世界がコシヒカリを作り始めた:日本の米の行方

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コシヒカリは今や、世界最高級の米のブランドだ。モチモチとして歯ごたえのある食感が、日本人だけでなく世界中の人々の味覚をとらえている。これまで栽培の難しさから日本以外では作るのが困難だとされていたが、最近では技術が向上して、世界のあちこちで作られるようになった。

中でも生産量が大きいのは、アメリカのカリフォルニアと中国の黒龍江省だ。カリフォルニアでは日本のコシヒカリをそのまま育て、黒龍江省では改良して育てている。どちらも日本のコシヒカリに劣らない品質だという。しかも価格は比較にならぬほど安い。いきおい、これらの生産者たちは日本のコメ市場に熱いまなざしを向け、日本国内でも輸入の是非について議論が高まっている。

こうした海外での米作りと、日本の米の生産者が直面している問題について、NHKの報道番組が特集している。なかなか考えさせられる番組だ。

日本に海外から米が入ってくるようになったのは1995年、WTOによって国内消費量の10パーセントにあたる米の輸入を義務付けられたことがきっかけだ。昨年1年間に輸入された米は77万トン、うち10万トンは主食として消費され、残りは加工用に回された。このほかに、O-ベントーのように海外で加工され、輸入されたものもある。

海外米の参入によって、日本の米の生産者は厳しい競争にさらされるようになった。加えて、日本人が従来より米を食わなくなった事情もあり、米の市場はますます狭まってきている。

いまや日本人が一年間に消費する米は、一人当たり60キロ(1俵相当)だそうだ。半世紀前と比較しても半減している。だいたい、宮沢賢治の詩「雨にも負けず」にあるとおり、日本人の成人男子が食う米の量は、長い歴史を通じて、一日あたり四合(年間に240キロ=4俵=1石)というのが標準だった。旧帝国陸海軍の兵糧も、この数字をもとに計算されていたのであるから、日本人がいかに米を食わなくなったか、わかるというものである。

米の市場が小さくなり、そこへ海外からコシヒカリのようなうまい米が入ってくるのであるから、日本の米はいよいよ売れなくなり、余剰米として倉庫に山積みにされる。

これでは日本の生産者たちが危機的状況に追い込まれるのは理の当然というべきであろう。先日は、新潟の米の生産者が、農協による引き取り価格を、60キロ(1俵)あたり、昨年までの15000円から、今年は10000円に引き下げると通告される様子が報道され、生産者たちの途方にくれた表情が映し出されていた。

この数字がいかに過酷なものか、よく考えてほしい。日本の水田の生産性は、一反あたり10乃至12俵である。平均的な農家が耕す水田はせいぜい2町歩(1町歩=10反)ほどだろうから、この数字だと期待できる粗収入は、年間200数十万ということになる。ここから農作機械の減価償却など必要経費を差し引くと、農家には殆ど金が残らない仕組みだ。これでは、生活も成り立たないだろう。

だが農家の苦悩をよそ目に、米の自由化の影響は確実に浸透しつつある。今までは、輸入された米は殆どが加工用に回され、食卓に直接現れることはなかったが、ここまで外国米がうまくなってくると、主食の座に躍り出る日もそう遠くはない。実際、弁当や外食産業の業界では、価格競争の圧力から、外国米を採用する動きが強まっているという。

こうした動きを背景に、番組では日本の米の行方について、問題を提起していた。日本の食料自給率は、いまや40パーセントを割り込み、先進国中最低だ。自給率が低いといわれるイギリスでさえ70パーセント、その他の国々では100パーセント前後の自給率を保っているから、日本がいかに異常であるか、数字がよく物語っている。

識者といわれる人の中には、米も思い切って自由化し、消費者が安い米を食えるようにしたほうがよいと主張するものもいる。その結果農業が成り立たなくなっても、国民経済全体からすれば、他の面でカバーすればよいという理屈だ。

逆に食糧安保の視点から、米の生産者に保護を加えるべきだと主張するものもいる。いつ何時、外国から米を買えなくなる日が来ないとも限らない。彼らにはそういう懸念がある。

いずれにせよ、米は我が民族の生命線である。その生産と供給にかかわる確固とした展望がなければ、日本人は民族として生き残れないだろう。


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