「名ばかり管理職」判決に思う

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管理職といっても名ばかりで、実態は一般従業員と異ならず、長時間の残業を強いられながら手当ての支給もない、これはおかしいと裁判に訴えていた男がいるが、その一審判決が東京地裁から出された。判決は原告の言い分をほぼ全面的に認め、雇用主のマクドナルド・ハンバーガー社に未払いの残業手当2年分750万円を支払えと命ずるものだった。

原告の言い分はこうだ。自分は全国に1700店あるハンバーガーショップの店長という肩書きを持たされているが、店の運営から人事管理のあり方までことこまかく会社に指示され、管理職としての裁量権はほとんどない、反面管理職だから労働時間の制約はないという理屈で、無制限な労働を強いられ、それに対して一銭の支払いも受けていない。このままでは身体はこわれてしまうし、報酬も管理職として相応しい待遇ではない。

それに対してマクドナルド社は、店舗は会社運営の第一線であり、店長は会社の方針を管理運営する立場にあるから、管理職であるという理屈を振りかざしていた。

裁判所が判決にあたって採用した管理職の概念は次のようなものである。

・ 会社と一体の利害関係にあり、会社の管理運営に関与できる権限を持っている。
・ 自分の労働時間を自分で決定できる。
・ 管理職として相応しい待遇を受けている。

判決はこの三つの項目について、原告の言い分をほぼ認め、マクドナルド社は日本の労働法規に違反していると判断したのである。

先日は、紳士服販売会社こなかの店長が同じような訴えを提起して、やはり実質勝訴した。そのときは会社側が和解金の形で未払いの残業手当を支払うことで収束したが、今回のケースでは、マクドナルド側は控訴して争う姿勢を示している。

今回の裁判は、日本の企業における管理職のあり方や、それをこえて長時間労働が蔓延している労働市場の実態について、人々に問題提起したといえる。

まず管理職のあり方論をめぐっては、一般の人たちには今回の管理職の定義はきつすぎると感じたものも多いだろう。実際日本の企業においては、会社の管理運営に直接間接影響を及ぼしうる立場の管理職はそう多くないだろうし、労働時間についても一般従業員に順じた扱いを受けている者が殆どであろう。それにもかかわらず彼らが管理職を自負できる理由は、人事等に関する一定の裁量が認められ、また管理職として相応しい金銭的、精神的な待遇を受けていることにある。

今回のケースでは、原告の店長は殆ど裁量もなく、また金銭的にも管理職を自負できるような待遇を受けていないと感じたからこそ、管理職の肩書きを捨ててまでも、実質を取りたいと判断したのだろう。

また無制限ともいえる長時間労働が、サービス業を中心に、現場の管理監督層に蔓延している実態も、この裁判を通じて明らかになった。原告は提訴理由のひとつに、長時間労働が現場の店長の健康を蝕み、実際に過労死するものまで出ていることをあげている。

現下の日本経済の最悪の問題は非正規雇用の蔓延にあるが、非正規雇用は当該の労働者の利益を踏みにじるだけではなく、正規雇用労働者の労働環境まで悪化させている。その典型がマクドナルドのようなサービス産業の第一線だ。そこでは多くの非正規労働者を少数の正規労働者が指示監督するという構図が出来上がり、正規労働者に過大な負担が課せられるようになっている。

サービス業では、営業時間延長や低価格化など、競争条件が厳しくなってきているのに、それに必要な人員を投入する努力を怠り、少数の人員で乗り切ろうとしてきた。その結果が、正規労働者の長時間労働や、品質チェック体制の弱体化という形で噴出しているのである。

正規職員を名ばかりの管理職にすれば、労働時間を長時間化させやすいし、それに対して費用を支払う必要がない。労働基準監督署では、社員のうち管理職の割合が異常に高い企業については、費用未払いを目的とした悪質な脱法行為の可能性があるとしているが、そのようなケースは増えてきているものと思われる。

こんなわけで、今回の裁判は今日の日本における労働市場のゆがんだ実態をあぶりだしたといえる。

それにしても、労働市場の問題を提起したものが、管理職の肩書きをもったものであったというのは、様々な意味で悲しいことである。

日本の労働市場には、労働者の利益を真に代表できるものが存在しないために、労働者はいつも弱い立場に立たされて、企業にいいように使い捨てられる。非正規雇用の蔓延はその象徴である。かてて加えて、企業は正規社員もぼろ雑巾のように使い捨てにしようとしているのではないか。そんなことを、今回の判決は感じさせたのである。


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