2008年5月アーカイブ

森鴎外最晩年の文業を飾るものは、「渋江抽斎」、「伊沢蘭軒」、「北條霞亭」の、今日史伝三部作と称される作品群である。これらは発表時世人から受け入れられること甚だ薄く、「北條霞亭」にいたっては、連載していた大手新聞社から事実上連載の中断を迫られるほどの扱いを受けた。これらの作品群は鴎外存命中はもとより死後しばらくの間、彼の文業を代表するものとは評価されなかったのである。

赤いバラ:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


バラは人類の歴史と同じほどの長い間人々に愛されてきた。地球の温帯域にはどこでも自生しているので、人の目にとまることが多かったのだろう。花の美しさとともに、薫り高い匂いが、人々にくつろぎをもたらした。また美しい花が、棘に守られていることも、複雑な気持ちを掻き立てたに違いない。

様々な学者や研究者によって書かれた古今のヨーロッパ思想史の書物は、ルネサンスを代表する思想家として、必ずといっていいほど、ニコロ・マキャヴェリの名を筆頭にあげている。これは、この時代に彼をしのぐほどの優れた思想家が現れなかったという事情にもよるが、他方では、彼ほどルネサンスという時代の精神を体現していた思想家はいないという事情もある。

友愛の森 Le bois amical (ポール・ヴァレリー:壺齋散人訳)

  わたしたちは純粋な事柄を考えていた
  道々 肩を並べて歩きながら
  わたしたちは互いの手を握っていた
  言葉少なに 名も知らぬ花に囲まれ

糸を紡ぐ女 LA FILEUSE(ポール・ヴァレリー:壺齋散人訳)

  青い空がのぞいている窓辺で毛糸を紡ぐ女
  外では花壇がメロディアスに揺れている
  古い糸車の単調な音に女はうっとりとした

ポール・ヴァレリー Paul Valéry (1871-1945) は、大詩人であるとともに20世紀のフランスを代表する偉大な知性として認められている。その活動は、詩や文学のほか、音楽をはじめとした多彩な芸術分野、歴史、哲学、数学など様々な領域に渡っており、生涯に渡って知の巨人というに相応しい活動振りを見せた。

クレマチス:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


クレマチスはつる性植物の女王といわれるに相応しく、美しい大輪の花を咲かせる。しかも蔓は枯れることなく、毎年新しい枝を伸ばしては、その先に花を咲かせ続け、数年たつうちには、たくましく成長して大きな株になり、夥しい花を咲かせる。

詩経国風:周南篇から「葛覃」を読む。(壺齋散人注)

  葛之覃兮  葛の覃(の)びるや
  施于中谷  中谷に施(うつ)る
  維葉萋萋  維(こ)れ葉 萋萋たり
  黃鳥于飛  黃鳥于(ここ)に飛ぶ
  集于灌木  灌木に集(つど)ひ
  其鳴喈喈  其の鳴くこと喈喈たり

詩経国風に出てくる十五の国・地方のうち、最初に位置するのは周南である。周南は次に出てくる召南とともに、周の南の地域の歌謡を集めたものだとされる。周の始祖后稷から数代を経た時、周は故地を分かちて、周公と召公とにそれぞれ治めさせた。いづれも今の陝西省の地域に属する。周は後に華北全体を覆う大帝国となるが、そのなかでも陝西省にあった周と召とは、国家の中核をなすところだったのである。

詩経国風

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詩経は中国最古の詩篇を集めたものである。成立過程については諸説あって明らかでない。司馬遷は、孔子が当時伝えられていた三千もの詩篇の中から三百篇を選んで一本に編纂したのだといっている。確固たる根拠はないらしいが、孔子がこれを易や春秋と並んで重視したことは確かで、論語為政篇には次のような記述がある。

ジョン・キーツの詩「アポロへの讃歌」 Hymn To Apollo を読む。(壺齋散人訳)

  黄金の弓を持つ神
  黄金の竪琴を奏でる神
  黄金の髪をなびかす神
  黄金の火を放つ神
  季節を運ぶ
  乗り物の御者
  神よあなたの怒りが静まるのをみて
  ちっぽけなわたしがあなたの花冠を
  あなたの月桂冠 あなたの栄光
  あなたの光を戴いたとしたら
  そんなわたしは地を這う虫に見えるでしょうか?
  おお デルフォイに坐す偉大なアポロよ

