モディリアーニ展を見る

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モディリアーニは西洋の近代絵画のなかでも日本人に最も愛されている画家の一人だ。その展覧会が乃木坂の国立新美術館で開催されている。筆者もモディリアーニ・ファンの一人として見に行ったが、予想以上に多くの人々が訪れているのに驚いた。人気の根強さを伺わせる。

今回の展示会は日本国内では過去最大規模だという。油絵を中心にスケッチ類まで計150点が展示されている。そのなかにはユゲットの肖像画やジャンヌ・エビュテルヌの半身像など有名な作品も多数含まれている。世界中のコレクションから借りてきたというから、モディリアーニの作品をこれだけまとまめ見られる機会はそう多くはないだろう。

展覧会は、モディリアーニの生涯の時代区分に従い、駆け出し時代の野生的な絵、カリアティードを中心にした作品群、過渡的な時代の作品、そして完成期の肖像画群という具合に、テーマ別に展示していた。

今回特に印象的だったのは、カリアティードの展示が充実していたことだ。カリアティードとは、柱の上部に彫られた人体の模型で、柱の上に乗っている梁を支えるかのように装飾された彫像のことだ。モディリアーニのカリアティードと呼ばれる作品が、いづれも両手を上に掲げ、何かを支えているように見えるのは、そのためなのである。

モディリアーニは、はじめ彫刻家になることを志し、そのテーマとしてカリアティードを選んだ。彫刻やデッサンの形で夥しいカリアティード像を作成しているが、彼自身はこれらを用いて、本格的な建築物を作るのが夢だったらしい。

カリアティードのフォルムは単純化され、アフリカの原始的な美術を思わせる。これは彼が初期に受けたプリミティヴィズムの反映であることが、展示作品の配列から、目に見える形で伝わってくる。

円熟期の作風に見られる、所謂モディリアーニらしさとは、平板な画面構成、単純化されたフォルム、長い首や塗りつぶした瞳などに見られるデフォルメである。これらとカリアティードを一度に眺めわたしてみると、両者の間には共通するものが感じられる。それはモディリアーニが駆け出し時代に体験したプリミティヴィズムなのだということを、今回改めて納得した。

展覧会にはまた、モディリアーニがマックス・ジャコブやアンドレ・サルモンらと一緒にいるところをジャン・コクトーが写した写真も展示されていた。この時代は、芸術家がジャンルや国籍を超えて交流したよき時代であった。コクトーの写真はそんなことを感じさせた。

モディリアーニは35歳で死んだ。彼の多くの絵のモデルとなった妻のジャンヌは、コクトーの死んだ翌々日に自殺した。モディリアーニの死をめぐっては、いまだに様々な伝説が伝えられている。

なお、上の絵は「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」をモチーフにして、筆者が水彩絵の具で描いたものである。


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    このページは、が2008年5月 9日 19:08に書いたブログ記事です。

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