卷耳:夫への思い(詩経国風:周南)

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詩経国風:周南篇から「卷耳」を読む。(壺齋散人注)

  采采卷耳   卷耳を采り采る
  不盈頃筐   頃筐に盈たず
  嗟我懷人   嗟(ああ)我 人を懷ひて
  寘彼周行   彼の周行に寘(お)く

  陟彼崔嵬   彼の崔嵬に陟(のぼ)れば
  我馬虺隤   我が馬虺隤(かいたい)たり
  我姑酌彼金罍 我姑(しば)らく彼の金罍に酌み
  維以不永懷  維れを以て永く懷はざらん

  陟彼高岡   彼の高岡に陟れば
  我馬玄黃   我が馬玄黃たり
  我姑酌彼兕觥 我姑らく彼の兕觥(じこう)に酌み
  維以不永傷  維れを以て不永く傷まざらん

  陟彼砠矣    彼の砠に陟れば
  我馬瘏矣    我が馬は瘏(や)む
  我僕痡矣    我が僕は痡む
  云何吁矣    云何(いかん)せん 吁(ああ)

卷耳を摘みに野原にやってきましたけれど、なかなか竹の籠にいっぱいになりません、それというのも遠く離れたあの人を思うあまり、草を摘む元気がうせて道端に投げ出してしまうからです

わたしは行役に従って険しい山を登ってきた、我が馬は疲れきって先へ進むことができぬ、しばらく黄金の酒樽から酒を酌んで、辛いことは思わないようにしよう

わたしは行役に従って高い岡を登ってきた、我が馬は疲労のあまり黒い色が黄色に変わってしまった、しばらく牛の角の杯に酒を酌んで、くよくよと思い悩むのはやめよう

わたしは行役に従って石の山を登ってきた、我が馬は疲れきって倒れてしまった、我が従者たちも疲労のあまり倒れてしまった、もうどうすることもできぬ


卷耳とは文意からして草のことだとはわかるが、どんな草なのかはわからない。漢字のイメージから推し量るとと、ぜんまいのような草だろうか。その草を摘みに、行役にしたがった夫と遠く離れた妻が野原にやってくるが、夫を思うあまりに草を摘む気持ちは途絶えがちになる、一節目はそうした妻の切ない気持ちを歌っている。寘は置くに同じ、周行は道のこと。

2節目以降4節目までは一転して、行役に従事する夫の心中を歌う。夫は自分の旅の苦しさは歌っているが、妻への心やりまでは歌っていない。そこのところが不自然でもある。もともと別々の歌だったものが、ひとつにつなぎ合わされたのではないか。


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    このページは、が2008年6月 3日 19:12に書いたブログ記事です。

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