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ルネサンスと宗教改革


ルネサンスという言葉は、一時期の日本人にとっては光明にあふれた言葉だった。それはヨーロッパを中世の暗黒から開放し、近代の偉大な文明を用意した幕開けの光として、受け取られた。封建的な残渣を色濃く残し、また無謀な侵略戦争に明け暮れた上、完膚なきまでに叩きのめされた戦後の日本人にとって、西欧文明は改めて学び取るべき模範として意識されたのであるが、その西洋文明がルネサンスを契機にして花開いたことを知った日本の知識人は、この言葉をお経の題目のように唱え始めたものだった。

今日では、ルネサンスを光明の側面だけで見るのは的外れの味方だとされるようになった。中世との断絶ではなくその連続性が強調されるようにもなった。運動としては一部の知識層に限定され、民衆とのつながりが浅かったことも強調されるようになってきている。また哲学史の面では、ルネサンス時代は真に偉大な思想家を一人も出していない。こんなところから最近では、精神運動としての底の浅さが指摘されるようになってきた。

だがそれでも、ルネサンスがヨーロッパの歴史を画す偉大な時代であり、中世から近代への橋渡しの役割を果たしたことは否めない。たしかに偉大な思想家は出現しなかったが、絵画、彫刻、文芸、建築など、さまざまな分野で新しい風を巻き起こした。

一方ルネサンスの落とし子ともいえる宗教改革については、日本人はあまり深刻に受け取ることがなかった。宗教改革は、ヨーロッパの精神史においては、ルネサンスとは比較にならぬほど大きな影響を及ぼしたのだが、日本人はそれを額面どおり評価することがなかった。それは日本の歴史の中で、宗教が政治や社会のあり方ときわどい関係を持つことがなかったという、歴史的な事情にもよるのだろう。

ルネサンスといえば、ダ・ヴィンチやミケランジェロに代表される絵画や彫刻芸術がまず思い浮かび、彼らの活躍した15世紀後半から16世紀前半がもっとも華やかな時期としてイメージされる。だがそもそもルネサンスは、一名を文芸復興ともいうように、文芸の分野での運動として始まった。

ダンテをルネサンス人に分類するのは多くの点で困難があるが、ペトラルカとボッカチオは立派なルネサンス人である。彼らは14世紀のイタリアに生きた人であった。このことから、ルネサンスは14世紀の半ばごろにイタリアで始まり、16世紀の末ごろまで続いた精神的な運動、あるいは雰囲気と定義することができよう。16世紀には、ルネサンスの精神はアルプスを越えて北方ヨーロッパにも広がり、その精神運動の中から宗教改革の運動が生まれてくる。

ルネサンスにはかように幅広い面があるが、本稿は哲学史をテーマにしている手前、ルネサンスが哲学史、あるいは人類の精神史の発展にとってどのような意味をもったのか、そこに焦点をあてて論考してみたい。

思想運動としてのルネサンスは中世との関連において考える必要がある。これまではとかく、ルネサンスとは中世との断絶の層においてとらえられてきた。しかしルネサンスを中世との断絶の層だけでとらえるのは妥当ではない。そこには、断絶と並んで連続がある。ロシアの思想家ミハイール・バフチーンなどは、ルネサンスを中世的世界像の完成された形態だと考えているほどだ。

ヨーロッパの中世とは、先稿で考察したように、4世紀末頃から15世紀前半に至るまでの、およそ10世紀にわたる期間をカバーしている。途中民族大移動などの激動の時代を含んではいるが、概して変化に乏しく、固定した世界観のもとで、人びとは毎日を昨日の繰り返しとして生きていたと考えられてきた。

中世という時代の特性をどうとらえるかについては、色々と議論があるだろう。筆者は、精神史的な観点からこれをみれば、ヨーロッパ中世とは教会(カトリック教会)が君臨した時代であったと考えている。

キリスト教が長い弾圧の時代を潜り抜けて、宗教としてゆるぎない地位を獲得し、巨大な教会組織としての体裁を整えたうえに、国家の統治機構の一環にまで自己増殖したのは4世紀末のことである。その時代にはアウグスティヌスらの偉大な宗教家が現れ、カトリック教会が人びとを組織していくための、宗教的、思想的な基盤を整えた。中世とは、カトリック教会の組織的、精神的な影響が社会全体を導いた時代であったのである。

カトリック的世界観は、先行する古代及び同時代とのかかわりにおいて独特のパフォーマンスを見せた。

カトリック的中世に先行しては、ローマとヘレニズムの世界があり、それに先行するギリシャの世界があった。カトリックは一部そうした先行する時代の精神を取り込みはしたが、基本的には、ギリシャ人のもっていた旺盛な探求精神とは縁遠いところで、自らの世界観を形成していった。それは、神学的で固定した宇宙観に支えられていたのである。

一方、カトリック教会は、同時代に行なわれていた民衆の風俗にするどく敵対した。とりわけアルプス以北のゲルマン人の社会においては、キリスト教とは縁のない伝統的な風俗が根強く残っていたが、カトリック教会はそれらを野蛮あるいは異教的といってことごとく弾圧の対象とした。

個人の意識、あるいは信仰をめぐっては、カトリック教会は個人と神とを結びつける仲介者として圧倒的な存在であった。中世においては、個人は直接神と向き合うのではなく、カトリック教会を通じて神の恩寵を蒙るのだと信じられていた。個人はだからカトリック教会を離れた生活など想像だにできなかったのである。

ルネサンスは、なによりもまず、こうしたカトリック教会の権威を否定することから始まった。

まず人文主義者たちによってスコラ哲学が解体された。彼らはトマス・アクィナスを頭越しにして直接プラトンやギリシャの思想家たちと向き合うようになり、そこから新しい精神の動きを探求するようになる。

スコラ哲学に象徴されるカトリック的な精神の権威が揺らぐと、それまで抑圧されていた、民衆の因習的な思想も息を吹き返した。ルネサンス時代は合理的な精神にあふれた時代だったとの誤った見方があるが、実際にはこの時代ほど、迷信の横行した時代はなかったのである。そうした迷信には占星術や錬金術といったものがあった。それらはカトリックが支配的だった時代には、異教として抑圧されていたのだが、ルネサンスの時代に大規模に復活したのである。

これまでカトリック教会を仲介にして神と向き合っていた人びとも、そこに疑問を感ずるようになった。人は教会を介さず、直接神と向き合い、そこに信仰の証を求めるべきではないか。そうした漠然とした宗教的雰囲気が、ウィークリッフやフスの運動を目覚めさせ、やがてルターによる宗教改革へとつながっていく。

以上極簡単に、ルネサンス時代というものの特性を述べたが、それは中世との連続の層にあるとともに、一部で古代とつながり、一部では近代への萌芽をはらんだ、思想的には複雑な時代であったといえる。


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