2008年12月アーカイブ

普段日記をつけている人は大体、大晦日の記事には、その年一年間の出来事を振り返らせるものだろう。それは世界や日本の出来事であったり、また自分自身にかかわる節目の出来事だったりするだろう。あの荷風散人も、毎年大晦日には決まって一年間を振り返り、それを自分なりに総括して、時には反省めいた言葉を添えていたものだ。

その例に従って、筆者も今年一年を振り返ってみよう。

ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「描きたくなる欲求」Le Désir de peindre(壺齋散人訳)

  人間というものは恐らく不幸にできている、だが欲求に引き裂かれた芸術家は幸福だといえる。

  私はある女を描きたい欲求にさいなまれている。彼女は稀に現れたと思えばすぐにいなくなり、宵闇に吸い込まれる旅人の背後に浮かび上がった美しい残像のようなのだ。彼女を目にしなくなってから、すでに長い時間が過ぎた。

  彼女は美しい、驚くべき美しさなのだ。彼女のうちには暗黒が満ち広がり、彼女が呼び起こすものは夜のように深い。彼女の眼は神秘がきらめく洞穴であり、彼女のまなざしは閃光のようだ。それは闇が爆発する輝きだ。

ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「窓」Les Fenêtres(壺齋散人訳)

  開け放たれた窓から外を見ているものは、外から閉ざされた窓を見ているものほど多くを見てはいない。シャンデリアに照らされた窓ほど、深遠で、謎めいて、実り多く、不可解で、かつ眩いものがあるだろうか。太陽の下の出来事は、窓ガラスの背後に起こることほど興味をそそりはしない。この暗い、あるいは明るい穴の中では、命が息づき、命が夢想し、命が悶えている。

李白の七言絶句「山中幽人と對酌す」(壺齋散人注)

  兩人對酌山花開  兩人對酌すれば山花開く
  一杯一杯復一杯  一杯一杯また一杯
  我醉欲眠卿且去  我醉ひて眠らんと欲す卿且(しばら)く去れ
  明朝有意抱琴來  明朝意有らば琴を抱いて來れ

李白の七言絶句「山中問答」(壺齋散人注)
 
  問余何意棲碧山  余に問ふ 何の意ありてか碧山に棲むと
  笑而不答心自閑  笑って答へず心自から閑なり
  桃花流水杳然去  桃花流水杳然として去る
  別有天地非人間  別に天地の人間に非ざる有り

ジョン・ダンの詩集「歌とソネット」から「告別」A Valediction(壺齋散人訳)

  有徳の人が穏やかに息を引き取り
  魂にさあ行こうとささやきかけるとき
  悲しみにくれた友人たちはこもごもいう
  「息を引き取った」とも 「いやまだだ」とも

  そのように静かに消えていこう
  涙の洪水もため息の嵐も引き起こさずに
  世の中の人々に僕らの愛を語ることは
  僕らの喜びを損なうことだもの

ジョン・ダンの詩集「歌とソネット」から「傷心」The Broken Heart(壺齋散人訳)

  こんなことをいうやつは全くのばか者だ
  一時間の間恋をしたなどと
  それもすぐに覚めたというのでなく
  むさぼるような恋だったなどと
  もし僕が一年間疫病にかかっていたといったら
  誰が僕のいうことを信じるだろうか?
  火薬の光が太陽を焼け焦がしたといったら
  誰が僕を笑わないでいようか?

マザーグースの歌から「陽気な鐘」Merry are the Bells(壺齋散人訳)

  鐘が鳴る鳴る 陽気な鐘が
  僕らも陽気に 陽気に歌おう
  カランコロンと 楽しく愉快に
  鐘のように 元気になろう

マザーグースの歌から「メリーさんの小鳥」Mary had a little bird(壺齋散人訳)

  メリーさんの小鳥は
  明るくて黄色い羽
  脚が細くて それはそれは
  素敵なやつなんだ

  甘い歌声は いつも
  メリーさんをうっとりさせる
  メリーさんは籠にしがみついて
  カナリアに耳を傾けるんだ

「マザーグースの歌」から「バンベリークロス」Ride a cock horse to Banbury Cross(壺齋散人訳)


