2008年6月アーカイブ

バイロンの詩「オーガスタに捧げる」STANZAS TO AUGUSTA を読む。(壺齋散人訳)

  わたしの幸運の日が過ぎ去り
  わたしの運命の星が傾いても
  あなたは優しい心をもって
  わたしの過ちを見逃してくれた
  あなたはわたしの悲しみをみて
  それを自分のものとして受け取ってくれた
  わたしの魂が思い描く愛とは
  あなたなしではありえなかった

バイロンの詩「音楽に寄せて」 Stanzas for Music を読む。(壺齋散人訳) 

  美の女神の娘たちのなかでも
  お前ほど魅惑的なものはない
  お前のその甘い声は
  水が奏でる音楽のようだ
  その声にうっとりとして
  大海原も静まりかえり
  波はきらりと閃光を発し
  風は気持ちよく夢見るようだ

賢い男 There was a man in our town (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  町に男が暮らしてたとさ
  知恵があるともっぱら評判
  イチゴ畑に飛び込んで
  目玉がふたつ飛び出たとさ

  これは大変目玉がないぞ
  知恵を絞って考えると
  イチゴ畑に飛び込んで
  目玉をふたつ取り戻したとさ

ポリー Polly, put the kettle on (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  ポリー やかんをかけといて
  ポリー やかんをかけといて
  ポリー やかんをかけといて
  みんなでお茶を飲みましょう

カランコロン Ding, dong, bell (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  カランコロンと 鐘の音
  子猫ちゃんは井戸の底

  子猫を放ったのは誰ですか?
  いたずらっ子のジョニーです

  子猫を出してあげたのは誰?
  ちびっ子のトミーです

  なんてきかんぼなんでしょう
  子猫ちゃんをいじめるなんて
  
  なにもおそそをしてないのに
  ネズミをかじっただけなのに

オステオスペルマム:水彩で描く折々の花


オステオスペルマムは別名をアフリカンデージーというように、南アフリカ原産の、キク科の多年草である。オステオスペルマムという名前自体は、osteo (骨)と spermum(精子)を組み合わせたものだが、この花のどこがそんなイメージを呼び起こすのか、筆者にはわからない。

鴎外の長大な史伝体小説「伊沢蘭軒」は、主人公たる伊沢蘭軒二十一歳の歳、寛政九年(1797)に始まり、孫の棠軒が没する明治八年(1875)で終っている。そのカバーする時代は、蘭軒一族の三代にわたる八十年間である。

マルティン・ルター Martin Luther (1483-1546) が始めた宗教改革は、ヨーロッパの精神史上において、巨大な意義を持つ出来事だった。影響の範囲からすればルネサンスの比ではない。ルネサンスが一部の知識人を中心としたサークル的な運動にとどまったのに対し、宗教改革は広範な民衆を巻き込み、巨大なうねりとなって社会を変えていった。特に北部ヨーロッパにおいては、宗教改革は、社会や政治のあり方、経済活動の変動とも密接に結びついているのである。

オダマキ(苧環):水彩で描く折々の花


日本に自生するミヤマオダマキは、高山性の山野草である。初夏から夏にかけて、関東地方以北の山に登ると、薄紫色の花弁を下に向けた姿勢で、可憐に咲いているのをあちこちで目にする。

ポール・ヴァレリーの詩「消えうせたワイン」Le vin perdu (壺齋散人訳)

  いつだったか またどこだったか
  わたしは大海の中に向けて
  虚無への捧げもののように
  少しだが貴重なワインを注いだ

ポール・ヴァレリーの詩「柘榴 」Les Grenades (壺齋散人訳)

  熟した実の過剰さに負けて
  開きかけた硬い柘榴
  あたかも賢者の額から
  思想がはじき出たかのようだ

大内宿を歩く

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今年の七月に筆者が定年退職するのを記念して、職場の連中が送別旅行を催してくれた。マイクロバスのレンタカーを借り、一泊二日で会津方面へ行こうというのである。計画を煮詰めるに当って、幹事役が筆者に、寄りたいところがあればいえという。そこで筆者は迷うことなく、大内宿を歩いてみたいと答えた。

詩経国風:邶風篇から「柏舟」を読む。(壺齋散人注)

  汎彼柏舟  汎たる彼の柏舟
  亦汎其流  亦た汎として其れ流る
  耿耿不寐  耿耿として寐ねられず
  如有隱憂  隱憂あるが如し
  微我無酒  我に酒の以て敖(ごう)し
  以敖以遊  以て遊する無きに微(あら)ず

