陶淵明の詩から「雜詩其三:盛衰量るべからず」を読む。
雜詩其三
榮華難久居 榮華 久しく居り難く
盛衰不可量 盛衰 量るべからず
昔爲三春蕖 昔は三春の蕖たりしに
今作秋蓮房 今は秋蓮の房となれり
嚴霜結野草 嚴霜 野草に結び
枯悴未遽央 枯悴して未遽(いま)だ央(つ)きず
日月還復周 日月 還り復た周るも
我去不再陽 我去らば再びは陽ならず
眷眷往昔時 眷眷たり往昔の時
憶此斷人腸 此を憶へば人の腸を斷たしむ
栄華は長続きせず、盛衰は思いがけないものだ、3月の間花を咲かせた蓮も、秋になった今は蓮の実になっている、厳しい霜が野草の上に降り、枯れかかった無残な姿をさらしている
月日は変わることなくめぐるが、自分はいったん死んでしまえば、生き返ることはない、昔の日々がなつかしく思い出される、それを思うと腸がちぎれるのだ
この詩は、植物の移り変わりに託して、人間の盛衰の計りがたいことを歌い、更に、自然の永久なるに比して人間の命の有限なことを歌う。そして有限な命のなかでも若く楽しかった時代を振り返り、老いた自分の現在を嘆くのである。
老荘思想に親しんだと思われる陶淵明であるが、命への執着は人一倍強かったのである。
「未遽」は「いまだ」と読む。遽は意味のない助辞である。「眷眷」は、はるかに回顧すること。
コメントする