  駄馬に乗ってバンベリークロスに行こう
  白い馬にまたがった淑女に会おう
  指にリング つま先にベルをつけて
  楽しい音楽を聞かせてくれるよ

フードバンクとは、さまざまな事情で廃棄せざるをえない食料を受け集め、それをホームレスや母子家庭などの生活困窮者に無料で提供している団体を指す。アメリカでは1960代からボランティア活動として始まり、今では200もの団体が活躍しているそうだ。

子規の病

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正岡子規が明治22年5月、まだ21歳という若さで大喀血に見舞われ、それを契機にして病気と闘う運命に陥ったことについては、前稿で述べた。またこの病気つまり肺結核が、己自身に子規と名付けさせるきっかけになったことも、前稿で述べたとおりである。

ライプニッツはアリストテレス以来の伝統的な論理学に対して、大きな風穴を開けた最初の哲学者だった。それは論理的思考をカテゴリーや推論の形態において捉えるのではなく、主語と述語という人間の対象認識のパターンに即して考えるものだった。

ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「もう」Déjà(壺齋散人訳)

  既に百度も太陽は、水平線がかろうじて見える海の、この巨大な桶の中から、輝かしくあるいは悲しげに出現したのだった。既に百度も太陽は、夕暮れの巨大な水槽の中に、きらめきつつ或いは不機嫌そうに沈んだのだった。もう何日も前から、我々は天空の反対側に思いを馳せ、そこに何があるか憶測してきた。どの船客もぶつぶつと不平を鳴らした。陸地の近づいたことが、彼らの苛立ちを募らせたのかもしれない。「いったいいつになったら」と彼らはいうのだ。「高波に揺られ、どよめく風に煽られながら寝なくともすむようになるのだ?いったいいつ、海水のように塩辛くない肉を食えるのだ?いつになったら、ちゃんとした椅子に腰掛けて食事ができるようになるのだ?」

ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「酔っていたまえ」Enivrez-vous(壺齋散人訳)

  常に酔っていることが肝要だ。すべてはそこにある。これこそ唯一の問題なのだ。君の肩に食い込み、君を地面に向かって傾けさせる時の重荷を感ぜずにいるためには、休みなく酔っていなければならぬ。

今年のクリスマスは、多くの人々にとって苦々しいものになったろう。突然吹き起ったともいえる不況の風にあおられて、職を失い、場合によっては住むところを失って、路上でサンタクロースの到来を待ったものもいただろう。

ポインセチア:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


ポインセチアといえば、今ではクリスマスの季節を彩るのに欠かせない。真っ赤に色づいた鮮やかな姿が、冬枯れの景色に色彩を添えてくれる。一鉢だけ部屋の片隅におかれているのも風情があるが、沢山の鉢が並んだところはいっそう華やいだ気分にさせてくれる。とりわけクリスマスツリーの周りをぐるっと囲むようにして並んだところなどは圧巻だ。

李白の詩「元丹丘の歌」(壺齋散人注)

  元丹丘        元丹丘
  愛神仙        神仙を愛す
  朝飲頴川之清流  朝には頴川の清流を飲み 
  暮還嵩岑之紫煙  暮には嵩岑の紫煙に還る
  三十六峰長周旋  三十六峰長く周旋す  
  長周旋        長く周旋し 
  躡星虹        星虹を躡(ふ)む
  身騎飛龍耳生風  身は飛龍に騎(の)って耳に風を生じ
  橫河跨海與天通  河を橫ぎり海を跨いで天と通ず
  我知爾游心無窮  我知る 爾の游心窮り無きを

懷仙歌:李白

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李白の七言古詩「仙を懷ふの歌」(壺齋散人注)

  一鶴東飛過滄海  一鶴東に飛んで滄海を過ぎ
  放心散漫知何在  放心散漫 知んぬ何くにか在る
  仙人浩歌望我來  仙人浩歌して我の來るを望み
  應攀玉樹長相待  應に玉樹に攀じて長く相ひ待たん
  堯舜之事不足驚  堯舜の事 驚くに足らず
  自餘囂囂直可輕  自餘囂囂 直(た)だ輕んずべし 
  巨鼇莫戴三山去  巨鼇三山を戴きて去ること莫かれ
  我欲蓬萊頂上行  我蓬萊の頂上に行かんと欲す

ジョン・ダンの詩集「唄とソネット」から「餌」The Bait(壺齋散人訳)

