登金陵鳳凰臺:李白

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李白の七言律詩「金陵の鳳凰臺に登る」(壺齋散人注)

  鳳凰臺上鳳凰遊  鳳凰臺上 鳳凰遊ぶ
  鳳去臺空江自流  鳳去り臺空しくして江自づから流る
  呉宮花草埋幽徑  呉宮の花草は幽徑に埋もれ
  晉代衣冠成古丘  晉代の衣冠は古丘と成る
  三山半落青天外  三山半ば落つ青天の外
  二水中分白鷺洲  二水中分す白鷺洲
  總爲浮雲能蔽日  總て浮雲の能く日を蔽ふが爲に
  長安不見使人愁  長安見えず 人をして愁へしむ

昔この鳳凰台には鳳凰が遊んでいたというが、今は空しく飛び去って長江が変わらずに流れるのみだ、呉の宮殿を彩った草花は幽徑に埋もれ、晉代にときめいていた人々も古丘の土となった

かなたにかすむ三つの山は晴天の外へと消え行き、長江の流れは白鷺洲にさえぎられて二つに分かれる、空には浮雲が日の光を覆い隠し、ために長安を望むことができずに人を悲しませるのだ


李白は魯で再婚し子どもも設けたようだが、長く定着することなく再び放浪を始め、47歳の頃には金陵を訪ねている。そしてここを拠点に呉越の各地を遊覧した。

金陵は南京の古称。三国時代の呉が都を置いて以来、六朝がそれぞれ都とした。その頃は建業、あるいは建康と呼ばれていた。唐の時代には地方都市に過ぎなくなっていたが、それでも繁華を極めていたようである。

鳳凰臺は城郭南の小高い丘の上にあり、そこからは長江の流れが一望できた。その長江に白鷺洲という中洲があって、川の流れを二つに分けていた。李白のこの詩は、金陵城を地理的に説明しながら、歴史の流れにも思いを馳せ、重層的な感じを引き起こさせる。


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