詩経国風:召南篇から「小星」を読む。(壺齋散人注)

  嘒彼小星  嘒(けい)たる彼の小星
  三五在東  三五 東に在り
  肅肅宵征  肅肅として宵(よる)征き
  夙夜在公  夙夜 公に在り
  寔命不同  寔(これ)命同じからざればなり

詩経国風:召南篇から「摽有梅」を読む。(壺齋散人注)

  摽有梅    摽(お)ちて梅有り
  其實七兮  其の實七つ
  求我庶士  我を求むるの庶士
  迨其吉兮  其の吉に迨(およ)ぶべし

バイロンの詩「冷たさが人を包んで」 When coldness wraps this suffering clayを読む。(壺齋散人訳)

  冷たさが人を包んで粘土のように変えるとき
  不滅の魂よ 汝はどこにさまよい出るのだ?
  汝は死すことなく とどまることもなく
  抜け殻となった体を残して飛び出す
  もはや形にとらわれない汝は
  惑星の軌道をひとつずつたどっていくのか?
  それとも広大な宇宙を一瞬のうちに
  内なる目でとらえるのか?

ロード・バイロンの詩「彼女の歩く姿の美しいさま」 She walks in beauty を読む。(壺齋散人訳)

  彼女の歩く姿の美しいさまは
  雲ひとつない星空のようだ
  闇の黒さと星々の輝きが
  彼女の姿 目の中で出会い
  やさしい光を放っている
  真っ白な昼には見られない光だ

ジョージ・ゴードン・バイロンGeorge Gordon Byron (1788-1824) は、イギリスのロマン主義が怒涛のように渦巻いた時代に、常にその渦の中心にいた詩人だった。生前はもとより、19世紀中を通じて、ロマンティシズムのチャンピオンとして受け取られたばかりか、シェイクスピアと並んで、イギリスが生んだ最も偉大な詩人だと考えられていた。今日ではシェリーやキーツの後塵を拝するようになってしまったバイロンだが、そのユニークで壮大な業績はやはり超一流の芸術といわねばならない。

雨 雨 降りやめRain rain go away (マザーグースの歌:壺齋散人訳)


  雨 雨 降り止め
  別の日に降れ
  ジョニーが外で遊べるように
  雨 雨 スペインで降れ
  ここでは降るな

小さな女の子 There was a little girl (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  小さな女の子の髪の毛には
  小さなカールがかかっていました
  ひたいの中ほどにかかってたんです
  女の子の機嫌がよいと
  それはとても可愛いのです
  女の子の機嫌がわるいと
  それはとてもこわいのです

小さな男の子 There was a little boy and a little girl (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  小さな男の子と小さな女の子が
  裏通りに住んでいました
  男の子が女の子に話しかけました
  あのね あのね

  女の子が男の子にいいました
  なんの ごよう
  男の子は女の子にいいました
  君にキスしてあげたいの

ドクダミ:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


ドクダミは雑草といっていいほどありふれた花なので、こんなものに絵心をそそられるものは、あまりいないかもしれない。しかし近寄ってよく眺めると、赤茶色の茎の先に四弁の白い花びらと、その上にちょこんと乗った黄緑色の粒々が、なんともいえず愛嬌があって面白い。

森鴎外史伝三部作の第二「伊沢蘭軒」は、「渋江抽斎」の新聞連載終了後、「寿阿弥の手紙」の連載を挟んで、ほぼ一ヶ月後には連載が始められている。鴎外は渋江抽斎について書き進んでいくうちに、抽斎の師であった蘭軒に深い関心を抱くようになり、この人物についてどうしても書いてみたいという強い衝動にとらわれたらしい。

パラケルスス Paracelsus (1493-1541) は、ルネサンス期に活躍した神秘思想家であり、かつ錬金術師であった。パラケルススという名は、本名であるテオフラストゥス・フォン・ホーエンハイムのファミリーネームをギリシャ語風に言い換えたとも、あるいは、古代の医学者ケルススを超えるという意味を含ませたとも言われる。

ポール・ヴァレリーの詩「風の精」 Le Sylphe (壺齋散人訳)

  見えず 知られず
  わたしは香り
  生き生きと また消え消えと
  風に乗ってやってきます 

ポール・ヴァレリーの詩「眠る女」 La Dormeuse (壺齋散人訳)

  どんな秘密を心の中で燃やしているのか?
  わたしの女友達 優しい顔で花の香りを呼吸する人よ
  どんなものを食べたおかげで その体内の温かみから
  眠れる女のこの輝きが生まれてくるのか?

