ガクアジサイ(額紫陽花):水彩で描く折々の花
アジサイはもともと日本の太平洋岸に自生していたガクアジサイを原種とする。これが中国を経由して西洋に伝わり、今日普通に見るあの丸い形のアジサイになった。だから美しくなって里帰りをした花なのである。
アジサイに紫陽花の字を当てたのは平安時代の学者源順である。彼はこれを白楽天の詩句からとった。ところが白楽天が紫陽花といっていたのは、アジサイではなく、リラの花のことであった。この誤解にかかわらず、日本においては今でも紫陽花の字をアジサイの花にあてている。
というのもこの花は、紫に映える様子が、紫陽花の文字のイメージにぴったりなのだ。
原種に近いガクアジサイは、花も小ぶりで、色も淡いが、品種改良の結果大玉で鮮やかな色合いのものも出てきた。咲き進むにつれて色が深みを増すのは西洋アジサイと同じだ。
花は梅雨時の鬱陶しい空気を彩ってくれる。絵にあるように中心部の丸い玉のような部分には小さな両性花がびっしりと並び、その周囲を大粒の装飾花が数片、取り囲むようにして咲く。そのさまが額のように見えるところからガクアジサイと呼ばれるようになった。
だがもともと日本でアジサイといえば、このガクアジサイをさしたのである。西洋アジサイが日本に入ってきて、そちらがアジサイの主流を占めるようになって以来、本家と分家との関係が逆転したのである。
アジサイは古い起源の花であるから、万葉集にもそれを歌ったものがある。
言問はぬ木すら味狭藍(あじさゐ)諸茅(もろち)らが練の村戸にあざむかえけり(大伴家持 巻四 773)
物言わぬ木でさえも、アジサイやモロチの花の美しさに惑わされるように、わたしもあなたの手練手管にだまされてしまいました(練の村戸は老練な心の意)
紫陽花の八重咲く如くやつ代にをいませわが背子見つつ思はむ(橘諸兄 巻20 4448)
アジサイの花が八重に咲き誇るように、いつまでも元気でいてください、花を見るたびにあなたを思い出しましょう
平安時代の歌人たちもアジサイを歌っている。
あぢさゐの 花のよひらに もる月を 影もさながら 折る身ともがな( 俊頼散木奇歌集)
アジサイの4つの花びらのように池の面に映った月の、その光を、花を手折るように採ることが出来たらどんなにかよいか
夏もなほ 心はつきぬ あぢさゐの よひらの露に 月もすみけり (藤原俊成 千五百番歌合)
夏の暑さの中でもアジサイを見ると心が癒されます、その4枚の花弁にたまった露には、月の光も映ってるではありませんか
これらの歌の中のアジサイが、ガクアジサイであることはいうまでもない。
なお、絵にある花は、筆者の家の庭に咲いていたのを、数年前にスケッチしたものである。ガクアジサイの装飾花はいづれもこのように、4枚の花弁をつけているのである。
ところで。紫陽花には毒があるからご用心。先日茨城県つくば市内の飲食店で、料理に添えて出された紫陽花の葉を食った客が、中毒にかかった。紫陽花には青酸化合物が含まれているので、これを食うと神経がやられるのだ。人に限らず馬や牛なども、紫陽花を食って中毒にかかることがよくあるという。
紫陽花の葉っぱはぼってりとして、しかも食えそうに見えるため、こういう事故が起こるのだろう。
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