2009年1月アーカイブ

マザーグースの歌から「ホップ、ステップ、ジャンプ」With a Hop, Step, and a Jump(壺齋散人訳)

  粉屋さんが粉をひけば
  粉屋さんが粉をひけば
  男の子が笛を鳴らしてやってくる
  ホップ ステップ ジャンプして

子規は明治31年7月に碧梧桐の兄河東可全にあてて書いた手紙に添えて、自分の墓碑銘を送った。

  正岡常規又ノ名ハ処之助又ノ名は升
  又ノ名ハ子規又ノ名ハ獺齋書屋主人
  又ノ名ハ竹の里人伊予松山ニ生レ東
  京根岸ニ住ス父隼太松山藩御
  馬廻り加番タリ卒ス母大原氏ニ養
  ハル日本新聞社員タリ明治三十□年
  □月□日没ス享年三十□月給四十円

ジョン・ロック John Locke (1632-1704) は、近代以降の西洋の学問を特徴付けている経験科学的な方法を、哲学の上に組織的に適用した最初の思想家だといえる。その意味で彼は経験論的哲学の創始者といってよい。ロック以降あらゆる観念を経験にもとづかせ、帰納的方法を用いて、漸次に高度の真理に迫ろうとする哲学の流れが、それまで支配的であった観念論的で、したがって先験的な哲学と並んで、大きな潮流となった。

エディット・ピアフのシャンソン「十字架」Les Croix:壺齋散人による歌詞の翻訳

  神様 この世には沢山の十字架があるのですね
  木や鉄の十字架
  なつかしい十字架
  胸元を飾ってる
  小さな銀の十字架
  廃墟の中に捨てられた
  修道女の古い十字架

エディット・ピアフ Edith Piafのシャンソン「日曜日はきらい」Je hais les dimanches:壺齋散人による歌詞の翻訳

  週のうちのどの日も
  うつろで空っぽだわ
  でも最もいやなのは
  日曜日なのよ
  バラ色めかして
  気前よく遊び
  幸せそのもののようだけど
  その振りをしてるだけ

  日曜日はきらい
  日曜日はきらいなの

李白の五言律詩「孟浩然に贈る」(壺齋散人注)

  吾愛孟夫子  吾は愛す孟夫子
  風流天下聞  風流 天下に聞こゆ
  紅顏棄軒冕  紅顏 軒冕を棄て
  白首臥松雲  白首 松雲に臥す
  醉月頻中聖  月に醉ふて頻りに聖に中(あた)り
  迷花不事君  花に迷ひて君に事(つか)へず
  高山安可仰  高山 安んぞ仰ぐ可けんや
  徒此揖清芬  徒(た)だ此に清芬を揖す

嘲魯儒:李白

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李白の五言古詩「魯儒を嘲る」(壺齋散人注)

  魯叟談五經  魯叟 五經を談じ
  白髮死章句  白髮 章句に死す
  問以經濟策  問ふに經濟の策を以てすれば
  茫如墜煙霧  茫として煙霧に墜つるが如し
  足著遠遊履  足には遠遊の履を著き
  首戴方山巾  首には方山の巾を戴く
  緩歩從直道  緩歩して直道に從ひ
  未行先起塵  未だ行かざるに先づ塵を起こす
  秦家丞相府  秦家の丞相府
  不重褒衣人  褒衣の人を重んぜず
  君非叔孫通  君は叔孫通に非ず
  與我本殊倫  我と本(もと)倫を殊にす
  時事且未達  時事すら且つ未だ達せず
  歸耕汶水濱  歸耕せよ汶水の濱に

ジョン・ダンの詩「父なる神への讃歌」A Hymn To God The Father(壺齋散人訳)

  私がそこから始まった罪 私自身の罪ではあるけれど
  わたしが生まれる前になされていた罪を あなたは許し給うだろうか
  私がそれによって生き 今もなお生き続けながら
  常に悔いている罪を あなたは許し給うだろうか
  だがあなたがそれを許し給うても 許されたことにはならない
  私にはまだほかにも 罪があるのだから

ジョン・ダンの瞑想録から「誰がために鐘は鳴る」Meditation XVII(壺齋散人訳)