ハイペリオン(ヒュペリオーン)は、ギリシャ神話に出てくる神で、ゼウスが支配するようになる以前には、太陽を司る神であった。ゼウスは父親のクロノスを始め、タイタン(ティーターン)族に戦いを挑み、ついに長い戦争を勝ち抜いて、新しい宇宙の支配者になるが、この戦いの中で、ハイペリオンも敗れ、太陽の神の座をアポロに譲り渡す。

マザーグースの歌から「おサルが一匹」There was a monkey climbed a tree (壺齋散人訳)


  おサルが一匹 木の上に上った
  地面にいるのは 落ちたからさ

  カラスが一羽 石の上に止まった
  飛んじゃったなら もういないのさ

マザーグースの歌から「床屋さん」 Barber, barber, shave a pig! (壺齋散人訳)

  床屋さん 床屋さん 豚の毛を刈っておくれ
  何匹分あったらカツラができる?
  20と4匹もあれば十分じゃ!
  お礼に一つまみの嗅ぎタバコをあげましょう

マザーグースの歌から「ワンワン」 Bow, wow, says the dog(壺齋散人訳)

  ワンワンと 犬はいいます
  ニャーニャーと ネコはいいます
  ブーブーと 豚はいいます
  チューチューと ネズミはいいます

  ホーホーと フクロウはいいます
  カアカアと カラスはいいます
  クヮックヮッと ガチョウはいいます
  ではスズメは なんというのでしょう?

「山椒大夫」(さんせう太夫)は、説経や浄瑠璃の演目として古くから民衆に親しまれてきた物語である。安寿と厨子王の悲しい運命が人びとの涙を誘い、また彼らが過酷な運命の中で見せる情愛に満ちた行動が、人間というものの崇高さについて訴えかけてやまなかった。鴎外はそれを現代風の物語に翻案するに当たって、「夢のやうな物語を夢のやうに思ひ浮かべてみた」と書いているが、けだし物語の持つ稀有の美しさに打たれたのであろう。

コデマリ(小手毬):水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


コデマリは春から初夏にかけて、庭の一隅を涼しく彩ってくれる背の低い花木だ。決して鮮やかではないが、細く垂れ下がった枝の先に、房のように花を咲かせるその姿は、清楚なイメージを喚起する。場所をとらず、しかも丈夫なので、小さな庭を飾るには重宝する。

ルネサンス時代は、文学、芸術、建築などの分野で偉大な天才を輩出したが、哲学思想の面では大した人物が出ていない。それでも時代を彩る思想的な流れはあった。人文主義といわれるものがそれである。

マラルメはボードレールに倣って散文の詩もつくった。それらはあまり多い数ではないが、いづれもマラルメらしさが現れている。散文といいながら音楽性にこだわり、書かれている内容も難解きわまるものだ。マラルメはそれらの散文詩をまとめて、「綺語詩篇」Anecdotes ou Poemes と名付けた。

牧神の午後はマラルメ畢生の傑作というべき作品であり、通常の文法を軽視した独特の言葉配置、またその言葉の流れの音楽性において、際立った特徴を有している。クロード・ドビュッシーはこの詩の音楽的な美しさに感動し、同名の有名な曲を作り、また20世紀の詩人たちにも限りないインスピレーションを与えた。

スズラン(鈴蘭):水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


スズランとは名前からして愛らしい花だ。二枚の大きな葉っぱの合間から細い花茎が伸び、そこに小さな花をいくつか咲かせる。花の形は壺状に丸まって、それがうつむき加減に垂れ下がっている様子が鈴のように見える。そのスズランが群がって咲いているさまは、真珠の滴のようでもある。初夏の空気をいっそうすがすがしいものにしてくれる。

古詩十九首から其十九「明月何ぞ皎皎たる」を読む。

  明月何皎皎  明月 何ぞ皎皎たる
  照我羅床幃  我が羅の床幃を照らす
  憂愁不能寐  憂愁 寐ぬる能はず
  攬衣起徘徊  衣を攬りて起ちて徘徊す
  客行雖雲樂  客行 樂しと雲ふと雖も
  不如早旋歸  早く旋歸するに如かじ
  出戶獨彷徨  戶を出でて獨り彷徨し
  愁思當告誰  愁思 當に誰にか告ぐべき
  引領還入房  領を引いて還って房に入れば
  淚下沾裳衣  淚下りて裳衣を沾す

