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女が男の股引をはく時


筆者の今の職場は総勢50人ばかりの世帯、構成員の殆どは女性である。それも年配の女性、いわゆる熟女が多い。直前に勤めていたところは300人近い従業員の全部が男だったから、えらい様変わりといえる。

この50人ばかりの人たちのなかから何人かの女性を選んで、中間の監督職のようなものをお願いしている。なにしろこれだけの人数を抱え、しかも勤務のローテーションが不規則とあっては、彼女らの活躍無しには組織が働いていかない。

そこで彼女らの労をねぎらうというわけではないが、半分は自分自身の気晴らしも兼ねて、時たま彼女らを誘って飲みに行くことがある。

先日もチーフ役の3人の女性を誘って縄暖簾に入った。3人とも筆者とほぼ同じ年代だから、気も話もあう。互いに気兼ねすることなく、よく飲み、かつよく食い、ざっくばらんに談笑する。

彼女らは三人とも子育てが終って、自分の家族に対して責任を果たし、これからは自分自身のために生きていくべき時期だ。その時に問題になるのが亭主の存在らしい。一体亭主というのは何者なのか。若い頃にはその存在にも何がしかの意味があった。だがこの年になって家の中に二人きりで取り残されるようになると、その存在があらためて問題意識に上ってくるらしい。

亭主と比較的仲のよかった人でも、年中べったりとそばにいられるのはうれしくない。ましてこれまで勝手なことをやってきた亭主が、まだ亭主面をして自分の面倒をみるように、妻に求めてくるのは不本意だ。亭主といえどももっと妻に気を配り、今更やさしくしろとはいわないが、自分のことくらいは自分でしろ、そんな気にもなるという。

亭主の存在がもっともガマンできないのは、いびきをかかれた時だ。首を絞められた鶏のような、けたたましい声をあげていびきをかくかと思えば、ばたばたと暴れまわって、そばで寝ている身としては、とても安眠できるどころではない。

とまあ、こんな調子で話題は尽きるところがない。筆者は彼女らの剣幕に煽られて、自分の亭主振りを反省したりもする。

ところが亭主にも役に立つところがある。厳密には亭主の持ち物というべきかも知れない。冬の寒気が厳しい時には、女物より男物を着たほうが都合のよいことがあるが、そんな折には亭主のお下がりを引っ張り出して着るのだという。

なかでも優れものは股引で、これは女物には求められない快適さを与えてくれるそうだ。筆者には股引に男女の機能差があるとは思えなかったので、その訳を聞くと、男物のマタグラについている細工がよいのだという。最近の股引はよくできていて、単に用を足すための穴が開いているだけでなく、そこがポケットのようになっていて、ホカロンを収納するのに都合がいいというのだ。

筆者は便所にいったついでに、早速自分の股引の構造をチェックしてみた。なるほど用を足す部分はただの穴ではなく、脇のほうがポケットのようになっている。これならホカロンを入れるのに都合がよいに違いない。

ともあれ、彼女らの意気盛んなことには恐縮するばかりだ。「窈窕たる淑女」というには、すこし年を取りすぎたが、まだまだ女の魅力に溢れている。そんな彼女らを筆者は、「豊穣たる熟女」と呼びたい。


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