ナスタチウム:水彩で描く折々の花(壺齋散人訳)


ナスタチウムは、和名をキンレンカ(金蓮花)という。葉が蓮に似ていることからそう名付けられた。金を冠しているのは、原種が黄色の花を咲かせるからだろう。またノウゼンハレン(凌霄葉蓮)とも称される。ノウゼンカズラに似ているからということらしい。

詩経国風:召南篇から「殷其雷」を読む。(壺齋散人注)

  殷其雷    殷たる其の雷
  在南山之陽 南山の陽(みなみ)に在り
  何斯違斯  何ぞ斯れ斯(ここ)を違(さ)って
  莫敢或遑  敢(あ)へて遑(いとま)或ること莫きや
  振振君子  振振たる君子
  歸哉歸哉  歸らん哉 歸らん哉

詩経国風:召南篇から「草蟲」を読む。(壺齋散人注)

  喓喓草蟲  喓喓たる草蟲
  趯趯阜螽  趯趯(てきてき)たる阜螽(ふしゅう)
  未見君子  未だ君子を見ず
  憂心忡忡  憂心 忡忡たり
  亦既見止  亦既に見
  亦既覯止  亦既に覯(あ)はば
  我心則降  我が心則ち降(よろこ)ばん

召南とは、周南の項で記したとおり、周の領土の南部のうち、召公が分け持った土地を指す。今そこがどのあたりにあたるのかについては、諸説ある。黄河の南であろうとすることから、楚の地に当たるところではないかとする説もあるが、真相はわからない。いづれにしても、周の領土の一部であるから、そこから生まれた歌謡群は、周南に収められたものと共通するところが多い。

ジョン・キーツは、不治の病に襲われ自分の死を身近なものとして考え始めて以来、様々な形で死というものに立ち向かい、それを詩に歌った。それらは、輝かしかった日々への愛惜の念であったり、愛する人々への感謝の気持ちであったり、死すべき身にして恋をしたことへの自責であったりした。

ジョン・キーツの詩「この日が過ぎ去った」 The Day is Gone を読む。(壺齋散人訳)

  この日が過ぎ去った すべての甘い思い出とともに!
  甘い声 甘い唇 柔らかな手 ふくよかな胸も
  暖かい息 さやかなささやき か細い声も
  輝く目 優雅ないでたち けだるい物腰も消え去った! 

ハンプティ・ダンプティ Humpty Dumpty (マザーグースの歌:壺齋散人訳)


  ハンプティ・ダンプティ塀の上
  ハンプティ・ダンプティ落っこちた
  みんながどんなに騒いでも
  もうもとへは戻らない

ミソサザイのジェニー Little Jenny Wren (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  ミソサザイのジェニーが
  小屋のところに止まってた
  尻尾を振ってはごあいさつ
  頭を下げてはごあいさつ

  尻尾を振り振りごあいさつ
  頭を下げ下げごあいさつ
  ミソサザイのジェニーが
  小屋のところに止まってた

めんこい子馬 I had a little pony (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  わしのめんこい子馬
  名前はダップル坊やというだ
  奥様が乗りたいちゅうで
  貸してあげたところが

  ムチをくれ 蹴りをいれ
  泥んこの中を突っ走りなさる
  めんこい子馬が可愛そうだ
  もう二度とは貸さねえだ

ナメクジに塩

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雨もよいの鬱陶しい日が続いている。今年は例年より半月以上も入梅が早かった。雨の量も多くなりそうだ。これは春以来の傾向で、今年の四月は関東地方で、観測史上最も多い降雨量を記録した。

森鴎外の史伝体小説「渋江抽斎」において、最も精細を放っている人物は、主人公抽斎本人というより、その妻五百であろう。五百がいなかったとしたならば、抽斎の人生もいっそうわびしく映り、したがってこの小説の面白みは半減してしまったに違いない。それほど彼女の存在感は大きい。しかもこの作品の後半は抽斎没後の家族の消息にあてられ、そこでは五百の存在感は全体を多い尽くすほど大きなものになるのである。

