2008年3月アーカイブ

古詩十九首其四:今日良宴會

  今日良宴會  今日の良宴會
  歡樂難具陳  歡樂 具さには陳べ難し
  彈箏奮逸響  箏を彈じて逸響を奮ひ
  新聲妙入神  新聲の妙 神に入る
  令德唱高言  令德 高言を唱へば
  識曲聽其真  曲を識りて其の真を聽く
  齊心同所願  心を齊しうし願ふ所を同じうするも
  含意俱未申  意を含んで俱に未だ申さず
  人生寄一世  人生の一世に寄すること 
  奄忽若飆塵  奄忽として飆塵の若し
  何不策高足  何ぞ高足に策うち
  先據要路津  先づ要路の津に據らずして
  無為守貧賤  無為に貧賤を守り
  坎坷長苦辛  坎坷 長しへに苦辛する

ランプが砕けると When the Lamp is Shattered (パーシー・シェリーの詩:壺齋散人訳)

  ランプが砕けると
  明かりは塵にまみれて消える
  雲が飛び散ると
  虹はきれいな形を失う
  リュートが毀れると
  美しい音色は戻らない
  愛が言葉でいわれると
  中身はすぐに忘れ去られる

汚された言葉 One Word is Too Often Profaned (パーシー・シェリーの詩:壺齋散人訳)

  あまりに汚されてしまったために
  もはや汚しようのない言葉がある
  あまりにも侮られているために
  これ以上侮りえない言葉がある
  希望は絶望と紙一重だから
  そには制御しえないものがある
  でもあなたからの愛は
  何にもまして尊いもの

地球上に生息する脊椎動物のうちで、人間と類人猿だけは尻尾を持っていない。類人猿はチンパンジーと人間の共通の祖先が登場したときには、既に尻尾を失っていたが、それが何時頃に遡るのかについては、類人猿全体の祖先が二足歩行を始めた時であろうと考えられる。というのも、二足直立歩行と尻尾の不在は切り離しがたく結びついていると思われるからだ。

天狗といえば、鬼や山姥とならんで日本の妖怪変化の代表格といえる。天狗を主題にした物語や絵ときものが古来夥しく作られてきたことからも、それが我が民族の想像力にいかに深く根ざしてきたかがわかる。中でも能には、天狗を主人公にしたものがいくつもあり、いずれも勇壮な立ち居振る舞いや痛快な筋運びが人びとの人気を博してきた。

聖アウグスティヌス(354-430)は、聖アンブロシウス、聖ヒエロニムスとともに4世紀のローマ帝国に生き、当時勃興しつつあったキリスト教とカトリック信仰に対して、礎石を築いた人である。この3人に後の世代のグレゴリウス法王を加えて「西方教会の四博士」と呼んでいるが、それは彼らがカトリック教会の確立に果たした巨大な功績をたたえてのことであった。

レミ・ド・グールモンの詩は、堀口大学が精力的に翻訳して紹介したので、日本人にはなじみが深い。中でも詩集「シモーヌ」に収められた諸篇は、グールモンの雰囲気をよく表しているものとして、喜んで受け入れられた。この詩集の中にでてくるシモーヌは、特定の女性というのではなく、グールモンにとっての女性の原像のようなものだったらしい。


毛(壺齋散人訳)

  シモーヌ お前の毛の林の中は
  不思議なことだらけだ

  お前は干草の匂いがする
  お前は獣が寝そべった石の匂いがする
  お前はなめし皮の匂いがする
  お前は籾殻をとった麦の匂いがする
  お前は木の匂いがする
  お前は朝食のパンの匂いがする
  お前は廃墟の壁ぞいに咲いた
  花の匂いがする
  お前はブラックベリーの匂いがする
  お前は雨に洗われた蔓の匂いがする
  お前は夜の墓場で摘まれる
  イグサや羊歯の匂いがする
  お前はコケの匂いがする
  お前は生垣の陰に落ちた
  赤茶けた枯葉の匂いがする
  お前はイラクサや子馬の匂いがする
  お前はウマゴヤシやチーズの匂いがする
  お前はウイキョウやアニスの匂いがする
  お前はクルミの匂いがする
  お前は熟れた果実の匂いがする
  お前は柳の葉の匂いがする
  お前は花盛りのライムの匂いがする
  お前は蜜の匂いがする
  お前は草原を行く人の汗の匂いがする
  お前は大地と川の匂いがする
  お前は愛と火の匂いがする

  シモーヌ お前の毛の林の中は
  不思議なことだらけだ

レミ・ド・グールモンの詩集「天国の聖女たち」 Les Saintes du Paradis から「アガート」Agathe を読む。(壺齋散人訳)

