2008年10月アーカイブ

スピノザの世界観は、神の形而上学ともいうべきものである。スピノザは、人間の精神の働きを含めた、この世界のあらゆる営みや出来事を神の働きあるいは現われとして理解する。言い換えれば、全体としての世界が神という単一の実体をなしており、その部分はいずれも単独では存在しえず、全体の一部としてのみ存在すると説明する。このような教説を、バートランド・ラッセルは論理的一元論と表現した。

渡り鳥は季節ごとに長い距離を飛行して、子育てや餌の確保に努めているものだが、中でもシギの類は長距離を休みなく一気に飛ぶことで知られている。

トリスタン・コルビエールの詩「時報 」Heures (壺齋散人訳)

  泥棒に追い銭
  人殺しに目くばせ
  剣客には手合わせ
  ―どうも俺の心は普通じゃない

  俺はパンプローナの気違いだ
  俺はお月様の哄笑が怖い
  黒いパンくずを抱えたゴキブリめ
  恐ろしや みな燭台の下でうごめいてるぞ

奪回 Rescousse (トリスタン・コルビエール:壺齋散人訳)

  もしも俺のギターが
  音締めの甲斐なく
  いやな音を立て
  インドの匕首

  拷問の吊り鉤
  首吊り台
  びっくり箱のようで
  よろしくないなら

楚辞「九章」から屈原作「抽思」(壺齋散人注)

  心鬱鬱之憂思兮   心鬱鬱として之れ憂思し
  獨永歎乎增傷     獨り永歎して傷みを增す
  思蹇産之不釋兮   思ひは蹇産(けんさん)として之れ釋(と)けず
  曼遭夜之方長     曼として夜の方(まさ)に長きに遭ふ

「九章」は「離騒」とならんで屈原自身の作として誰もが疑いをさしはさむことのない作品群である。そのほとんどは、懐王によって放逐された後に、離騒と前後して書かれたものと思われる。その内容も、離騒と重なるところが多い。

人間を含めて哺乳類の屁が臭い理由は、屁の中に含まれている硫化水素の匂いにある。腐った卵が発するのと同じ気体である。化学的には、硫黄と水素の化合物で、箱根の大涌谷など火山地帯からも放出されている。哺乳類の場合には、直腸にいるバクテリアがこの気体を生成し、肛門を通じて放出しているのだ。

シェイクスピアのソネット106  When in the chronicle of wasted time(壺齋散人訳)

  過ぎ去った時代の年代記の中に
  美しい人々が描かれているのを読み
  今はなき貴婦人や紳士たちを称賛しながら
  美が美しい詩句を生み出すのを見ると

シェイクスピアのソネット102  My love is strengthen'd, though more weak in seeming;(壺齋散人訳)

  私の愛は弱まったのではなく かえって強まったのだ
  仕草に現さないからといって 愛し方が弱いわけではない
  舌があたりかまわずすばらしさを吹聴するような愛
  そんな愛は売り物の愛に過ぎないのだ

昨日朝日新聞によるポール・サミュエルソンへのインタビュー記事を紹介したところ、思わぬ反響があった。この記事の中でサミュエルソンはケインズ派経済理論にもとづく財政出動を主張していたのだが、筆者もまた同じ意見だと受け取られたのだ。だが筆者はサミュエルソンやクルーグマンの主張を、私見を交えずに紹介したつもりであって、必ずしも彼らと意見を同じくしているわけではない。

踊って見せてごらん Dance to your daddy(マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  パパに踊って見せてごらん
  わたしのかわいい坊や
  パパに踊って見せてごらん
  わたしの小さな紳士
  魚を一匹あげよう
  ふかひれをひとつあげよう
  タラも一切れあげよう
  船が大漁で戻ってきたら
  そしたら魚の肝油を
  鍋でゆでてあげよう
  パパに踊って見せてごらん
  わたしの小さな紳士

ウィリー坊や Willy boy (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  ウィリー坊や どこへ行くの
  よかったらご一緒しましょうか
  「牧場へ行って 牛を世話して
  干草作りを手伝うのさ」

お母さんがわたしを殺した My mother has killed me (マザーグース:壺齋散人訳)

  お母さんがわたしを殺して
  お父さんがわたしを食べたの
  兄弟たちはテーブルの下にいて
  わたしの骨を拾って床下に埋めたの

朝日新聞が著名な経済学者ポール・サミュエルソンから、今回の金融危機の原因について聞いた(10月25日朝刊紙上)。見出しに「規制緩和と金融工学が元凶」とあるように、サミュエルソンは今回の危機の原因が、ブッシュ政権下の行き過ぎた規制緩和と、加熱したマネーゲームの横行によるものと見ている。