トーマス・モア Thomas More (1478-1535) は、「ユートピア」の著者として広く知られている。この本は人間にとって究極の世界といえる「理想郷」を描き出したものだ。テーマからして時代を超越しており、ルネサンスのイメージとは直接結びつかないようにも思えるが、しかしルネサンスの時代であったからこそ生まれた書物ともいえる。

歩み Les pas (ポール・ヴァレリーの詩集「魅惑」から:壺齋散人訳)

  お前の歩みが 我が沈黙の子どもたちよ
  厳かに また緩やかに床を踏んで
  用心深いわたしの寝床の方へと
  静かに 冷ややかな音をたてて近づいてくる

蜜蜂 L'Abeille (ポール・ヴァレリーの詩集「魅惑」から:壺齋散人訳)

  お前の針が 蜜蜂よ
  どんなに繊細で どんなに致命的でも
  わたしはただ 薄紗のような眠りで
  お前の一撃を受け止めるだけだろう

詩経国風:周南篇から、「汝墳」を読む。(壺齋散人注)

  遵彼汝墳  彼の汝墳に遵(したが)ひ
  伐其條枚  其の條枚を伐る
  未見君子  未だ君子を見ず
  惄如調飢  惄(でき)として調飢の如し

詩経国風:周南篇から「漢廣」を読む。(壺齋散人注)

  南有喬木  南に喬木有り
  不可休息  休息す可からず
  漢有游女  漢に游女有り
  不可求思  求思す可からず

詩経国風:周南篇から「芣苡」を読む。(壺齋散人注)

  采采芣苡  芣苡を采り采り
  薄言采之  薄(いささ)か言(ここ)に之を采る
  采采芣苡  芣苡を采り采り
  薄言有之  薄か言に之を有(も)つ

ジョン・キーツの詩「妖精の歌」 Fairy Song を読む。(壺齋散人訳)

  涙するなかれ!おお涙するなかれ!
  散った花はまた咲くのだから
  泣くなかれ!おお泣くなかれ!
  地中には新しい命が芽吹くのだから
  目をぬぐえ!おお目をぬぐえ!
  わたしは天に召されて
  心静める歌を習ったのだから
          涙するなかれ

ジョン・キーツの詩「ブライト・スター」Bright Star を読む。(壺齋散人訳)

  北極星よ あなたのようにわたしもありたい
  夜空に高く 星々を従えて輝き
  眠りを知らぬ隠者のように
  まぶたを大きく見開いて
  永遠の波が渚をめぐって
  次々と押し寄せるさまを見続けていたい
  また山々や原野の上に降り積もった
  真っ白な雪の絨毯を眺めていたい

芍薬:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


芍薬はその名が現しているように、古くから漢方の薬草として用いられてきた。乾燥させた根を煎じて服用すると、消炎、鎮痛の効果がある。葛根湯、当帰芍薬散など多くの漢方薬に用いられている。薬用のほか、花の形の美しさも人々に愛され、詩経に芍薬を贈る話があるなど、人間との係わりでは古い歴史を持つ花である。

コック・ロビン Who killed Cock Robin(マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  誰がコック・ロビンを殺したの?“わたしです”とすずめがいった
  “弓と矢で わたしがコック・ロビンを殺しました”

釘がないので For want of a nail (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  釘がないので 蹄鉄が打てない
  蹄鉄が打てないので 馬が走れない
  馬が走れないので 騎士が乗れない
  騎士が乗れないので 戦いが出来ない
  戦いが出来ないので 国が滅びた
  すべては蹄鉄の 釘がなかったせい 

おーい坊や Little boy blue (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  おーい坊や こっちで角笛吹いとくれ
  羊は牧場 牛は畑
  見張り役の坊やはどこに行った?
  干草にくるまってお寝んねです
  すぐに起こしてくれないか?
  いえいえ 泣いてしまうから

森鴎外が武鑑の収集を通じて、渋江抽斎という歴史上の一人物に出会った経緯については、先稿でも述べたとおりである。鴎外はこの人物が、武鑑という普通の感覚ならあまり面白くもないものに情熱を注ぎ、その傍ら学者として古い文献の考証に力を注いでいたらしいことを知るに及び、俄然その人物への関心の高まるのを感じ、その人物について多くを知りたいと思うようになった。そしてこのような思いがやがて実を結んで、鴎外の最高傑作ともいえる「渋江抽斎」の執筆へとつながっていくのである。

