誰がキーツを殺したかWho killed John Keats?(バイロン:壺齋散人訳)
誰がキーツを殺したか?
自分だと クォータリーがいう
手荒に 容赦なく
見事な手柄ぶりだったと
誰が矢を放ったか?
詩人の番人ミルマンさ
奴は人殺しが大好きだ
サウジーも バーローも
1821年にジョン・キーツが25歳の若さで死ぬと、友人のシェリーは挽歌「アドネイス」を書いてキーツの死を悼んだ。バイロンもシェリーほど激しくはないが、やはり一遍の詩を書いた。バイロンはキーツとは余り深い交友はなかったが、その才能を高く評価していたようである。
キーツは宿病の結核がもとで死んだのだが、友人たちの間では、クォータリーから受けたひどい攻撃にキーツが傷つき、それがもとで死んだのだという伝説がいきわたっていた。バイロンのこの詩は、それを踏まえている。
クォータリーはトーリーの雑誌で、リー・ハントやその周辺の詩人たちを目の敵にしていた。キーツははじめ小物として黙殺されていたが、エンディミオンを発表したのがきっかけで、激しい攻撃の対象になった。それが余りにもえげつないものだったので、キーツはすっかり傷ついてしまったのである。
Who killed John Keats?
I, says the Quarterly
So savage & Tartarly
'Twas one of my feats –
Who shot the arrow?
The poet-priest Milman
(So ready to kill man)
Or Southey or Barrow. –
関連リンク: 英詩のリズム>バイロン George Gordon Byron
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