まく、まぐはふ、とつぐ:古代日本語の性交表現

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生きとし生けるものにとって生殖は最も根源的な行為であるから、それにつながる性交は生きることのうちにも最も大きな関心事である。生き物にとって、性交の喜びを抜きにしたら、生きる喜びはないに等しいだろう。それは人間においても同様である。

ところがさまざまにある生き物の中でも人間というものは、この性交というものに対して、きわめて複雑なかかわり方をしてきた。

まず性交を連想させる言葉は、どのような文化にあってもタブーに近い扱いを受ける。性交は男女の性器を合体させる行為であるが、その男女の性器を表す言葉そのものが、声をあげては発せられないほどの羞恥心をもたらす。女性に向かって女性器を現す言葉を発してみたまえ。変態あるいは精神異常者扱いされること請け合いである。

今でこそ日本人はセックスにまつわるタブーに敏感であるが、歴史的には、性に対して比較的鷹揚な民族であった。古事記や日本書紀を読むと、性交に関したことがらがさりげなく描かれているし、万葉集の庶民の歌にも、「あなたとセックスしたい」という言葉があふれている。

古代日本語で性交を表す言葉としては、「まぐはふ」というものがある。古事記の大八島創造神話の中で、イザナキとイザナミが国を生むために性交する場面が出てくるが、それはこんな風に語られている。

「是に其の妹伊邪那美命に問ひて曰(の)りたまはく、「汝が身は如何にか成れる」とのりたまへば、答白(こた)へたまはく、「吾が身は、成り成りて成り合はざる処一処在り」とこたへたまひき。爾(ここ)に伊邪那岐命詔りたまはく、「我が身は、成り成りて成り余れる処一処在り。故(かれ)、此の吾が身の成り余れる処を以ちて、汝が身の成り合はざる処に刺し塞ぎて、国土を生み成さむと以為(おも)ふ。生むこと奈何」とのりたまへば、伊邪那美命、「然(しか)善けむ」と答曰へたまひき。爾に伊邪那岐命詔りたまはく、「然らば吾と汝と是の天の御柱を行き廻り逢ひて、みとのまぐはひ為む」とのりたまひき。」

男神イザナキは自分の性器を「成り成りて成り余れる処」といい、女神イザナミは自分の性器を「成り成りて成り合はざる処」といっている。しかして「成り余れる処」を以て「成り合はざる処」を差し塞ぐことを「みとのまぐはひ」といっている。大事なのは、この会話を女神の方から始めていることだ。

「まぐはひ」とはもともと目配せをさす言葉が、男女間の性交に転用されたものだとされる。目配せをすることが、その後の性交の合図になったのだろう。一方「みと」は男女の性器をさす言葉である。

「と」は本来入口、あるいは門を意味する古代語である。たとえば大和という国名は「山門」つまり山の入口というような意味で使われているし、「港」とは「水門」、つまり水のあるところの門という意味である。

人の身体の中でも性器は、相手を迎え入れる入口、あるいは子どもが生まれてくる際の玄関のようなものと観念されたのかもしれない。この「と」に秀でたもの、あるいは火のように熱いという意味の「ほ」という冠詞を加えて、後にもっぱら女性器を表す言葉になった。今日関東地方で流通している女性器を現す四文字言葉は、この「ほと」が音便によって転化した形なのである。

一方、万葉集には男女の性交を表すものとして「まく」という言葉が使われている。たとえば次のような例である。

  あしがりの麻萬(まま)の子菅の菅枕あぜか纏(ま)かさむ子ろせ手枕

ここにある「まく」は、手を巻くというイメージから、男女が手を巻きあう、つまり寝ながらにして性交を行うという意味に転じたのであろう。

また、「とつぐ」という言葉は、現代では女が男のもとに「嫁いで行く」という意味で使われるが、これも古代にあっては性交を表す言葉であった。

「と」とは先ほども述べたように、古代語にあっては男女の性器を意味していた。それを「つぐ」とは、文字通り性器を結合させる行為を意味していたのである。

このほか男女の性交をさすものとして広く使われたものとしては、ずばり「寝る」という言葉がある。

  伊香保ろの八尺の堰塞(ゐて)に立つ虹の顕はろまてもさ寝をさ寝てば
  岡に寄せ我が刈る草のさね草のまこと和やは寝ろと言なかも

などの歌にある「寝る」は、男女の性交をおおらかに歌ったものだ。

現代の日本人にとっても、男女が一緒に寝るとは性交することを意味する場合が多い。日本人に限らず、人類にとって普遍的な表現であるらしい。


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