嘲魯儒:李白

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李白の五言古詩「魯儒を嘲る」(壺齋散人注)

  魯叟談五經  魯叟 五經を談じ
  白髮死章句  白髮 章句に死す
  問以經濟策  問ふに經濟の策を以てすれば
  茫如墜煙霧  茫として煙霧に墜つるが如し
  足著遠遊履  足には遠遊の履を著き
  首戴方山巾  首には方山の巾を戴く
  緩歩從直道  緩歩して直道に從ひ
  未行先起塵  未だ行かざるに先づ塵を起こす
  秦家丞相府  秦家の丞相府
  不重褒衣人  褒衣の人を重んぜず
  君非叔孫通  君は叔孫通に非ず
  與我本殊倫  我と本(もと)倫を殊にす
  時事且未達  時事すら且つ未だ達せず
  歸耕汶水濱  歸耕せよ汶水の濱に

魯の儒者は五經を談じ、白髪になるまで章句の解釈に身を減らして死んでいく、ところが現世の経済について尋ねると、そのいうところは曖昧で煙にまかれるようだ

足には遠遊のための頑丈な靴を履き、頭には角ばった冠をかぶっている、おごそかに大通りを歩き、まだ進まないうちから埃をたてる始末だ

秦の時代の政府では、儒者を重んじなかった、その頃の大儒者叔孫通ほどにもあなた方は達しておらず、またこの私とも別種の人だ、今の世のことにも通じていないのだから、汶水のほとりで田を耕すほうがよい


魯は孔子の生まれたところだけあって、李白の時代でも儒教が盛んだったようだ、李白はそんな彼らの生き様をこの詩のなかでからかっている。

章句の末節にこだわり、現実のことに疎い、服装はいかめしく威儀堂々と振舞うが、道を歩いては塵埃をふりまくだけ、有用のことには全く無縁だ、だからつまらぬ議論に現を抜かしていないで、田でも耕したほうがよいと、李白のいうところは痛切である


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