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リヴァイアサン Leviathan:ホッブスの政治思想


トーマス・ホッブス Thomas Hobbesは、政治理論に関する最初の近代的な思想を展開した人である。ホッブス以前にマキャヴェリがいて、古い因習から開放された新しい権力のあり方を論じていたが、それはまだ近代的な国家というものと結びついていなかった。政治を国家論とからめながら、そこに近代的な考えを持ち込んだのはホッブスが初めてなのである。

プラトンとアリストテレス以来、政治学には二つの大きなテーマがあった。一つは最良の国家の形態とは何かということであり、もうひとつは国家の権力はいかにあるべきかということであった。

これらの問いに対してホッブスは、最良の国家の形態は君主制であり、その権力は絶対的でなければならないと答えた。その限りでは、ホッブスはアリストテレスの問題意識と大して変わらないともいえる。だが彼のユニークな点は、たとえ君主制の国家であっても、その正当性の根拠を人々相互の間の契約、つまり人民の自由な意志に求めたことであった。

国家というものは天から降って湧いたものではない。また外部から強制されるものでもない。それはあくまでも成員の自由な意思に基づいて成立する。こう考えるところがホッブスの政治理論の新しさである。

ホッブスは国家が成立する必然性を、人間の本性のうちに求めた。そこで援用される人間の見方は、彼の哲学理論と密接に結びついている。人間とは生まれた状態では何らの観念をも抱いておらず、経験によって少しずつ利口になっていく生き物である。だから原始的な状態における人間相互の関係というものは、あらかじめ定められた客観的な規範もなく、したがって無秩序そのものである。このような状態では、人々は自分の自己保存のために、それぞれ勝手に動き回るようになる。その結果が果てしない争いにつながるのは容易に見て取れる。

ホッブスの有名な命題、「人間は互いに対して狼である」というのは、このようなホッブスの人間観を政治の側面から説明した言葉である。

人々が国家というものを作るのは、原始的な無秩序を脱却して、安心して生きていくためである。そのために人々は自分の自由の一部を国家に預けるような契約を互いに決め交わす。肝心なのは、この契約が人々相互の間でなされるという点であり、人民と国家の間でなされる点ではないことだ。国家はあくまで人民の自発的な意思に根拠を有しているのである。

こうして生まれた国家は、 Commonwealthと称され、またリヴァイアサン Leviathan と呼ばれる。リヴァイアサンは不死ではない神である。つまり人々の公の行為を律する天の声なのだ。

人民から委託を受けた国家には、その権力を行使する主権者が生まれる。ホッブスはその主権者を、一人の君主であるべきで、その権力は絶対的でなければならないと考えた。

ホッブスがそう考えた理由は、彼が生きた時代背景のなかに潜んでいる。ホッブスはもともと王党派的な考え方を持っていたが、クロムウェルによる政治を目にしてからは、政治的なアナーキーに対する憎悪感をいっそう強めた。彼にとっては、クロムウェルの支配は無政府状態そのものだった。彼はだから、少しくらい圧制的な僭主政治でも、無政府状態よりはましだと思うようになったのだろう。

クロムウェルの時代にイギリスに内乱が起こったのは、権力が国王、貴族、平民の間に分割されていたからだ、権力は分割されるべきではなく、主権者の一身に集中されなければならぬ。こう考える点で、ホッブスはロックやモンテスキューとは違った思想を抱いていた。

人民は自分の自由な意志に基づくとはいえ、いったん権力を主権者に手渡した上は、主権者の命令には無条件に従わねばならない。それは、主権者の利害と人民の利害とは必ず一致するという、暗黙の前提があって始めていえたことだろう。

しかし、主権者は常に正しいことのみをなすとは限らない。馬鹿げた命令でも常に従えということになれば、どんな圧制でもまかりとおることになる。だからホッブスは、そこに一つの例外を認める。それは人間の自己保存はあらゆるものに優先するという考えだ。

人間には人間として生きていくうえで譲れない最低の条件がある。それは自己保存をする上での安全な生き方の保証である。何人もこれを侵害することはできない。

人民には、主権者が自分たちの安全を脅かすような場合には、それに抵抗する権利がある。なぜなら人民が国家を作り出したのは、そもそも自分たちの安全を確保するのが目的だったのだから。

これは基本的人権と抵抗権の思想につながる考えだ。ホッブスがこの考えを述べる時には、申し訳程度に聞こえるのであるが、その後の政治思想家たちによって改めて取り上げられ、近代政治学にとっての核心的な思想へと発展していく。

ホッブスが「リヴァイアサン」を出版したのは1651年である。そのとき彼は、クロムウェルから逃れてフランスに亡命していた。ところがこの書物は、誰にも喜ばれなかったばかりか、フランス政府を怒らせもした。無神論とカトリック攻撃がその理由である。そこでホッブスはフランスを逃げ出し、イギリスに戻ってクロムウェルに屈服せざるを得なくなった。

彼が生きた時代には、政治的な発言は命がけだったのである。


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