成島柳北は筆禍がもとで讒謗律違反に問われ、明治9年の2月から6月までの四ヶ月間鍛冶橋監獄に収監された。この監獄は前年の12月にできたばかりで、西洋風の作りであった。そこでの四ヶ月間の監獄生活を、柳北は出獄間もない6月14日から24日にかけて、朝野新聞紙上で紹介した。「ごく内ばなし」がそれである。ごく内緒の話という意味だろうか。植木枝盛の「出獄追記」と並んで、明治初年の監獄の様子が伺われる貴重な証言である。

ホトトギス(杜鵑草):水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


ホトトギス(杜鵑草)は日本の山野ではよく見られる花だ。山道を歩いていると、雑草の茂みの一角に細長く伸びた茎の先に、ラッパ上の花を上向きに咲かせている姿をよく見かける。

今回のすさまじい金融危機の引き金になったアメリカのサブプライムローン問題。世界に及ぼした影響は脇へおいて、その問題はアメリカ特有のもののように思われていたが、実は日本でも同様の事態が起こりかねない火種はあるようだ。

スピノザ Baruch De Spinoza(1632-1677) の哲学を正しく理解するためには、時代的背景との関連を考慮に入れなければならない。

離婚すると、当事者には面倒なことが色々起こるものだ。子どもがいれば、どちらがどの子の親権を行使するかを巡って激しい争いが起こる。財産の分割をどうするかも、厄介な問題だ。

夜のソンネ Sonnet de Nuit (トリスタン・コルビエール:壺齋散人訳)

  けだるそうな十字窓が
  俺の度重なる死に硬直している
  ダイアを嵌め込んだ硝子には
  俺の引っかき傷の跡がある

ガマガエル Le Crapaud (トリスタン・コルビエール:壺齋散人訳)

  歌声が風のない夜に響く
  ―銀色の板のような月
  黒ずんだ緑の葉っぱがなびく

  歌声がこだまのように生き生きと
  草薮から聞こえてくる
  ―静まったぞ やあそこだ闇の中だ

天問:楚辞

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天問の題意についてはさまざまな説がある。もっともらしいのは、屈原は放たれて山野をさまよううち、楚の先王の廟に天地山川の森羅万象を描いた図を見て、それに詩を供えたとするもので、一種の画賛とする見方である。

楚辞・九歌から屈原作「國殤」(壺齋散人注)

  操吳戈兮被犀甲  吳戈を操(と)りて犀甲(さいかふ)を被り
  車錯轂兮短兵接  車は轂(こく)を錯(まじ)へて短兵接す
  旌蔽日兮敵若雲  旌は日を蔽ひて敵は雲の若く
  矢交墜兮士爭先  矢は交も墜ちて士は先を爭ふ

世界のあちこちで食糧危機が深刻に受け止められるようになってきた。アフリカを始めとした発展途上国での食料不足は数年前から大きな問題であったのだが、それがここ1年ほどの間に、先進国を含めた全世界的な現象にまで発展してきたのである。

シェイクスピアのソネット101 O truant Muse, what shall be thy amends(壺齋散人訳)

  美に染められた真理を無視し続けたことについて
  怠惰なミューズよ  お前はどう釈明するのだ
  真理も美も 私が愛する人に依存する
  お前とて同じこと 彼あってこそ威厳がつくのだ

シェイクスピアのソネット98 From you have I been absent in the spring(壺齋散人訳)

  春の間私は君と離れて過ごした
  誇らしげな四月は色鮮やかな装いのうちに
  萬物に青春の息吹を吹き込み
  陰気なサターンでさえ笑いかつ踊ったほどだ

月の探査衛星、正式には月周回衛星「かぐや」から送られてくる報告が、月と地球の歴史に関する貴重な情報を提供してくれるようになった。かぐやが撮影した月面の映像は、世界中でもっとも緻密なものなので、科学者たちは地球にいながら月をつぶさに観察できるようになったのだ。

ファイフの小屋 In a cottage in Fife(マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  ファイフの小屋の中に
  亭主と女房が住んでいた
  へんてこりんな夫婦なのさ
  何故って驚いたことに
  二つの目でものを見たり
  舌を動かしてしゃべるからさ

蜜蜂の群 A swarm of bees in May (マザーグースの歌:壺齋散人)

  5月の蜜蜂の群は
  干草いっぱいの価値がある
  6月の蜜蜂の群は
  銀のスプーンの価値がある
  7月の蜜蜂の群は
  ハエほどの価値もない

アイスクリーム Ice cream (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  僕は叫ぶ
  君も叫ぶ
  みんなで叫ぼう
  アイスクリーム!

