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森鴎外「山椒大夫」:献身の愛


「山椒大夫」(さんせう太夫)は、説経や浄瑠璃の演目として古くから民衆に親しまれてきた物語である。安寿と厨子王の悲しい運命が人びとの涙を誘い、また彼らが過酷な運命の中で見せる情愛に満ちた行動が、人間というものの崇高さについて訴えかけてやまなかった。鴎外はそれを現代風の物語に翻案するに当たって、「夢のやうな物語を夢のやうに思ひ浮かべてみた」と書いているが、けだし物語の持つ稀有の美しさに打たれたのであろう。

物語の原作とも言うべき説経の「さんせう太夫」と鴎外の「山椒大夫」を読み比べてみると、そこには著しい相違のあることがわかる。骨格は無論そう異なってはいないのだが、原作に見られるすさまじいまでの怨念と、それをめぐる残酷な描写が鴎外の小説では省かれているのである。その異同については、別稿「さんせう太夫:安寿と厨子王の物語」の中で展開しておいたので、それを参照していただきたい。

鴎外は「山椒大夫」の物語を書くにあたっては、原作にある余計な部分を切り捨てて、人間のもっとも崇高な部分に焦点を当てた。鴎外はこの作品の中で、献身の愛がそれだといっているのである。

鴎外はその献身の愛を安寿に体現させている。鴎外の筆運びは淡々としているが、安寿の愛を描くときには、きらりと光るような冴えを見せる。

人買いによって母親と離れ離れに売り飛ばされた安寿と厨子王は、山椒大夫の館へと売られてくる。そこで二人は奴小屋と婢小屋に別れて住まわせられそうになるが、山椒大夫の次男二郎の温情によってひとつの小屋にともに住むことを許される。この部分は原作では、兄弟への罰として、忌小屋に軟禁される筋になっているのを、鴎外が作り変えたのである。

山椒大夫の館にいる恐ろしい人間たちの中で、二郎は小萩と並んで、暖かい心を持った人間として描かれているが、これも原作にはないところである。

安寿は日に陰に厨子王をかばうが、やがて厨子王一人を逃がして都に行かせ、そこで運を掴んでもらいたいと願うようになる。そのために自分がどうなろうと、厨子王さえ助けられることができれば、本望なのである。

安寿が厨子王を逃がす場面は感動的だ。周到な計画を練って、厨子王と二人だけで山へ仕事に行くことを許された安寿は、その機会を利用して厨子王を逃がす。二人が山の中に上っていくさまを、鴎外は次のような一文で飾っている。

「丁度岩の面に朝日が一面にさしてゐる。安寿は重なり合った岩の、風化した間に根を卸して、小さい菫の咲いてゐるのを見付けた。そしてそれを指差して厨子王に見せて云った。<御覧。もう春になるのね。>」

春の訪れを弟の旅立ちに重ねた象徴的な言葉である。つづいて安寿は弟を説得して逃亡を進める。弟は姉の身の上を案ずるが、姉の毅然とした態度に圧倒されて、姉のいうようにする。姉は守り本尊の地蔵様を取り出して、それを弟に託す。それを持ってとりあえず近くに塔の見える寺まで行き、そこで追っ手をやり過ごした後で都にいきなさい、寺がお前をかくまってくれるかくれないか、その運は天にまかせなさいと、言い放つのである。

「さあ、それが運試しだよ。開ける運なら坊さんがお前を隠してくれるでせう。
「さうですね。姉さんのけふ仰ることは、まるで神様か仏様が仰るやうです。わたしは考えを決めました。何でも姉さんの仰る通りにします。」

この後、原作では安寿の拷問されるさまが、身の毛のよだるような有様に描かれる。安寿は山椒大夫の三男三郎の手によって、嬲り殺しにされてしまうのである。

だが鴎外はその部分を切り捨て、厨子王の逃亡の様子を描く。厨子王は寺の坊主の機転と、安寿のくれた地蔵の功徳に助けられて、無事都にたどり着き、そこで運に恵まれ出世した後、佐渡島まで母を求めに赴き、そこで両足の腱を切られ、不自由な体で鳥を追う母親と感動的な再開をする。

原作の説経が残忍な場面を多く含んでいるのは、人間の怨念を強調するためであった。主人公たちが残酷な扱いを受ければ受けるほど、それにたいする聴衆の感情は高まったものになり、結末に訪れる復讐の場面にも、大きな効果を及ぼすからだろう。だが鴎外は安寿の献身を描くに際して、そうした小細工は必要がないと考えたのであろう。安寿の悲惨な運命は読者の想像力にゆだね、その献身の愛そのものに焦点を当てたのだろう。

この小説は鴎外の作品のなかでも、言葉の美しさ、わかりやすさでぬきんでている。鴎外の小説は、古びた言葉遣いや論理の修飾において、漱石などに比べると、現代の読者には読みづらいところがある。だがこの小説ばかりは、今日の若い人たちが読んでも、素直に理解できる。

鴎外はこの作品を、後に児童文学のジャンルの中に入れてみたりしているから、始めからわかりやすい言葉で書こうとする意図があったものと思われる。また説経に見られる残酷な要素を切り捨てたのは、若い人たち向けには、あまり意味がないと考えたからだろう。

(参考)

  • さんせう太夫(山椒大夫―安寿と厨子王の物語)

  • 関連リンク: 日本文学覚書森鴎外晩年の歴史小説






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