  さあおいで いとしい人よ
  金色の砂浜 クリスタルな流れで
  絹の糸と 銀の針を使って
  気晴らしに釣りをしてみよう

  川はせせらぎ流れ
  君の目は太陽よりも暖かい
  その目に恋をした魚たちは
  君に釣られることを願うだろう

ジョン・ダンの詩集「唄とソネット」から「昇る陽」The Sun Rising(壺齋散人訳)

  せっかちなオヤジ がさつ者の太陽よ
  どうしてそう気ぜわしく
  窓のカーテン越しに僕らのことを伺うのだ?
  恋の営みもお前の歩調に合わせろというのか?
    助平なエロオヤジめ
    怠け者の子供たちでも叱っていろ
    鷹匠たちに王様のお出ましだと伝えろ
    百姓たちをさっさと仕事に駆り立てろ
  僕らの恋の営みには季節も陽気も
  時間も月日も 時の歩みは関係ない

「マザーグースの歌」から「バビロンまで何マイル?How many miles to Babylon(壺齋散人訳)

  バビロンまでは何マイル?
  60と10マイルさ
  ろうそくの灯りをたよりに行けるかしら
  ああ行って戻ってこれるさ
  君の足が軽くてすばしこいなら
  ろうそくの灯りをたよりに行ってこれるさ

「マザーグースの歌」から「アップルパイ」An Apple Pie(壺齋散人訳)

  アップルパイって おいしそう
  誰だって一切れ食べたくなるわ
  でも本当に味がわかるためには
  一切れだけじゃ足りないかも
  二切れ目のおねだりをしないように
  ねえママ 大きく切ってちょうだいね

二羽のブラックバード There were two Blackbirds:マザーグースの歌(壺齋散人訳)

  二羽のブラックバードが
  丘の上にいましたとさ
  一羽の名はジャック
  もう一羽の名はジル

  飛んでいけ ジャック
  飛んでいけ ジル
  戻って来い ジャック
  戻って来い ジル

柿の実:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


筆者が少年時代に住んでいた家には、庭の片隅に大きな柿の木があった。晩春に小さな白花を咲かせたあと、緑色の果実が夏の間に徐々に大きくなり、秋には橙色に色づく。その間台風がやってきて、多くの実が吹き飛ばされるが、それに耐えて生き残ったものが、秋の深まりとともに甘い実になる。筆者は物置の屋根に上り、そこから先端を二つに割った竹竿を延ばして、一つ一つ実をもぎ取ったことを思い出す。

正岡子規は生涯に夥しい数の俳句を作った。だがその割に名句と呼ばれるようなものは少ない。筆者が全集で読んだ限りでも、はっとさせられるようなものはそう多くはなかった。むしろ退屈な句が延々と並んでいるといった印象を受けたものである。

ライプニッツはデカルトやパスカルと同様、数学や自然科学の分野においても顕著な業績を残した。とりわけ数学の分野においては、微分積分学と記号論理学の創始者として、歴史的な業績を上げた。

ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「貧乏人の玩具」Le joujou du pauvre(壺齋散人訳)

  無邪気な気晴らしをひとつ、諸君に教えてあげよう。この世には罪のない遊びが少なすぎるから。

ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「髪の毛の中の半球」Un hémisphère dans une chevelure (壺齋散人訳)

  いつまでも、いつまでも、お前の髪の匂いをかがせておくれ。渇いた人が泉に顔をくっつけるように、我が顔をお前の髪に埋め、香水を染み込ませたハンカチのような我が手でお前の髪を揺さぶり、思い出のかけらを大気のなかに撒き散らしたい。

李白の七言絶句「早(つと)に白帝城を發す」(壺齋散人注)

  朝辭白帝彩雲間  朝に辭す白帝彩雲の間
  千里江陵一日還  千里の江陵一日にして還る
  兩岸猿聲啼不住  兩岸の猿聲啼いて住(つ)きず
  輕舟已過萬重山  輕舟已に過ぐ萬重の山

李白の七言絶句「峨眉山月歌」(壺齋散人注)

  峨眉山月半輪秋  峨眉山月半輪の秋
  影入平羌江水流  影は平羌の江水に入りて流る
  夜發清溪向三峽  夜清溪を發して三峽に向ふ
  思君不見下渝州  君を思へども見えず渝州に下る

