。
こうした老人たちは、寿地区の老人同様、病気を抱えたものが多い。そんな彼らにとって、山口ドクターのような人がいるのかどうか、筆者は知らない。だが、重篤の患者を相手にホスピスのような施設を運営しているものはあると聞く。その様子を過日、英字紙 Japan Times が記事にしていた。
山谷の一角にひっそりと立つ「きぼうのいえ」という施設は、ある個人が自分の意思によって開設したものだ。若い頃からセツルメント事業に関心を抱いていたらしい主人が、資財を擲って作った。対象は末期がん患者などの死を間近に控えた人々だ。主人はそれらの人々に、尊厳の中で死んでもらいたいと思っている。運営には莫大な費用がかかり、その工面が大変だそうだが、気力、財力がもつ限りは続けていきたいという。
現代社会では、とかく人間の尊厳が軽んじられがちだ。なによりも利害が優先される。人の結びつきも、利害を媒介にしてなされるから、そこには友情というものは育たない。友情を伴わない人間の結びつきは、単なる徒党というに過ぎない。今の日本は、上から下まで徒党の闊歩する世の中になってしまった。
そんな社会では、役に立たなくなった人間は、ボロクズのように扱われる。社会が殺伐としているから、陰惨な出来事が後を絶たず、無思慮な連中は平気でホームレスを襲撃したりする。
山中ドクターや「きぼうのいえ」を見ると、筆者は掃き溜めの中に咲いた一輪の花を見る気持ちがするのだ。
関連リンク: 日々雑感
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