陶淵明「山海経を読む」から其八「自古皆有沒」(不老不死の願望を歌う)を読む。
讀山海經其八
自古皆有沒 古より有沒する皆り
何人得靈長 何人か靈長にして
不死復不老 死せず復た老いず
萬歳如平常 萬歳平常の如くなるを得ん
赤泉給我飮 赤泉 我が飮を給し
員邱足我糧 員邱 我が糧を足さば
方與三辰游 方に三辰と游び
壽考豈渠央 壽考 豈渠(あに)央(つ)きんや
古より人は死ぬものと決まっている、だれが靈長となることを得て、死にもせず老いることもなく、長久にわたって若いままでいられようか
ところが赤泉の水を飲み、員邱の木の実を食えば、日、月、星の三辰と肩を並べて遊び、永久に寿命の尽きることがないという
何人も不老不死を願わぬものはない。陶淵明も、無理だとわかりながらそれを願ったようだ。だから山海経の中に、不老不死をもたらしてくれる水や木の実の記事を見出して、こんな詩を作ったのだろう。
山海経海外南経には不死の民についての記述がある。「不死民在其東、其爲人黒色、壽、不死, 一曰在穿匈國東(不死の民は東の地にあって、色が黒く、寿命は尽きることがない、または穿匈國の東に住むという説もある)」
郭璞はこれに注して次のように言っている。「有員丘山,上有不死樹,食之乃壽;亦有赤泉,飲之不老(員丘という山があって、そこには不死の木が生えており、その実を食えば寿命が延びる、また赤泉があって、それを飲めば老いることがない)」
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