ブッシュ政権が退場を目前に控え、これまで8年間にわたる自らの政権運営を総括したうえで、それがあらゆる意味で米国及び世界の利益にかなったものであったことを自画自賛し、世界中の顰蹙を買ったのはつい最近のことだ。

李白は25歳の頃、蜀を出て長江を東へと下った。彼の生涯にわたる放浪の旅への出発である。この旅の当初の目的が何だったのか、またそれを支えた資産をどのように調達したのかについては、詳しいことは分っていない。とにかく李白はこの後二度と蜀に戻ることはなかった。

1980年代に、台湾や沖縄諸島から本州へ渡り飛ぶ蝶のいることが確認されて、大きな話題となったことがあった。アサギマダラという大型の蝶で、もともと本州でも確認されていたものだが、それが1000キロ以上もの距離を飛んで、南西諸島から本州へと渡っていることは意外な発見だった。

ジョン・ダンの詩集「唄とソネット」から「唄」Song(壺齋散人訳)

  さあ行け 流れ星をつかまえろ
  マンドレークを根こそぎ引っこ抜け
  過ぎ去った日々がどこに消えたか
  悪魔の股を裂いたのは誰か言ってくれ
  どうしたら人魚の歌が聞けるのか
  嫉妬の針を避けられるのか 教えてくれ
   そうすればどんな風が
   正直な心を
  育んでくれるかがわかるから

ジョン・ダンの詩集「唄とソネット」から「蚤」The Flea(壺齋散人訳)

  この蚤を見てごらん こいつにとっては
  君が僕を拒絶したことなど 何の意味もないのだ
  こいつはまず僕の血を吸い ついで君の血を吸った
  こいつの中で僕らの血は混ざり合ったのだ
  わかるだろうこれは 別に罪でもなく
  恥でもなく 貞操が失われたわけでもない
    こいつは求愛もしないうちからお楽しみ
    僕ら二人の血を吸って丸々と太っている
    僕らができないことをまんまとしでかして!

マリーゴーラウンド Sing song, merry go round(壺齋散人)

  歌おうよ メリーゴーラウンド
  飛び上がって月までいこう
  ジョニーが1ペンス見つけたよ
  さあさあ 歌を歌いましょう

小さな時計 The Little Clock:マザーグースの歌(壺齋散人訳)

  小さくて可愛い時計が
  教室の中に立っています
  そして二つの小さな手で
  時刻を教えてくれます

  私たちも時計のように
  きれいなお顔でいましょうね
  そして二つのおテテで
  正しいことをしましょうね

スカボロー・フェアScarborough Fair:イギリスのバラード(壺齋散人訳)

  スカボロー・フェアに行くのなら
  パセリ セイジ ローズマリー&タイム
  どうかある人を訪ねて欲しい
  わたしがかつて愛した人を

アザミ(薊):水彩で描く折々の花


アザミの葉に手を触れて痛い思いをした人は多いことだろう。ただの痛さと違って、しびれるような感じがいつまでも続く、本当にいやな痛みだ。ぎざぎざとした葉の形がいかにも痛そうに思えるので、それとわかっていて触れる人はいないだろうが、他の雑草と混じって生えていることが多いので、思わず触ってしまう。

「俳人蕪村」は子規が蕪村の俳句を取り上げ、その句風を詳細に分析したものである。蕪村の俳句史における位置づけは、子規のこの著作によってゆるぎないものになったといえるほど、蕪村研究の上で画期的な業績であった。

ライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibniz(1646-1716)は、ドイツが生んだ最初の大哲学者である。ドイツ人はライプニッツ以前にもヤコブ・ベーメとマルチン・ルターという偉大な思想家を生んではいるが、体系的な哲学を展開したのはライプニッツが始めてである。以後ドイツ哲学は多かれ少なかれ、ライプニッツの影響を蒙った。

ボードレール「パリの憂鬱」から「群集」 Les foules(壺齋散人訳)

  群集のなかに湯浴みすることは誰にでもできるものではない。群集を享受することはひとつの芸術なのである。幼い頃妖精によって仮装と仮面への趣味を吹き込まれ、定住を嫌い、旅を愛する者のみが、人類にツケを回して、陽気な酒盛りを楽しむことができる。

ボードレール「パリの憂鬱」から「犬と香水瓶」Le chien et le flacon(壺齋散人訳)

