少時壯且厲:陶淵明擬古其八

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陶淵明擬古其八「少時壯且厲」を読む。


擬古其八:少時壯且厲

  少時壯且厲  少き時壯にして且つ厲し
  撫劍獨行遊  劍を撫して獨り行遊す
  誰言行遊近  誰か言ふ行遊すること近しと
  張掖至幽州  張掖より幽州に至る
  飢食首陽薇  飢えては首陽の薇を食らひ
  渇飮易水流  渇しては易水の流れに飮む
  不見相知人  相知の人を見ず
  惟見古時邱  惟た古時の邱を見る
  路邊兩高墳  路邊に兩つの高墳
  伯牙與莊周  伯牙と莊周と
  此士難再得  此の士再びは得難し
  吾行欲何求  吾が行何をか求めんと欲せし

若い頃は意気盛んで気性激しく、剣を撫して獨り行遊したものだ、行遊が近いなどとは誰にも言わせぬ、張掖から幽州まで渡り歩いたものだ

飢えては首陽の薇を食い、渇しては易水の水を飲んだ、しかし結局知己に出会うことは出来ず、ただただ古人の墓丘を見るのみだった

道端に二つの塚を見たが、それはかの伯牙と莊周のものだ、彼らはいまさら求めるべきもない、自分の行遊はいったい何のためだったのだろう


互いに語り合うに足る知己を求めて行遊したが、結局古人の墓に出会ったのみで真の知己を得ることが出来なかった、その恨みを歌った詩である。

伯牙は春秋時代の琴の名手、知己が死ぬと二度と琴を弾くことがなかった、莊周は荘子のこと、親友の恵施とよく語り合ったが、その死後は人と語ることが少なくなった、彼らでさえ知己の数は限られていたが、自分は一人の知己をも得ることが出来ない、

陶淵明の世に入れられないという気持ちが現れている


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