ゲーテッド・コミュニティ Gated Community という言葉が、いま世界の都市開発の現場で有力な合言葉になっている。文字通りに訳せば門を備えた共同体社会ということになるが、要するに柵によって周囲から隔絶され、門を通じて出入りするような空間のことだ。

アマリリス:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)



アマリリスは、5月から6月にかけて、まっすぐに延びた茎の先に、ユリに似たラッパ状の花を二つないし四つ咲かせる。名前からしてあでやかさを感じさせる。ヴェルギリウスの詩に出てくる乙女の名前からつけられたのだそうだ。花言葉には、誇り、内気などがあてられるが、それは乙女の気質を表わしていたのだろうか。

成島柳北は明治6年に米欧の旅行から帰国すると、一時京都東本願寺の翻訳局の局長を勤めるが、仕事は面白くなかったようで、もっぱら遊興の毎日を過ごした。その遊びの中から「京猫一斑」(鴨東新誌)が生まれている。そして翌明治7年9月に「朝野新聞」の局長に迎えられ、新聞人としての生活を始める。

世界金融危機でアイスランド経済が破綻し、ついに国を挙げて身売りする話まで飛び出したが、旧来の同盟国はどこも自分のことで精一杯なのか、困っている隣人を助けようとするものはなかなか現れなかった。そんなところに、思いがけぬ方向から救いの手が差し伸べられた。ロシアである。

パスカルが神への信仰を賭に喩えたのはあまりにも有名だ。そこには二重の意味が込められている。神の存在が自明ではないことが一つ、もうひとつは、それにもかかわらず、我々人間は神の恩寵によってしか救われないということだ。

トリスタン・コルビエールの詩集「黄色い愛」から「女の友へ」 A une Camarade(壺齋散人訳)

  この俺に何を求めるのだ? 可愛い女よ
  俺ときてはお前が何より愛しいのだ!
  ―愛かしら? ―見つかるかどうか探してごらん!
  お前が俺を愛するなら 俺だってお前を愛してやる

墓碑銘 ÉPITAPHE :トリスタン・コルビエール詩集「黄色の愛」から(壺齋散人訳)

  熱狂から命を絶った あるいは怠惰で死んだ
  生き続けるとしても忘却のうち 以下はその生前の姿 

  唯一の悔恨は自分自身の主人になれなかったことだ

トリスタン・コルビエール Tristan Corbiere (1845-1875) は全く無名のまま死んだ。彼が生前に出した唯一の詩集「黄色い愛」 Les Amours Jaunes は誰からも注目されることがなかった。そんなトリスタン・コルビエールの詩を始めて世に紹介したのはポール・ヴェルレーヌである。

楚辞・九歌から屈原作「山鬼」(壺齋散人注)

  若有人兮山之阿   若(ここ)に人有り山の阿(くま)に    
  被薜荔兮帶女羅   薜荔(へいれい)を被て女羅を帶とす
  既含睇兮又宜笑   既に睇(てい)を含みて又宜(よ)く笑ふ
  子慕予兮善窈窕   子予の善く窈窕たるを慕ふ

楚辞・九歌から屈原作「河伯」(壺齋散人注)

  與女遊兮九河   女(なんじ)と九河に遊べば
  衝風起兮橫波   衝風起こって波を橫たふ
  乘水車兮荷蓋   水車に乘って荷に蓋し
  駕兩龍兮驂螭   兩龍を駕して螭(ち)を驂(さん)とす
  登崑崙兮四望   崑崙に登って四望すれば
  心飛揚兮浩蕩   心は飛揚して浩蕩たり

今年(2008年)のノーベル経済学賞は、プリンストン大学教授でニューヨーク・タイムズのコラムニストとしても知られるポール・クルーグマン Paul Krugman 氏が受賞した。

シェイクスピアのソネット94  They that have power to hurt and will do none(壺齋散人訳)

  人を傷つける力を持ちながらそうしない人
  外見はいかめしいがいかめしく振舞わぬ人
  他人を動かしながら自分は石のように
  動揺せず冷静で誘惑には慎重な人

シェイクスピアのソネット91  Some glory in their birth, some in their skill(壺齋散人訳)