  「私の子犬、可愛いワン公、こっちへきて香水の匂いを嗅いでごらん、最高級の店で買ってきたんだぞ。」

李白は申すまでもなく杜甫と並んで中国が生んだ最も偉大な詩人である。しかもこの二人は李白が11歳年長だったことを考慮に入れても、ほぼ同時代人であった。そこから李杜と並び称されるようにもなるが、これは単に同時代人としての併称であることを超えて、中国4000年の文学の真髄を表した言葉なのでもある。

このサイトでは、中国が生んだ偉大な詩人李白について、その放浪の足取りをたどりながら、代表的な作品を読み解いていきたいと思う。

政府の地方分権改革推進委員会が第2次報告を出し、その中で国の出先機関を統廃合して3万5000人を削減、うち2万3000人は地方へ移管という目標を掲げた。なかなか進まぬ行政改革を、数値目標を示すことで進めさせようとする意図が伺えるが、その中身は十分な検証を経たものとはいえないようで、早くも実現を危ぶむ声が優勢だ。

介護の現場において、ロボットの果たす役割がこれまで以上に多彩になってきそうだ。ただに身体的な面の介護にとどまらず、認知障害のような精神作用にかかわる介護も日程に上ってきたらしい。まだまだ人間のヘルパー並というわけにはいかぬが、主人の基本的な行動パターンを覚えこんで、それから逸脱するような行為に対し警告を発するくらいのことはできるまでになったそうだ。

ジョン・ダン John Donne (1572-1631) はイギリスの文学史上あまり例をみないユニークな詩人である。その文学上の業績は同時代人にとっては受け入れられることはなかった。だが20世紀になると深い影響を及ぼすようになり、イェイツやエリオットに高く評価された。ヘミングウェーやマートンは自分の作品の題名をダンの文章からとったりしている。

不況が国際的な広がりを見せる中で、日本経済も深刻な局面に入りつつあるようだ。輸出産業に依存する構造的な弱さが、不況の深刻化に拍車をかけていることもある。その影響が、派遣や短期雇用といったいわゆる非正規雇用の人々を直撃している。明日からの仕事はもうないと、突然解雇通告を受ける人々が急増しているのだ。

10人のインディアン Ten little Indian boys (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  10人のインディアンの男の子 食事に出かけた
  一人が咽喉を詰まらせて 9人が残った

ライオンと一角獣 The lion and the unicorn (マザーグースの歌:壺齋散人訳)


  ライオンと一角獣が王冠をめぐって戦った
  ライオンが一角獣を打って街中を追い掛け回した
  街の人は二人にパンやケーキをやったりしたけど
  とうとう太鼓を打ち鳴らして追い出してしまった

漕げ漕げお舟 Row, row, row your boat (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  漕げ漕げお舟
  優しく流れを下れ
  楽しく 楽しく
  人生なんて夢のよう

子規と俳句

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正岡子規は生涯に数万の俳句を詠んだ。彼はその中から保存するに耐えると思うものを選び出し、分類した上で手帳に清書して書き溜めた。その数は2万句近くに上る。手帳の1冊目から5冊目までは「寒山落木」と題し、6冊目と7冊目には「俳句稿」と題した。今日子規全集に納められているのは、これらの句が中心になっている。岩波文庫から出ている高浜虚子編「子規句集」もそれから抜粋したものである。

スピノザには政治を論じた著作が二つある。ひとつは「神学・政治論」であり、彼の生前に刊行された唯一の体系的著作である。二つ目は「政治論」であるが、これは「エチカ」執筆後に書かれ、死後遺作集のなかに収められた。同じく政治を論じており、思想的な内容には共通するものがあるが、構成や問題提起の面で、多少の相違がある。

ボードレール「パリの憂鬱」から「道化とヴィーナス」(壺齋散人訳)

  何とすばらしい日なんだろう!広い公園も燃えるような太陽の下でうっとりとしている。まるで若い娘がキューピッドに操られているかのようだ。

ボードレール「パリの憂鬱」から「キマイラを背負った人々 」 Chacun sa chimère(壺齋散人訳)