晩年のダンは、深い宗教的な思索を詩や説教の中で表した。それらは初期の詩に見られたような感性や諧謔、不安や絶望といったものを脱却して、魂の救済を大きなテーマにしている。なかでも「瞑想録」と題した一連の説経は、後世の人々にも大きな影響を与えた。

シクラメン:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


シクラメンは、今では正月を飾るには最も相応しいものだ。秋から春先にかけて、長い間見事な花を咲かせ続ける。形といい、色合いといい、また葉っぱのもつ柔らかなタッチといい、見る人の心を和ませてくれる。冬の花の女王というのに相応しい。

マザーグースの歌から「錠前と鍵」Lock and Key(壺齋散人訳)

  私は金の錠前です
  僕は金のカギです
  私は銀の錠前です
  僕は銀のカギです
  私は真鍮の錠前です
  僕は真鍮のカギです
  私は鉛の錠前です
  僕は鉛のカギです
  私はモンクの錠前です
  僕はモンキーです

マザーグースの歌から「クモとハエ」The Spider and the Fly(壺齋散人訳)

  “僕のお部屋へこないかい?” クモがハエに呼びかけました
  “とってもすてきで どんなところより快適だよ
  ここへは螺旋階段を 登ってくるといいよ
  君がきたらいろんなものを 見せてあげる“

  “いえいえ”ハエは言いました “甘い言葉には乗らないわ
  あなたのおうちを訪ねた人は 戻ってこないといいますもの“
  “心配なのはよくわかるよ 高いところにあるからね
  でも僕んちのベッドは快適だよ“ クモはなおもいいました

マザーグースの歌から「月の日数」The days of the month(壺齋散人訳)

  30日ある月は九月です
  四月、六月、十一月も
  二月は28日しかありません
  残りの月には31日
  閏年を除いてはね
  その年の二月は29日

「歌よみに与ふる書」を発表した子規は、その後も批判に答える形で、「ひとびとに答ふ」などを執筆しながら、自らも和歌作りの実践をしていく。それらは漢語の多用が目立ったり、俳句趣味を和歌に持ち込んだと思われるものがあったり、人の意表をつくような内容のものも多かったが、子規は次第に和歌のなかに自分の世界を作り上げていく。

トーマス・ホッブス Thomas Hobbesは、政治理論に関する最初の近代的な思想を展開した人である。ホッブス以前にマキャヴェリがいて、古い因習から開放された新しい権力のあり方を論じていたが、それはまだ近代的な国家というものと結びついていなかった。政治を国家論とからめながら、そこに近代的な考えを持ち込んだのはホッブスが初めてなのである。

ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「エピローグ」Epilogue(壺齋散人訳)

  余は心満ちて山に登る
  そこからはゆったりとした街が望める
  病院、娼家、煉獄、地獄そして監獄も

  そこでは常軌を逸した事柄が花ざかり
  おおサタンよ 我が苦悩のパトロンよ
  余は空涙を流すためにそこへ行ったのではない

ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「どこへでもこの世の外なら」 N'importe où hors du monde(壺齋散人訳)

  人生とは、病院のようなものだ。そこでは患者それぞれがベッドの位置を変えたい欲望にとらわれている。この者は、どうせ苦しむなら暖炉の前でと望み、かの者は、窓際なら病気がよくなるだろうと信じている。

  私もまた常に、どこか違う場所ならもっといいに違いないと感じている。場所を移すということは、私がいつも自分の魂に問いかけているテーマなのだ。

昨夜は少年時代からの友人と久しぶりに会って一杯やった。場所は船橋の繁華街の中の小さな路地に面した加賀屋という赤提灯である。過去に何度かひとりで入ったことがあり、その度に居心地の良さを感じたので、自分の分身のような気の置けない男と二人で飲むには、ちょうどよい空間だろうと思って、この店を選んだ次第だ。

客中作:李白

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李白の五言絶句「客中の作」(壺齋散人注) 

  蘭陵美酒鬱金香  蘭陵の美酒 鬱金香
  玉碗盛來琥珀光  玉碗に盛り來る 琥珀の光
  但使主人能醉客  但だ主人をして能く客を醉はしむれば
  不知何處是他鄕  知らず 何れの處か是れ他鄕