アルプス以北の北ヨーロッパにルネサンスの動きが広がったのは、イタリアよりはるかに遅れてであった。しかもそれはやがて始まる宗教改革の運動に飲み込まれていくので、期間としては短いものではあったが、イタリアとは異なった、独特の様相を見せた。中世以来の民衆文化と深く結びつき、民衆文化の持つエネルギーをカトリック教会の束縛から解放したという側面である。

若きパルク La Jeune Parque (ポール・ヴァレリーの詩:壺齋散人訳)

  風も吹かないのに このすすり泣くような音は何でしょう?
  この時刻 ひっそりと 星空の下で泣くのは誰?
  泣こうとするわたしの傍近くで

ナルシスは語る Narcisse Parle (ポール・ヴァレリーの詩:壺齋散人訳)

  兄弟たちよ 悲しき百合よ お前たちの裸体に
  求められたわたしは 美に煩悶する
  そしてニンフよ 泉の精よ お前に向かって
  わたしは虚ろな涙を純粋の沈黙に捧げるのだ

ヤドカリ人生

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自分の家のどこかに、赤の他人が住みついているとしたら、誰しも気味が悪く思うだろう。昔の古い家の天井裏には青大将が住んでいたこともあったが、これは家の守り神などといって、大目に見られていた。しかしことが人間となると、そう大らかではいられない。

ノースポール:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


ノースポールはキク科の一年草である。ヨーロッパの原産で、欧米圏ではマーガレットやデージーと並んで菊の花を代表するものだ。日本の菊は大輪で、一厘づつ見事な花を咲かせるが、欧米ではこのように小ぶりで密集して咲く菊が主流である。外見は日本のハルジオンによく似ている。ハルジオン同様雑草のようなたくましさを持っている。

詩経国風:周南篇から「桃夭」を読む。(壺齋散人注)

  桃之夭夭  桃の夭夭たる
  灼灼其華  灼灼たり其の華
  之子于歸  この子ここに歸(とつ)がば
  宜其室家  其の室家に宜しからん

詩経国風:周南篇から「樛木」を読む。(壺齋散人注)

  南有樛木  南に樛木(きゅうぼく)有り
  葛藟纍之  葛藟(かつるい)之に纍(かさ)なる
  樂只君子  樂しきかな君子
  福履綏之  福履之に綏んず

詩経国風:周南篇から「卷耳」を読む。(壺齋散人注)

  采采卷耳   卷耳を采り采る
  不盈頃筐   頃筐に盈たず
  嗟我懷人   嗟(ああ)我 人を懷ひて
  寘彼周行   彼の周行に寘(お)く

ジョン・キーツの詩「今夜わたしが笑ったわけ」 Why did I laugh tonight? を読む。(壺齋散人訳)

  今夜わたしが笑ったわけを 誰もいえる者はない
  いかなる神も 冷静な応答をなす悪魔さえも
  天上からも地獄からも 答えようとはしない
  それでわたしは自分自身の心に向かって問いかけるのだ

ジョン・キーツの詩「恐れのとき」 When I have Fears を読む。(壺齋散人訳)

  わたしのペンがわたしの思いを書きつくすまで
  万巻の書を読み豊かな思想を
  収穫のように実らせることが出来るまで
  自分が生きてはいないだろうと思うと

スカビオサ(西洋松虫草):水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


スカビオサという名前はラテン語で疥癬 Scabiea を意味するそうだ。疥癬に限らず皮膚病に薬効があるらしい。スカビオサの日本種「松虫草」もやはり皮膚病に効く薬草として用いられてきた。葉を煎じた汁で患部を洗浄すると効果があるといわれる。

小鳥と石 There were two birds sat on a stone (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  二羽の小鳥が一つの石に止まっていた
  ファ ラ ラ ラ ラル ドゥ
  一羽が飛んでいって 一羽が残った
  ファ ラ ラ ラ ラル ドゥ
  もう一羽も飛んでいって だれもいなくなった
  ファ ラ ラ ラ ラル ドゥ
  とり残された石は ひとりぼっち

いいこいいこ Hush, baby, my dolly(マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  いいこ いいこ いいこだから泣かないのよ
  パンをすこしあげるから ミルクも一緒にあげるから
  それともカスタードプリンがいい? それともタルト?
  いいわ全部あげるから 泣かないでちょうだいね

てんとう虫Ladybug! Ladybug! (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  てんとう虫 虫
  おうちへお帰り
  おうちは火事で
  子どもたちは
  一人を残して焼け死んだ
  フライパンの下に
  潜ってたおかげで
  助かったんだとさ



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