  灰色の空の下、道もなく、芝もアザミもイラクサも生えぬ埃まみれの大地を、腰を曲げて歩いていく一団の人々に出会った。

  彼らの一人一人は背中に巨大なキマイラを背負っている。それは小麦粉か石炭を詰め込んだズタ袋のように、あるいはローマ歩兵の背嚢のように重く見えた。

アメリカの金融危機が実体経済にまで飛び火し、消費者の購買意欲が劇的な低下を見せる中で、アメリカ経済の象徴であった自動車産業が危機的な状況に陥っている。自動車の売り上げが昨年比30パーセントも減少する事態に見舞われ、ビッグスリーはいづれも深刻な経営危機に陥ったのである。

筆者の今の職場は総勢50人ばかりの世帯、構成員の殆どは女性である。それも年配の女性、いわゆる熟女が多い。直前に勤めていたところは300人近い従業員の全部が男だったから、えらい様変わりといえる。

阮籍の詠懐詩其三十三「一日復一夕」(壺齋散人注)

  一日復一夕  一日復た一夕
  一夕復一朝  一夕復た一朝
  顔色改平常  顔色平常を改め
  精神自損消  精神自ら損消す
  胸中懷湯火  胸中湯火を懷き
  變化故相招  變化故に相ひ招く
  萬事無窮極  萬事窮極無く
  知謀苦不饒  知謀饒(おほ)からざるに苦しむ
  但恐須臾間  但だ恐る須臾の間に
  魂氣隨風飄  魂氣の風に隨って飄るを
  終身履薄冰  終身薄冰を履む
  誰知我心焦  誰我が心の焦(あせ)るを知らん

阮籍の詠懐詩其四を読む。(壺齋散人注)

  天馬出西北  天馬は西北より出づるも
  由来従東道  由来 東道に従う
  春秋非有託  春秋 託する有るに非ず
  富貴焉常保  富貴も焉ぞ常に保たん
  清露被皐蘭  清露は皐の蘭を被ひ
  凝霜霑野草  凝霜は野草を霑す
  朝為媚少年  朝には媚少年たれども
  夕暮成醜老  夕暮には醜老と成る
  自非王子晉  王子晉に非ざる自りは
  誰能常美好  誰か能く常に美好なるべき

人間というものはごくあっさりと死ぬこともあるものだ。筆者は最近心筋梗塞で突然倒れた男が、そのまま静かに死んでいった事態を目のあたりにして、人間の命のはかなさに感じ入るとともに、自分も死ぬのなら、こんな風に穏やかに死んでいきたいと、なかばうらやましく思ったことがあった。

シェイクスピアのソネット154 The little Love-god lying once asleep(壺齋散人訳)

  小さな愛の神キューピッドがまどろんで横たわり
  人の心に火をたきつける松明を傍らに置いていると
  純潔のうちに生きているあまたのニンフたちが
  軽やかな足取りで通りがかった

シェイクスピアのソネット147 My love is as a fever, longing still(壺齋散人訳)

  私の愛は熱病のようなもの
  病気をさらに養い育てるものを追い求め
  患いを長引かせるものを欲しがり
  変わりやすく病的な欲望を満たそうとする

裁判員候補者への通知が行われている。先週末に第一便が届き始め、昨日と今日とで該当者のほぼ全員へ届いているはずだ。もらった人は複雑な気持ちだろう。もらわなかった人はとりあえず胸をなでおろしたかもしれない。

シェイクスピアのソネット137 Thou blind fool, Love, what dost thou to mine eyes,(壺齋散人訳)

  盲目の愚か者 愛の神よ 私の目に何をしたのだ?
  ものを見ているのに 見ているものが見えず
  美とは何であり どこにあるかも知っていながら
  最悪のものを最善のものと取り違える有様なのだ

ヒガンバナ(彼岸花:曼珠沙華):水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


いつか大月付近の丸山というところを散策した折に、山の麓を流れる清流沿いに彼岸花が真っ赤に咲き並んでいたことを思い出す。あれは確か秋の彼岸の頃だったから、花はその名を裏切らずに咲いていたわけである。細長くのびた茎の先に、千々に乱れて咲く花の様子は、何とも不思議な気分に人を誘う。

企業による新卒者の採用内定が、相次いで取り消されているという。背景にはこのところ深刻化してきた景気の低迷がある。業績悪化が見込まれる中で、人員を増やす余裕はないというのが、企業側の取り消しの理由だ。だが取り消される学生にとって見れば、険しい就職戦争の中でやっともらった内定通知を、あっさりと取り消されるのではたまったものではないだろう。この先代替の就職先が見つかる可能性も極めて少ない。



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