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柔道から Judo へ:進化するジュードー


不振が目立つ近年の日本の柔道界だが、その中で今回の北京オリンピックでの石井の金メダルは、無論快挙というべきだが、反面見るものに複雑な思いをもさせた。石井の勝利には、我々が思い浮かべるような柔道本来の痛快な一本技は全く見られず、相手との駆け引きばかりが目立ったからだ。

石井自身もこうした批判は十分に意識しているらしい。インタビューでの発言を聞くと、今は伝統的な柔道で勝つことは難しい、世界の柔道が変わりつつあるのだから、それに対応して勝つことを考えなければならない、勝ちは勝ちだ、技にこだわって負けるよりはましだ、こういう考え方がひしひしと伝わってくる。

石井はまだ若いが、こんな考えを持つようになったのは、井上を始め日本の伝統的柔道を体現している選手がことごとく外国の選手に敗れている実情を反省してのことだったらしい。昨年のフランスの国際大会では、リネルとの決勝戦において、井上は自分の柔道ができなかった。技をしかけようとすると、相手はおよそ考えられないようなことをしてくる。足に食らいついたり、背中をつかんで持ち上げたり、投げられてもなお相手を投げ返そうとしたり、柔道というよりは相撲やレスリングに近いことをしてくるのだ。

外国の選手は一本技にこだわらない。相手より優勢に立ち回り、判定で勝てばよいという考えである。だから5分間の試合の中で、少しでもポイントで優位に立つと、あとは無理をせずに守りにまわる。

石井は北京オリンピックでこうした柔道に徹したようだ。前半動き回って相手に技を使わせず自分が優位に立ってポイントをとると、あとは守りを固めて一本とられることを防ぐ、こうしたやり方で勝ち進んでいった。相撲で言えば投げ技ではなく押し技、ボクシングでいえば僅差の判定勝ちといったところだ。

柔道の勝ち方が変わってきたことの背景には柔道の国際化がある。いまや日本の柔道は世界の Judo となった。柔道人口をみても、フランスは日本より多く、ヨーロッパのほかの国でも盛んに行われるようになった。これに伴って、競技のスタイルも変わってきた。グルジアのレスリングやモンゴル相撲の流儀が柔道の中にも取り入れられ、技より力がものをいうようにもなってきた。

ヨーロッパのジュードーの特徴はとにかく力の重視である。力の強いものが、力任せに相手をねじ伏せる、そんな感じだ。

力の重視と並んで、勝つことへのこだわりが日本柔道の伝統的な考え方とは違う。日本の柔道の核心は技を仕掛けることだ。技を成功させることが勝つことを意味する、そう考えている。これに対してヨーロッパの柔道は、優勢に立てばよいと考えている。それは勢いで圧倒することであり、力で相手を振り回す
ことであってもよい。

日本の多くの選手はこうした流れについていけないでいるようだ。技を仕掛けに行って、かえって力でねじ伏せられるケースが目立つ。

ひとり石井のみは、この流れを自分のものにしているということなのだろう。彼は「柔道」は進化して、いまや「ジュードー」になったのだともいっている。

それにしても、平成の姿三四郎といわれた古賀のような柔道家が活躍することはもうないのか、そう思うと一抹の寂しさを覚える。


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