古詩十九首から其十八「客遠方より來る」を読む。

  客從遠方來  客 遠方より來り
  遺我一端綺  我に一端の綺を遺る
  相去萬餘裏  相去ること萬餘裏なるも
  故人心尚爾  故人の心尚ほ爾り
  文采雙鴛鴦  文采は雙鴛鴦
  裁為合歡被  裁ちて合歡の被と為す
  著以長相思  著するに長相思を以てし
  緣以結不解  緣とるに結不解を以てす
  以膠投漆中  膠を以て漆中に投ずれば
  誰能別離此  誰か能く此を別離せん

キンギョソウ(金魚草):水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


キンギョソウは春から初夏にかけて、小さな花をぶどうの房のように沢山咲かせる。一つ一つの花は、金魚が泳いでいるような、ゆらゆらとしたイメージを与えることからこの名がついたとも、また金魚のおちょぼ口を思わせるからこう名付けられたともいわれる。英語では Snapdragon という。こちらは虫を飲み込むようなイメージがドラゴンを思い起こさせるのだと説明されている。

ジョン・キーツの詩「憂愁のオード」 Ode on Melancholy を読む。(壺齋散人訳)

  いやいや 忘却の川へ行ってはならぬ
  根を張ったトリカブトから毒の汁を搾ってもならぬ
  お前のその青ざめた額に
  冥府の女王の毒草を押し当ててもならぬ
  イチイの実でロザリオを作ったり
  カブトムシや毒蛾たちに
  お前の鎮魂歌を歌わせてはならぬ
  毛むくじゃらの梟にお前の悲哀を覗かせてはならぬ
  でなければ次々と襲い来る影が眠気を誘い
  魂の疼く苦悩を溺れさせるだろう

ジョン・キーツのオード「秋に寄す」 To Autumn を読む。(壺齋散人訳)

  霧が漂う豊かな実りの季節よ
  恵みの太陽の親密な友よ
  秋は日の光と手を携えて
  生垣を這う葡萄にも実りをもたらす
  苔むした庭木に林檎の実を実らせ
  一つ残らず熟させてあげる
  ひょうたんを膨らませ ハシバミの実を太らせ
  蕾の生長を少しずつ促して
  花が咲いたら蜂たちにゆだねる
  蜂たちは巣が蜜でねっとりとするのをみて
  暖かい日がずっと続くことを願うだろう


東京下町の夏の風物詩になっている三社祭に、今年はちょっとした異変が起きた。三社の名のとおり三体ある本社神輿の渡御が今年は行なわれなかったのだ。三社祭といえば、本社神輿の渡御が最大の行事であるから、これが行なわれないでは、祭の雰囲気は今ひとつ盛り上がらない。

マザーグースの歌から「ジョニーのお帽子」Johnny shall have a new bonnet
(壺齋散人訳)

  ジョニーにベレー帽をかぶせましょう
  そして市場へ連れて行って
  かわいらしい青いリボンを買って
  ジョニーの栗色の髪に結びましょう

  ジョニーったらとても素敵だわ
  わたしのこともそう思う?
  ジョニーったらとても素敵だわ
  まるで別人になったみたい

男の子って What are little boys made of (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  男の子って何でできてる?
  ぼろきれやカタツムリ
  子犬の尻尾
  そんなものでできてるよ

  女の子って何でできてる?
  砂糖やスパイス
  すてきなことがら
  そんなものでできてるよ

ソロモン・グランディ Solomon Grundy (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  ソロモン・グランディ
  月曜日に生まれた
  火曜日に洗礼を受け
  水曜日に嫁をもらい
  木曜日に病気になった
  金曜日に病気が悪くなり
  土曜日に死んだ
  日曜日には埋められて
  ソロモン・グランディは
  一巻の終わり

森鴎外の小説「安井夫人」は、幕末の漢学者安井息軒とその妻佐代を描いたものである。「興津弥五右衛門の遺書」を皮切りに歴史小説を書き綴ってきた鴎外にとって、その延長上での執筆であるが、それまでの小説とはやや趣を異にしている。テーマというほどのものがなく、息軒とその妻佐代の生涯を手短に淡々と綴ったこの小説は、小説というより、歴史上の人物に関する簡単な史伝といった趣を呈しているのである。

ジャーマンアイリス:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


アイリスは洋種のアヤメである。日本のアヤメよりも生命力が強いらしく、畑や公園の一角、あるいは路傍に咲いているのをよく見かけるようになった。多くは白あるいは紫色の花を咲かすが、この絵にあるように黄色のものもあり、また形状もバラエティに富んでいる。

