12月のわびしい夜 In drear-nighted December :キーツ

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ジョン・キーツの詩「12月のわびしい夜」 In drear-nighted December を読む。(壺齋散人訳)

  12月のわびしい夜でも
  幸せそうでいられる木は
  盛りの頃の枝振りを
  覚えているわけではないけれど
  ぴゅーぴゅーと吹き渡る
  北風に裸にされることもなく
  凍てつくような寒さでさえも
  芽生えを妨げることは出来ぬ

  12月のわびしい夜でも
  幸せそうでいられる小川は
  夏の盛りの頃のように
  泡立ち流れることはないけれど
  それでも時折は思い出して
  水晶のような輝きを見せる
  凍てつくような寒さの中でも
  へこたれることがないように

  大勢の少年少女たちにも
  是非そうあってほしいものだ
  けれど過ぎ去った日を惜しんで
  悲しがらずにすむものは少ない
  感じたくないものを感ずることは
  誰にも慰めえないことだけに
  他の感覚ではごまかせないだけに
  言葉で表すのはむつかしい

単に STANZAS と題されたこの詩は、遺稿の中に残されていたものであるが、書かれたのは比較的早く、エンディミオンを書き上げた頃だろうといわれる。

冬の間は自然の厳しさに抗い、春の訪れを待つ自然の事物と対比させながら、少年少女がそのようにたくましくあって欲しいといっているのだろう。第三節の後半の4行に、この詩の思想が要約されているようだ。


STANZAS - John Keats

    I.

  In drear-nighted December,
  Too happy, happy tree,
  Thy branches ne'er remember
  Their green felicity:
  The north cannot undo them,
  With a sleety whistle through them;
  Nor frozen thawings glue them
  From budding at the prime.

    II.

  In drear-nighted December,
  Too happy, happy brook,
  Thy bubblings ne'er remember
  Apollo's summer look;
  But with a sweet forgetting,
  They stay their crystal fretting,
  Never, never petting
  About the frozen time.

    III.

  Ah! would 'twere so with many
  A gentle girl and boy!
  But were there ever any
  Writh'd not of passed joy?
  The feel of not to feel it,
  When there is none to heal it,
  Nor numbed sense to steel it,
  Was never said in rhyme.


関連リンク: 英詩のリズムジョン・キーツ John Keats :生涯と作品

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