李白の五言絶句「春夜洛城に笛を聞く」(壺齋散人注)

  誰家玉笛暗飛聲  誰が家の玉笛ぞ 暗に聲を飛ばす
  散入春風滿洛城  散じて春風に入りて洛城に滿つ
  此夜曲中聞折柳  此の夜 曲中に折柳を聞く
  何人不起故園情  何人か起こさざらん故園の情


アンドリュー・ワイエス Andrew Wyeth といえば、まるで写真のようにリアルなタッチの絵を描き続けた画家だ。それも水彩絵具やテンペラといった、現代アートではマイナーな画材を用いた。その世界は風景にしろ、人物にしろ、どこか郷愁を誘うようなところがある。日本人にとってもなじみの深い画家だ。この年末年始には渋谷の文化村で展示会が開かれていたから、見に行った人も多いことだろう。

ジョン・ダンの「聖なるソネット17(天国への思い)」(壺齋散人訳)

  我が愛する女性が この世への負債を支払い
  彼女自身と 私の幸福のために死んで
  その魂が天に召されてからというもの
  私はすっかり 天国へと思いをいたした

  ここに彼女をたたえるあまりに 神よ
  私はあなたを追い求めて 水源をたどった
  でもあなたを見出し あなたに渇きを癒されても
  あなたの癒しは 水腫となって私をとろかすのみ

死よ驕るなかれ:ジョン・ダンの「聖なるソネット10」(壺齋散人訳)

  死よ驕るなかれ 汝を力強く恐ろしいと
  いう者もいるが 決してそうではない
  汝が倒したと考える者は 死にはしない
  おろかな死よ 汝は私を殺せないのだ

人間は男女が揃って始めて種として存続できる。どちらがいなくても子孫は残せない。当たり前のことだが、この当たり前がいつか実現することが確実なのだという。地球上から人間の男が消え、したがって人類そのものが消滅することは時間の問題だというのだ。この戦慄すべきことがらについて、NHKの科学番組が細かく解説していた。

マザーグースの歌から「ああ、どうしましょう」Oh! Deary, deary me(壺齋散人訳)

  むかしむかし あるおばあさんが
  卵を売りに市場へでかけた
  ところが市場はあまり遠かったので
  途中で疲れて道端に寝込んだ

  そこへ物売りが通りがかり
  おばあさんのコートを切り裂いた
  ひざのあたりまで切り裂いたので
  おばあさんは寒くてふるえあがった

  やがて目覚めたおばあさんは
  体をぶるぶるふるわせた
  そして泣きながらこういった
  “ああどうしましょう これじゃ私じゃないみたい”

マザーグースの歌から「二匹のネコ」There once were two cats(壺齋散人訳)


  キルケニーの二匹の猫
  お互いを邪魔だと思いました
  それで二匹は戦いを始め
  引っかいたり噛み付いたり
  お互いを消してしまおうとしましたので
  爪と尻尾の先のほかには
  残らず消えてしまいました

マザーグースの歌から「吹け 吹け 風よ」Blow, wind, blow!(壺齋散人訳)

  吹け 吹け 風よ!
  回れよ風車!
  粉屋が粉を
  ひけるように
  パン屋がそれで
  パンを焼いて
  みんなの朝ごはんに間に合うように

子規は若い頃から和歌にも親しんでいた。「筆まかせ」のなかの一節で、「余が和歌を始めしは明治十八年井出真棹先生の許を尋ねし時より始まり」と書いているが、実際に作り始めたのは明治15年の頃であり、歌集「竹の里歌」もその年の歌を冒頭に置いている。

昨日(1月16日)、ニューヨークのラガーディア空港を飛び立った旅客機がエンジン・トラブルを起こし、ハドソン川に不時着するという事故が起きた。飛行機には合せて155人が乗っており、一歩間違えば大惨事になったところを、全員救出されたという。

トーマス・ホッブス Thomas Hobbes (1588-1679) は、近代的な政治思想をはじめて体系的に展開した人物として、いうまでもなく政治思想史上の偉人であるが、哲学史の上でもユニークな位置を占めている。

ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「スープと雲」La soupe et les nuages(壺齋散人訳)

  とてつもなく可愛い我が恋人が、私を夕食に招いてくれた。私は食堂の開け放った窓ごしに、神が蒸気で作りたまうた動く建築物、触ることの出来ないすばらしい構造物を眺めていた。そして眺めつつ独り言をいったものだった。「この幻のような形は、彼女の目のように美しい。緑色の瞳をした、とてつもなく可愛い怪物だ。」

ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「うやうやしき射撃手」Le galant tireur(壺齋散人訳)

  馬車が森のなかを走っていたとき、彼は射的場の近くに馬車を止めさせてこういった、時間つぶしに弾を二三発撃つのもよいだろう、時間をつぶすのは、誰にとってもごくありふれた、しかも正当なことだもんなと。そういうと彼は、魅力的だが憎たらしい女、喜びでもあり苦しみでもあり、恐らくは生きがいそのものでもある自分の妻にむかって、うやうやしく手を差し伸べた。

李白の詩「舊遊を憶ひて,譙郡元參軍に寄す」(壺齋散人注)

  憶昔洛陽董糟丘   憶ふ昔 洛陽の董糟丘の
  為余天津橋南造酒樓 余が為に天津橋の南に酒樓を造りしことを
  黄金白璧買歌笑   黄金 白璧 歌笑を買ひ
  一醉累月輕王侯   一醉月を累ねて王侯を輕んず
  海内賢豪青雲客   海内の賢豪 青雲の客  
  就中與君心莫逆   就中君と心莫逆たり
  迥山轉海不作難   山を迥り海に轉じて難しと作(な)さず
  傾情倒意無所惜   情を傾け意を倒(さかじま)にして惜しむ所無し

一国の首相も国民の不支持が7割を上回るようでは末期的だ。不人気もここまで徹底すると、言われなくとも済むことまで言われるようになる。今日も知人たちと昼食をとっている最中、こんな噂話が飛び出てきた。時の首相は「3Kが読めない」。

李白の五言律詩「太原の早秋」(壺齋散人注)

  歳落眾芳歇  歳落ちて眾芳歇(や)み
  時當大火流  時は大火の流るるに當る
  霜威出塞早  霜威塞を出でて早く
  雲色渡河秋  雲色河を渡って秋なり
  夢繞邊城月  夢は繞る邊城の月
  心飛故國樓  心は飛ぶ故國の樓
  思歸若汾水  歸らんと思へば汾水の若く
  無日不悠悠  日として悠悠たらざるは無し

女と男とでは、生殖という共通の目的に向かって異なる機能を果たすようにできている。これは人間に限らず、動物植物を通じて二倍体を選んだ生き物の宿命だ。機能が異なるのであるから、身体の構造もそれによって異なるし、行動様式にもさまざまな相違が見られる。男は概して社会的かつ攻撃的であり、女は概して家庭的かつ包容性に富んでいるといった具合に。

ジョン・ダンの「聖なるソネット4(黒く汚れた心よ)」(壺齋散人訳)

  おお 私の黒く汚れた心よ いまやお前は召されるのだ
  死の魁にして主人たる病にせかされて
  お前は旅先で裏切を犯した罪によって
  逃げてきた祖国に戻れない巡礼のようだ

ジョン・ダンの詩「聖なるソネット1(翼をください)」(壺齋散人訳) -Z a

  あなたは私を作られた なのに私は滅んでいく
  私を回復してください でないと終わりがやってきます
  私は死に向かって走り 死もまた私を迎えようとする
  私のすべての喜びも 昨日の夢のように思われるのです

マザーグースの歌から「可愛い子猫ちゃん」Hey my kitten, my kitten(壺齋散人訳)

  可愛い 可愛い 子猫ちゃん
  おしゃまで おてんばな 子猫ちゃん
  なんて可愛らしいのでしょう
  このあたりで一番の器量よし

  さあさあ一緒に 跳ねましょう
  さあさあ一緒に 飛びましょう
  前へ進み 後ろに下がり
  ぐるっと一回り 回りましょう

マザーグースの歌から「ウサギのパイ」Rabbit, rabbit, rabbit pie(壺齋散人訳)