  ある者は家柄を誇り ある者は技術を誇る
  ある者は富を ある者は体力を
  ある者は俗悪とはいえ衣装を誇り
  ある者は鷹や犬や あるいは馬を誇る

FX取引で大損している人が増えている。FX取引はハイリスク・ハイリターンを売り物にしているから、損をすること自体は本来投資家の自己責任の一部に属する。しかし問題なのは、悪質な業者の詐欺的な手法に引っかかって損をさせられたり、業者の倒産によって預けた金が戻ってこない例が多いことだ。

ラバダバダ Rub-a-dub-dub (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  ラバダバダ
  桶の中の三人
  なぜそんなところにいるんだろう?
  肉屋にパン屋にろうそく屋
  そろって腐ったトマトから
  この桶の中に飛び移ったのさ
  魚もびっくりして見てたそうな

チクタク チクタク ボーン Hickory, dickory, dock (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  チクタク チクタク ボーン
  ネズミが時計によじ登る
  時計が一時を打ったとき
  ネズミは時計からずり落ちた
  チクタク チクタク ボーン

かぼちゃ好きのピーター Peter, Peter, pumpkin eater (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  ピーター ピーター かぼちゃが大好き
  奥さんはいるけど 家がない
  かぼちゃの殻をくりぬいて
  その中に奥さんを住まわせたとさ

今回のアメリカ発金融危機はあっという間に世界中を飲み込んでしまった。倒産する金融機関が続出し、各国は資本の注入や資金の貸付など対策に大わらわだ。そんな中で、国そのものが破産する事態まで見えてきた。アイスランドがその一例だ。

横浜港を出航して1ヶ月半の船旅をした成島柳北らの一行は、明治5年(1972)10月28日にマルセーユに上陸し、11月1日未明にパリに入った。その時の感動を、柳北は次の漢詩に表現している。

  十載夢飛巴里城  十載夢は飛ぶ巴里城
  城中今日試閑行  城中今日閑行を試む
  画楼涵影淪漪水  画楼影を涵す淪漪の水
  士女如花簇晩晴  士女花の如く晩晴に簇がる

パンセは、パスカルが晩年(といっても30代半ばだが)に、キリスト教の弁証論を執筆するために書き溜めた草稿を、死後友人たちがまとめたものである。草稿といっても断片類が順序もなく乱雑に残されていただけで、そこにパスカル自身の明確で統一したヴィジョンが示されていたわけではなかった。だが友人たちは、それらをつなぎ合わせて一冊の書に纏めた。

アメリカの金融危機が泥沼化の様相を見せ、その影響が国境を越えて世界中に広がった。各国の株式市場は連日大幅な下落を続けている。日本も例外ではない。ニューヨークのダウ平均価格は8000ドル前後まで落ち込み、東京市場でも8000円前後まで落ち込む異常さだ。朝日新聞によれば、9月以降の一ヶ月ほどの間に、世界中で1,400兆円の金融資産が消失したという。

ギヨーム・アポリネールの詩「星の悲しみ」 Tristesse d'une étoile(壺齋散人訳)

  美しいミネルヴァが僕の頭から生まれた
  血が星となって永遠に僕の頭を飾るのだ
  戦いの女神が僕の頭を武装してくれる
  分別は底のほうに 空はてっぺんにある

アポリネールの詩「鳥は歌う」 Un oiseau chante(壺齋散人訳)

  どこかで鳥の歌声がする
  お前の心が目覚めていて
  兵士たちの間を漂っているのか
  僕の耳に心地よく響く

楚辞・九歌から屈原作「東君」(壺齋散人注)

  暾將出兮東方   暾(とん)として將に東方に出でんとし
  照吾檻兮扶桑   吾が檻を扶桑に照らす
  撫餘馬兮安驅   餘が馬を撫して安驅すれば
  夜晈晈兮既明   夜は晈晈(けうけう)として既に明らかなり

九歌は一種の祭祀歌であると考えられる。湖南省あたりを中心にして、神につかえる心情を歌ったものとするのが、有力な説である。九歌と総称されるが、歌の数は十一ある。

シェイクスピアのソネット89  Say that thou didst forsake me for some fault(壺齋散人訳)

  私に欠点があるから見捨てたのだといいたまえ
  それに対しては言い訳することがある
  私が足なえだといいたまえ 動き回るのをやめるから
  だが君がいうことに対してとやかく言うのはやめよう

シェイクスピアのソネット87  Farewell! thou art too dear for my possessing(壺齋散人訳)


  さようなら 君は私が所有するには価値が高すぎる
  君も自分の値打ちが十分にわかっている
  君の価値の権利証書が自由放免を保障するのだ
  君に対する私の権利は期限切れとなってしまった