ルネサンスという言葉は、一時期の日本人にとっては光明にあふれた言葉だった。それはヨーロッパを中世の暗黒から開放し、近代の偉大な文明を用意した幕開けの光として、受け取られた。封建的な残渣を色濃く残し、また無謀な侵略戦争に明け暮れた上、完膚なきまでに叩きのめされた戦後の日本人にとって、西欧文明は改めて学び取るべき模範として意識されたのであるが、その西洋文明がルネサンスを契機にして花開いたことを知った日本の知識人は、この言葉をお経の題目のように唱え始めたものだった。

ステファヌ・マラルメの詩「ヴェルレーヌの墓」Tombeau (de Verlaine) を読む。(壺齋散人訳)

  黒い墓石が吹きまくる北風に怒る
  それでも存在することをやめず 背教の点でなら
  自分は人間の悪意に似ていると感じて
  死者の遺影に冥福を祈るのだ

ステファヌ・マラルメの詩「ボードレールの墓」Le Tombeau de Baudelaire を読む。(壺齋散人訳)

  埋まった宮殿の排水口の奥にのぞいているのは
  墓の中からよだれのように染み出たガラクタども
  ぞっとするようなアヌビスの彫像
  その獣のようにとがった鼻面
 

古詩十九首から其十七「孟冬寒氣至る」を読む。

  孟冬寒氣至  孟冬 寒氣至り
  北風何慘栗  北風 何ぞ慘栗たる
  愁多知夜長  愁ひ多くして夜の長きを知り
  仰觀眾星列  仰いで眾星の列なるを觀る
  三五明月滿  三五 明月滿ち
  四五蟾兔缺  四五 蟾兔缺く
  客從遠方來  客 遠方より來り
  遺我一書劄  我に一書劄を遺る
  上言長相思  上には長く相思ふと言ひ
  下言久離別  下には久しく離別すと言ふ
  置書懷袖中  書を懷袖の中に置き
  三歲字不滅  三歲なるも字滅せず
  一心抱區區  一心に區區を抱き
  懼君不識察  君の識察せざらんことを懼る

古詩十九首から其十六「凜凜として歲雲に暮る」を読む。

  凜凜歲雲暮  凜凜として歲雲に暮れ
  螻蛄夕鳴悲  螻蛄 夕べに鳴き悲しむ
  涼風率已厲  涼風 率かに已に厲しく
  遊子寒無衣  遊子 寒くして衣無し
  錦衾遺洛浦  錦衾 洛浦に遺りしも
  同袍與我違  同袍 我と違へり
  獨宿累長夜  獨り宿して長夜を累ね
  夢想見容輝  夢に想ふて容輝を見る
  良人惟古歡  良人 古歡を惟ひ
  枉駕惠前綏  駕を枉げて前綏を惠まる
  願得常巧笑  願はくは常に巧笑し
  攜手同車歸  手を攜へ車を同じうして歸ることを得んと
  既來不須臾  既に來りて須臾ならず
  又不處重闈  又重闈に處らず
  亮無晨風翼  亮に晨風の翼無し
  焉能淩風飛  焉んぞ能く風を淩いで飛ばん
  眄睞以適意  眄睞 以て意に適ひ
  引領遙相希  領を引いて遙かに相希ふ
  徙倚懷感傷  徙倚して感傷を懷き
  垂涕沾雙扉  涕を垂れて雙扉を沾す

チューリップ:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


春の花壇を彩るチューリップは、その名が物語るように舶来の種で、明治以降日本に伝わった。だが今日ではすっかり日本人の趣向に溶け込み、この花を見ないでは春の訪れに実感が伴わないほど、広く深く愛されるようになった。

ジョン・キーツの詩「居酒屋マーメイド」 Lines on the Mermaid Tavern を読む。(壺齋散人訳)

  死んでいった詩人たちの魂よ
  あなたがたの通った居酒屋マーメイドは
  どんな素敵な野原やコケ蒸した洞窟
  どんな理想郷より素晴らしかったそうですね
  あなたがたの啜ったカナリアのワインは
  どんな飲み物にも増してうまかった
  天上のフルーツでさえも
  この店の鹿肉のパイにはかなわない
  何たる美味!
  あなたがたはロビンフッドのように
  マリアンのような女性をはべらせ
  鹿の角にワインをくんで飲んだのでしたね

ジョン・キーツのオード「ギリシャの壺に寄す」Ode on a Grecian Urn を読む。(壺齋散人訳)

