トリスタン・コルビエールTristan Corbière:黄色い愛

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トリスタン・コルビエール Tristan Corbiere (1845-1875) は全く無名のまま死んだ。彼が生前に出した唯一の詩集「黄色い愛」 Les Amours Jaunes は誰からも注目されることがなかった。そんなトリスタン・コルビエールの詩を始めて世に紹介したのはポール・ヴェルレーヌである。

ヴェルレーヌはコルビエールが死んだ十年後に「呪われた詩人たち」という本を書き、その中でランボーやマラルメと並んで彼の詩を紹介したのだった。しかも「呪われた詩人」6人のうち、真っ先にトリスタン・コルビエールを取り上げた。

世の中がトリスタン・コルビエールについて知るようになるについては、これで十分だった。ヴェルレーヌのこの紹介によって、トリスタン・コルビエールはフランス象徴主義を代表する詩人の一人として認知されたのである。

そのコルビエールについてヴェルレーヌは、「一個のブルターニュ人であり、一介の船乗りであり、ことに傲岸不遜な男であった。」(鈴木信太郎訳)と評している。そしてその詩は、完全無欠な所は全くないが、動物的で荒々しい魅力を持っているといった。

ヴェルレーヌがいうとおり、トリスタン・コルビエールはこの世の物差しからはみ出たユニークな人間だった。彼は27歳で始めて出版した詩集「黄色い愛」がなんら世間の反響を呼ばなかったことについても、気にすることがなかった。世間のために詩を書いたわけではないという自負があったからだろう。また彼が書いた詩そのものも、文学の常識を大きく逸脱したものだった。

生き方においても、書いた詩についても、ヴェルレーヌがいうような「呪われた詩人」の雰囲気をもっともよく具現していたのである。

トリスタン・コルビエールはブルターニュの小さな都市モルレーに生まれた。父親のジャン・アントアーヌ・ルネ・エドゥアール・コルビエールは遠洋航海の船乗りで、かつ海洋小説家でもあった。トリスタンはこの父親から気質的に多くのものを受け継いだらしい。

13歳の時にリセの寄宿舎に入れられたが、彼にはそこの雰囲気が全くなじめなかった。そのためにひどい鬱病にかかり、またリューマチにも苦しんだ。彼は自分の親たちが自分を家から追い出して、こんなところに閉じ込めたことを、恨まないではいられなかった。そんなわけで、トリスタン・コルビエールは少年時代からすでに、世間に対してすねるような態度を身に着けたのである。

成人したトリスタンは父親からボートを買ってもらい、それで船の冒険を堪能した。彼はそのボートに、父親の小説の題名をとって、Negrier (人買い船)と名付けた。

彼の詩には海を歌ったものが多いが、それらには父親に対する感情と自らの船への思いが込められているようだ。

25歳の頃、トリスタン・コルビエールは単身パリに出て、モンマルトルを拠点に、ヴァガボンドな生活を送った。パリ・コミューンが挫折した直後の、ブルジョア趣味の横行していた時代である。

27歳のとき、それまでの詩作の成果をまとめて「黄色い愛」を出版した。父親の援助を仰いだ自費出版だったが、誰からも注目されることがなかったのは上述のとおりである。

パリでのただれた生活ぶりは、生来虚弱だったトリスタンの健康を蝕んだ。そのうち彼は結核を患い、ブルターニュの親の家に連れ戻された。だが健康は回復せず、29歳という若さで死んでしまったのである。


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