  ウサギの ウサギの ウサギのパイ
  是非買っといで 奥方たち
  でないとチビちゃんが泣き止まないよ

マザーグースの歌から「ガア ガア ガチョウさん」Goosey, Goosey, Gander(壺齋散人訳)

  ガア ガア ガチョウさん
  よちよちどこへお出かけ?
  階段を上って下りて
  奥様のお部屋へいくの

  そこにいる旦那さまが
  お祈りをしないので
  後ろ足をつかまえて
  ひっくり返してやるの

近代国家日本の最初の対外戦争である日清戦争が始まると、元来が武家意識の塊であり、しかも新聞記者でもある子規は、自分も従軍したくてたまらなかった。しかし結核をわずらい、体力には自身がなかったため、周囲の反対もあってなかなか実現しなかった。

魔女の火あぶりなどというと、中世ヨーロッパの森の奥から遠くこだましてくる言葉のように聞こえるが、21世紀の地球上にも、いまだに同じことが行われている所があると聞き、驚いた。

気の置けない人びとと一堂に会し、杯を酌み交わしながら清談に耽る、これほど人生に色を添えてくれるものはない。この日もそんな人びとと一夜を共にする機会に恵まれた。先日羽田でアナゴ料理を食った仲間だ。

ライプニッツが真情から神の存在を信じていたかは疑わしい。なるほど彼は「弁神論」を始めさまざまな機会に神の存在に言及し、その証明まで試みてはいる。しかしそれらを読むと、神の存在はライプニッツにとって崇高で威服すべきことであるというよりは、彼の論説の支えとなるような位置づけを与えられているように見える。

ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「港」Le port(壺齋散人訳)

  人生の戦いに疲れた魂にとって、港は魅力ある滞在場所だ。豊かな空、動く建築物のような雲、色彩を変化させる海、光きらめく灯台、これらは人の目を楽しませる素晴らしいプリズムであり、決して人を飽きさせることがない。帆を複雑に絡ませてそびえる船の形、それに波が押し寄せて調和ある揺れをもたらし、魂にリズムと美への嗜好を養ってくれる。またとりわけ、神秘的で貴族趣味の快楽がそこにはある。それは、もはや好奇心も野心もなく、見晴台の上で横になったり、あるいは防波堤に肘つきながら、出船入船の様子を伺いつつ、まだ欲する気力を持っている者、旅をし、豊かになろうと欲する者を、隈なく眺め渡すことである。

ボードレールの散文詩集「パリの憂鬱」から「競走馬」Un Cheval de race(壺齋散人訳)

  彼女は美しくはない、だが優雅なのだ。

  時間と愛とが、人に爪跡を刻み、ひと時の流れ、接吻の一つひとつが若さと瑞々しさを奪っていくことを、残酷にも彼女に教えてくれた。

  彼女は醜い。アリのようであり、クモのようであり、そういいたければ骸骨そのものといってよい。しかしまた同時に、媚薬であり、権威であり、魔法でもある。要するに彼女は素晴らしいのだ。

李白の五言古詩「長干行」(壺齋散人注)

  妾髮初覆額  妾が髮初めて額を覆ふとき
  折花門前劇  花を折って門前に劇(たはむ)る
  郎騎竹馬來  郎は竹馬に騎って來り
  遶床弄青梅  床を遶りて青梅を弄す
  同居長干里  同じく長干の里に居り
  兩小無嫌猜  兩つながら小(おさな)くして嫌猜無し

静夜思:李白

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李白の五言絶句「静夜に思ふ」(壺齋散人注)

  牀前看月光  牀前 月光を看る
  疑是地上霜  疑ふらくは是れ地上の霜かと
  挙頭望山月  頭を挙げては山月を望み
  低頭思故郷  頭を低れては故郷を思ふ

日雇い労働者の派遣禁止を内容とする労働者派遣法の改正案が、国会で継続審議扱いのままになっている。この法案の審議が進まないうちに、雇用情勢が一段と悪化し、いわゆる派遣切りという事態が生じてきていることは周知のとおりだ。