  いまなお穢れなき静寂の花嫁よ
  沈黙と悠久の養女よ
  森の歴史家でもあるお前は
  誰よりもやさしく花物語を語る
  お前が神であれ人間であれ
  お前の姿にはテンペあるいはアルカディアの谷の
  緑に縁取られた伝説が付き添う
  お前に描かれたものは 男か神か 拒絶する乙女たちか
  狂おしき狩の追跡か 逃れようとする獣のあがきか
  ラッパと太鼓 荒々しい陶酔か

僕たち、わたしたち Boys and girls come out to play(マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  僕たちもわたしたちも外へ出て遊ぼう
  月の光が昼間のように明るいよ
  大きな輪っかや小さな輪っかを
  元気いっぱい転がして遊ぼう
  食べたり寝てたりしてるより
  友達と遊ぶほうが楽しいよ
  はしごを上ったり塀から飛んだり
  おなかがすいたらパンを食べよう
  でもパンがなくなったらどうしよう?
  そのときにはまた働いて稼ぐんだ

ヘクター・プロテクター Hector Protector (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  ヘクター・プロテクターは緑色におめかし
  女王様のところにご挨拶
  でも女王様はヘクターがお嫌い
  王様はもっと嫌いなさる
  仕方なくヘクターは戻ってきました

ガマ君とカエル君 The toad and the frog(マザーグースの歌:壺齋散人訳)


  「げろっ」とガマ君がいいました
  「おなかがすいたみたいだな
  そういえば朝からずっと
  食べたり飲んだりしていない

白いガーベラとオレンジ:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


ガーベラはキク科の多年草である。旺盛な生命力を持つと見え、春と秋と年に二度咲き、しかも数年にわたって咲き続けるという曲者である。しかも花は豪華なイメージを与え、切花にして花束に添えると、ぱっと明るくなるので、人気の高い花だ。

森鴎外が大正二年の十二月に書き上げた歴史小説の第五作目「大塩平八郎」は、それまでの歴史小説とはいささか趣を異にしている。

ウィリアム・オッカム(またはオッカムのウィリアム William of Occam 1290?-1349?)は、ドゥンス・スコトゥスと並んでスコラ哲学の最後の世代を代表する学者である。オッカムとは彼の生まれた土地の名である。イングランドのサリー州にあったともいい、ヨーク州にあったともいう。当時聖職者の名を、その出身地によって呼ぶことが広く行なわれていた。聖トマス・アクィナスも、やはり父親の知行地アクィノが自分の姓名になっている。


モディリアーニは西洋の近代絵画のなかでも日本人に最も愛されている画家の一人だ。その展覧会が乃木坂の国立新美術館で開催されている。筆者もモディリアーニ・ファンの一人として見に行ったが、予想以上に多くの人々が訪れているのに驚いた。人気の根強さを伺わせる。

ステファヌ・マラルメの詩「エドガー・ポーの墓」Le Tombeau d'Edgar Poe を読む。(壺齋散人訳)

  ついに永遠が彼自身の姿となって現れたかのように
  詩人が諸刃の剣を振りかざして起き上がると
  同時代人たちは改めて思い知らされるのだ
  この奇怪な声の中に勝ち誇っている死のことを

ステファヌ・マラルメの詩「マラルメ嬢の扇」 Autre Éventail de Mademoiselle Mallarmé を読む。(壺齋散人訳)

  夢多き子よ 道なき道をたどり
  お前の純粋な喜びのうちに浸れるように
  嘘でもよいから言っておくれ
  私の翼をお前の手で受け止めてくれると

喇叭水仙:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


水仙の仲間のうち、花弁の内側にある副花冠と呼ばれる部分が喇叭のように飛び出しているものを喇叭水仙という。日本では、水仙といえば平べったい日本水仙をさすことが普通なので、この変わった形のものを喇叭水仙というようになったが、欧米ではこちらのほうが水仙の主流だ。英語でも Daffodil といえばこの喇叭水仙をさしている。

古詩十九首から其十五「生年百に満たず」を読む。

  生年不滿百  生年 百に滿たざるに
  常懷千歲憂  常に千歲の憂ひを懷く
  晝短苦夜長  晝は短くして夜の長きに苦しむ
  何不秉燭遊  何ぞ燭を秉りて遊ばざる
  為樂當及時  樂しみを為すは當に時に及ぶべし
  何能待來茲  何ぞ能く來茲を待たん
  愚者愛惜費  愚者は費を愛惜し
  但為後世嗤  但 後世の嗤ひと為る
  仙人王子喬  仙人王子喬は
  難可與等期  與に期を等しうすべきこと難し