レミ・ド・グールモン Rémy de Gourmont (1858-1915) はフランスのサンボリストを代表する作家の一人である。日本では詩人として知られているが、フランスにおいては生前より幅広い評論活動によって知られ、その独特の美学は、エズラ・パウンド Ezra Pound やエリオット T.S.Eliot など、英語圏の作家によって高く評価された。オールダス・ハックスレイ Aldous Huxley はグールモンの評論を英語に翻訳して紹介している。

古詩十九首から其三「青青たる陵上の柏」を読む。

古詩十九首から其二「青青たる河畔の草」を読む。

人間に最も近い種であるチンパンジーについて、その行動特性や知的能力が明らかになってきたのは、つい最近のことに属する。そこには科学者たちによる、辛抱強い調査活動があった。中でも意義が高いとされるのは、ジェーン・グドール女史による個体の知能の研究と、京都大学の研究グループによる、集団の行動様式の研究だ。

パーシー・シェリーの詩「嘆きの歌」 A Lament を読む。(壺齋散人訳)

1821年2月、ジョン・キーツがローマで客死したことを知ったシェリーは大いに嘆き、その年の春、キーツの死を悼む長大な挽歌を書いた。「アドネイス」である。「解き放たれたプロメテウス」と並んでシェリーの最高傑作に数えられる。イギリス文学史上もっとも優れた挽歌とされる作品でもある。

今世紀に入って以来、日本は格差社会の様相をますます強めてきているが、この経済格差の拡大は、ひとり日本にとどまらず、先進資本主義社会共通の現象となっているようだ。アメリカはその典型で、持てるものと持たざるものとの格差が今日ほど広がった時代はないといわれる。ドイツのような、かつては日本同様活力に満ち、国民の機会均等が実現していた国でも、格差の拡大が深刻化してきている。

瘤取り爺さんの話は日本の昔話の中でももっともよく語られたものである。顔に大きな瘤のある爺さんが山の中で一夜を明かすと鬼の集団が現れて宴会の踊りを始める、爺さんがつられて一緒に踊ると、鬼はいたく感心し、また来るようにといって、質物に爺さんの瘤をとった。この話を聞いた隣の爺さんは、自分も瘤を取ってもらおうと思い鬼のところに出かけるが、うまく踊ることができずに鬼をがっかりさせる、そのうえもう来ないでもいいといわれて、質物の瘤までつけられてしまうという話である。

プロティノス(204-270)は、ギリシャの古典哲学の最後の巨人であったともに、それ以後に続くキリスト教的な世界観にとっては、端緒となる考え方を提供した思想家である。プロティノスが展開した新プラトン主義は、「一なるもの、精神、霊魂」の三位一体の形而上学に帰着するが、それはキリスト教における「父と子と精霊」の三位一体の神学に対応し、プラトンが教える永遠のイデアと神の永遠性の観念を橋渡しするものであった。

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「旅」 Le Voyage を読む。(壺齋散人訳)

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「貧乏人の死」 La Mort des pauvres を読む。(壺齋散人訳)

ツアーコンダクターといえば、かつては人気のある職種だった。筆者の友人にも大手旅行会社のツアーコンダクターを勤めていた者がいて、若い頃には一年中海外を飛び回り、変化に富んだ生活を送っていた。時にハードなスケジュールに忙しい思いをすることもあるが、なかなかやりがいのある仕事だったようだ。

古詩十九首から其一「行行重行行」を読む。

古詩十九首は、南朝梁の昭明太子によって編纂された「文選」に始めて収録された。それ以来古詩の範とされ、また五言の冠ともされて、後代に大きな影響を及ぼした。文選よりやや遅れてなった「玉台新詠集」にも、同じ内容のものが、順序を異にして収められているほか、歴史上折につれて編纂された詩歌集に必ずといっていいほど収められてきた。

定時制高校の生徒数が、急に増えているそうだ。手元に資料がないので、全国の動向は詳しくわからないが、都市部の定時制高校は、この二三年の間に、生徒数が倍近くに増えている学校が多いと聞いた。このことは何を物語っているのか。教育をめぐる環境に、おぞましい現象が生じているのであろうか。

パーシー・シェリーの詩「おやすみ」 Good-Night を読む。Good-Night (壺齋散人訳)

パーシー・シェリーの詩「月」 The Moon を読む。(壺齋散人訳)

ロリコンサイトと呼ばれる、児童を対象にした卑劣で醜悪なポルノサイトがインターネット上にあふれている。それもロシアと並んで、日本が最大の発信基地だというから、見逃せない。いまや世界中の変質者たちにとって、日本は尽きせぬロリータの泉になってしまったのだろうか。

能「安達が原」は人食いの鬼婆を題材にした作品である。那智の東光坊の阿闍梨裕慶一行が山伏姿になって東国行脚に出かけ、陸奥の安達が原に差し掛かったとき、老婆の小屋に立寄って一夜の宿を借りる。老婆はもてなしのためにと裏山に薪を採りに出かけるが、そのさい奥の部屋を決してのぞいてはぬらぬと言い残す。裕慶らが好奇心からその部屋をのぞいたところ、そこには食われてしまった人々の残骸が累々と重なっていたというストーリーである。