ジョン・ダンの詩集「歌とソネット」から「魂の喜び」Soul’s Joy(壺齋散人訳)

  魂の喜び いま僕は逝く
  君を残して
  だけれども
  僕は一人で行くわけじゃない
  君も一緒に連れて行くのだ
  僕らの目には
  互いの姿が見えなくなり
  永遠の闇に包まれるとき
  そのとき互いが光に変わる
  悲しみに沈むことなく
  互いの愛を
  信じ続け
  この奇跡をおこさせよう
  消え去るのは僕らではなく肉体なのだと

ジョン・ダンの詩集「歌とソネット」から「恍惚」The Ecstacy(壺齋散人訳)

  ベッドの上の枕のように
  はちきれた土手が盛り上がって
  スミレの頭を休ませてるところに
  僕らは愛し合いながら横たわっていた

  つなぎあった僕らの手は
  にじみ出る汗の香油で固く結ばれ
  二つの目から飛び出る視線は
  僕らの目を二重の糸でつなぎ合わせる

マザーグースの歌から「陽気な粉屋」There was a jolly miller(壺齋散人訳)

  陽気な陽気な粉屋さん
  ディー川のほとりに住んでいた
  年中歌いながら働きます
  ヒバリにおとらぬひょうきん者
  歌にはお気に入りの文句があって
  こんな風に繰り返します
  “ヤッホー ヤッホー ヤッホッホー
  おいらはひとりで生きてくだ
  誰の世話にもならねえだ“

マザーグースの歌から「ひとりのおばあさん」There was an old woman, and what do you think?(壺齋散人訳)

  ひとりのおばあさんがいたってさ
  食べ物と飲み物で暮らしてたってさ
  食べ物と飲み物があればご機嫌だけど
  そのかわりいつもじっとしていない

  パンやさんにいってパンを買って
  もどってくるとおじいさんが死んでた
  教会にいって鐘鳴らしてもらって
  もどってくると生き返ってた

マザーグースの歌から「ロビンと猫」Little Robin Redbreast(壺齋散人訳)

  赤い胸のロビンは枝の上
  子猫が上ると ロビンは下りる
  子猫が下りると ロビンは逃げる
  捕まえてごらん そういうと
  ロビンは壁に飛び上がる
  子猫は追いかけて 落ちそうになった
  ロビンがからかうと 子猫は言った
  ニャーオニャーオ ニャーオ
  その間にロビンは飛んでった

センリョウ(千両):水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


センリョウはマンリョウとならんで、正月を彩るめでたい植物だ。ともに花ではなく、鮮やかに色づいた実を鑑賞する。実のなるさまは互いによく似ているが、葉の形で容易に見分けられる。マンリョウのほうは肉厚な葉なのに対し、センリョウのほうはこのように、ギザギザの縁取りをともなった平べったい形をしている。

子規と漱石

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漱石は子規の死後数年たった明治四十一年に、雑誌ホトトギスの求めに応じて子規の思い出を口述筆記させた。その中に次のようなくだりがある。

「なんでも僕が松山に居た時分、子規は支那から帰って来て僕のところに遣って来た。自分のうちへ行くのかと思ったら、自分のうちへも行かず親類のうちへも行かず、此処に居るのだといふ。僕が承知もしないうちに、当人一人で極めて居る。」(漱石談話 正岡子規)

ライプニッツは観念論者であったが、その観念論とは唯物論に対比されるような意味での観念論であるというより、存在を論理によって導き出そうとする意味での観念論であった。

NHK恒例の新春トーク番組が今年は「世界はどこへ、そして日本は」と題し、いま世界中が陥っている経済の機能不全と日本のこれからについて、活発な議論を展開するというので、期待しながら見た。というのもこの議論には今日の日本の論客を代表する人物として7人が名を連ね、その中にこれまでの日本の経済政策をリードしてきた竹中平蔵氏と、始終これを批判してきた金子勝氏が含まれていたからだ。

新年を迎えて

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今年2009年の元旦は、朝からからりと晴れ渡った空が、新年の門出を清々しく飾ってくれた。多少風は吹いていたが、まあまあの日和だった。今年一年が、このように順調に進むことを願わずにはいられない。



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