古詩十九首から其十四「去る者は日に以て疏し」を読む。

  去者日以疏  去る者は日びに以て疏く
  来者日已親  来る者は日びに已に親しむ
  出郭門直視  郭門を出でて直視すれば
  但見丘與墳  但 丘と墳とを見るのみ
  古墓犁為田  古墓は犁かれて田と為り
  松柏摧為薪  松柏は摧かれて薪と為る
  白楊多悲風  白楊 悲風多く
  蕭蕭愁殺人  蕭蕭として人を愁殺す
  思還故里閭  故の里閭に還らんことを思ひ
  欲歸道無因  歸らんと欲するも道に因る無し

1819年は、ジョン・キーツにとって実り多き年であった。エンディミオンを通じて自分の詩風を確立したキーツは、その才能の限りを注ぎ込み、Great Odes と呼ばれる一連の美しい詩を作り出した。「ナイチンゲールに寄す」は、そのトップランナーとも称すべき作品である。

ジョン・キーツの詩「美しいけれど無慈悲な乙女」 La Belle Dame Sans Merciを読む。(壺齋散人訳)

  いかがなされた 鎧の騎士
  ひとり青ざめ さまよわれるとは?
  湖畔の草はことごとく枯れ
  鳥の声もせぬというのに


インド北部ニューデリー近くのサイニという村で、双面の女の子が生まれたそうだ。ラリと名付けられたこの子は、頭部に二つの顔が並んでついており、頬っぺたのところを境界線にして、左右に二つずつの目、一づつの鼻と口がそれぞれ対称をなしてついている。医学的には Craniofacial Duplication (頭蓋顔面複写)というのだそうだが、発生の確率は非常にまれで、近年の報告例はほとんどない。

父ちゃんは死んだ My father he died (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  父ちゃんは死んじゃったけれど
  六頭の馬を残してくれた それで畑を耕すように
  あっちへふらふら こっちへふらふら
  なにもかもすってんてん
  まつ毛の先には
  シャボン玉が見える ホー!

小さなベティちゃん Little Betty Blue (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  小さなベティちゃん
  片方の靴をなくしたの
  どうしたらいいかしら
  もう片方に合う靴を
  見つけてきたらいいのよ
  そうすれば二つそろうから

テンジクネズミ A little guinea-pig (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  ちっぽけなテンジクネズミがおりました
  小さな体は大きくはありません
  歩くときには足を動かし
  決して急ぐことはありませんでした

米誌タイムは電子版で、世界中で今年最も影響力を行使するであろうと予想される人物100人について特集記事を発表した。同誌が最近毎年特集しているもので、今回で5回目になる。それによると、今年の影響度ナンバーワンはチベットの精神的・政治的指導者ダライ・ラマだということだ。

日本水仙:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


水仙はその可憐な姿に似合わずたくましい花だ。特に日本水仙と呼ばれるものは、関東では正月前後に咲き始め、春近くまで延々と咲き続ける。その間、雪に閉じ込められても、風に吹き揺るがされても、へこたれることなく頭を持ち上げ、眺め入る人々に何かを訴えかけるかのようだ。

森鴎外は「意地」に収められた三篇の作品の後、「護持院原の敵討」という短編小説を書いた。先の三篇が殉死あるいはそれに象徴される封建時代における武士の体面とか意地をテーマにしていたのに対し、これは敵討というものをテーマに取り上げることによって、封建道徳の内実と、それに呪縛され翻弄される者の運命を描いたものである。

スコラ哲学を体系化したのはドミニク派の修道僧でもあったトマス・アクィナスであるが、ドミニク派と並んで勢力のあったフランチェスコ団は、さまざまな点でトマスの説と対立し、互いに論争しあっていた。フランチェスコ団に属する修道僧たちは、創設者アッシジのフランチェスコの衣鉢をついで、トマス・アクィナスとは一風変わった説を展開していた。それは簡単に言うと、トマスの主知主義に対して、実践や人間の意志をより強く押し出すというものであった。

ステファヌ・マラルメの詩「マラルメ夫人の扇」 Éventail de Madame Mallarméを読む。(壺齋散人訳)

  言霊を振り放つような
  あなたの扇の一振りが
  未来の詩句を解き放つ
  その貴重な棲家から



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