米の流通業者三笠フーズが引き起こした詐欺事件は、食の安全を巡って、国民に大きな不安を与えた。何しろ政府が食えない米だと烙印を押したものを安く買い取って、それを食用と偽り転売していたわけだから、悪質だ。国民が怒るのも当たり前である。だがこの事件は心情的に反応するだけではすまない、根の深い問題を抱えている。

腰痛は二足歩行を選択した人類にとって宿命の病だといわれてきた。約600万年前に、チンパンジーと共通の祖先から枝分かれして以来、人類は二足で直立するようになって、脊椎で重い上体を支えなければならなくなり、その結果腰痛に悩むようになったとされてきたのである。

ブッシュ政権によって提出された金融安定化法案が、一旦は否決されながら、数日後には劇的な復活をとげた。アメリカの憲政史上でも珍しい出来事である。しかしあれほどこの法案に拒絶反応を示した議員たちが、なぜわずか数日の間に考えを改めたのか。その内幕をワシントン・ポストが巧妙に分析している。

ゴッタムの三人の賢者たち Three wise men of Gotham (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  ゴッタムの三人の賢者たち
  ボウルに乗って海に浮かんだ
  ボウルがもっと丈夫だったら
  もっと長い歌ができたでしょう

ネコとバイオリン Hey, diddle, diddle (マザーグースの歌:壺齋散人訳)


  ぼろろん ぼろろん
  ネコとバイオリン
  牛がはねて月を超えた
  ちびっ子ワンちゃんが
  それを見て笑った
  お皿とスプーンも飛んでった

籠に乗ったおばあさん There was an old woman tossed up in a blanket (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  おばあさんが毛布をまとって飛び上がり
  はるか月の彼方へ飛んでいきました
  どこまでいくのかは誰も知りません
  箒にまたがっておばあさんはゆく
  「おばあさん おばあさん」とわたしは呼びました
  「そんなに高く飛んでどこへいくの?」
  「空にかかったくもの巣を掃いに行くのさ」
  「わたしにもご一緒させて」
  「気をつけて ついておいで」

芙蓉:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


芙蓉は葵の仲間で、タチアオイやムクゲとよく似た花を咲かせる。ハイビスカスも同属である。草本性のものと木立するものとがあるが、木立するものはモクフヨウと呼ぶ場合もある。

慶応四年徳川幕府が瓦解するのと命運をともにした成島柳北は、会計副総裁の職を辞し、向島の須崎村に隠居して自らを無用の人と称した。そのときの心境を柳北は「墨上隠士伝」の中で次のように記している。

ブレーズ・パスカル Blaise Pascal (1623-1662) の宗教意識にはジャンセニスムの影響が見られる。ジャンセニスムとはオランダの神学者コルネリウス・ヤンセン (1585-1638) の思想であり、その遺作が1640年に発表されるや、フランスの貴族階級を中心に根強い信奉者を獲得した。パスカルは1646年に偶然ジャンセニスムの信徒と知り合いになり、その思想に帰依するようになったのだが、本格的なジャンセニストになるのは、1654年31歳の時である。彼はこの年、恩寵の火を見て決定的な回心を行い、その時の感動をメモリアルという形で羊皮紙に書き入れ、生涯お守りとして身につけていた。

ギヨーム・アポリネールの詩「はがき」 Carte postale(壺齋散人訳)

  テントの中で君にはがきをしたためている
  外では夏の日が暮れゆき
  青みがかった空には
  まばゆいばかりの花模様がみえる
  それは耳を劈く砲弾が
  束の間に描く模様なのだ

アポリネール詩集「カリグラム」から「雨が降る」 Il pleut (壺齋散人訳)



  女たちの声が雨のように降っている
  思い出の中にさえも
  死んでしまっているかのように

ライオンは少数のオスを中心にして多数のメスとその子供たちが集団を作って生息している。群れの中でのオスの権威は絶対で、メスたちは自分たちの力でしとめた餌をまずオスにささげる。だからライオンの社会は、人間社会のハーレムによく喩えられてきた。

楚辞から屈原の歌「離騷」その二(壺齋散人注)

靈氛既告餘以吉占兮 靈氛既に餘に告ぐるに吉占を以てす
歴吉日乎吾將行    吉日を歴(えら)んで吾將に行かんとす
折瓊枝以為羞兮    瓊枝を折りて以て羞と為し
精瓊爢以為粻      瓊爢(けいび)を精して以て粻(ちゃう)と為す



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