エピクロス (BC341-BC270) は、ストア派の創始者ゼノンとほぼ同じ時期に生まれ、アテナイを拠点に活動した。彼の創始した学説は、ストア派の説と並んでヘレニズム時代の思想を代表するものとなった。いずれも、世界帝国の中で相対的に地盤沈下した個人の生き方に焦点を当て、人間にとってよき生き方とは何か、個人の幸福とは何かについて考察した。ストア派が禁欲に重点を置いたのに対して、エピクロスの徒は快楽こそが幸福の源泉と考えたのであった。

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「破滅」 La Destruction を読む。(壺齋散人訳)

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「人殺しのワイン」 Le Vin de l'assassin を読む。(壺齋散人訳)

アジア諸国で仏教の社会的な影響力が急速に拡大しているそうだ。仏教徒の数の増加についていうと、中国では信仰の自由が一定程度保障されるようになった結果、いまや1億人に達するという。インドでは、仏教発祥の地にかかわらず、2001年にはわずか800万人に過ぎなかったものが、一気に3500万人に増えた。台湾も同じ時期に、550万人から800万人に増加するといった具合だ。

陶淵明「山海経を読む」から其十三「帝は用才を愼しむ」を読む。

陶淵明「山海経を読む」から其十「精衞銜微木」を読む。

パーシー・シェリーの詩「アポロの讃歌」 Hymn of Apollo を読む。(壺齋散人訳)

パーシー・シェリーの詩「プロセルピナの歌」Song of Proserpine を読む。(壺齋散人訳)

LIVE SCIENCEのWeb上の記事を閲覧していたら、不思議な話にいきあたった。人間の歯、およびその周囲の組織や骨を用いて角膜を再生することができるというのである。学会用語で歯根部利用人工角膜 Osteo Odonto Keraprosthesis というのだそうだ。これまで、失われた角膜の機能を回復する方法は移植しかないと思われていたので、この技術が実用化されれば、画期的なことである。

鬼の話の中でも、古来もっとも人口に膾炙したのは大江山の酒呑童子の話だろう。能の曲目にも取り上げられ、お伽草紙をはじめ民話の中にも類似の話は多い。それらの話のテーマになっているのは人を食う鬼であり、その鬼を源頼光のような英雄が退治するというのが大方に共通する筋書きである。

ゼノンに始まるストア派の哲学は、ヘレニズムからローマ時代にかけて、もっとも広範な影響力を持った思想的流れである。キケロやセネカ、エピクテトスといったローマ時代を代表する思想家たちはみなストア派の哲学者であるし、哲人皇帝として知られるマルクス・アウレリウスも、政治上の実践を別にすれば、ストア派の思想を展開し実践しようとした人物だった。

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「ワインの精」L'Ame du Vin を読む。(壺齋散人訳)

ボードレール詩集「悪の華」から Les Fleurs du Mal 「通りすがりの女へ」 À une passante を読む。(壺齋散人訳)

先稿「いつまでも恋人同士でいられるために」の中で、人は努力によっては、配偶者との間でいつまでも新鮮な恋愛感情を持続させることができるということを書いた。そうした努力なしでは、愛情は次第に摩滅して、互いの関係は味気ないものに変わっていく。

陶淵明「山海経を読む」から其九「夸父誕宏の志」

陶淵明「山海経を読む」から其八「自古皆有沒」(不老不死の願望を歌う)を読む。

インドで起きた不思議な話だ。列車のトイレを使っていた妊娠中の女性が、それとは意識せずに子どもを分娩し、その子どもが走っている列車のトイレの穴をすり抜けて、地上に産み落とされたというのだ。その様子をロイターが伝えているので、紹介したい。

パーシー・B・シェリーの詩「あなたのキスがこわい」 I Fear Thy Kisses を読む。(壺齋散人訳)

パーシー・ビッシュ・シェリーの詩「ひばりに寄す」To a Skylark を読む。(壺齋散人訳)

鬼と聞いて現代人が思い浮かべるのは、まず節分の鬼であろう。二本の角を生やし、髪は赤茶けた巻き毛で、口には牙が生え、トラの皮の褌を締めている。これが春の訪れとともにやってきて、人間たちに悪さをするというので、人びとは「鬼は外」と叫びながら、厄除けの豆を投げつけて鬼を退散させ、自分たちの無事を祈るのである。

明日(3月2日)行われるロシア大統領選挙では、プーチンが後継に指名したメドヴェージェフの圧勝が当然視されている。ジャーナリストたちの関心は、大統領就任後のメドヴェージェフがいつまでもプーチンの傀儡でいるのか、それとも、かつてのプーチンがそうであったように、比較的早く庇護者から自立し、独立の道を歩むようになるか、この点に注がれている。



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