安曇野から北アルプスの峰々を望むと、視界の中央には常念岳がどっしりと構えて見える。安曇野でスケッチする人たちには馴染みの光景であり、山男たちにとっては格好の標的となってきた山だ。
筆者も若い頃はよく山に登った。なかでも北アルプスと八ヶ岳へは繰り返し登った。そんななかで、信濃有明口から常念岳にとりつき、そこから奥穂を経て前穂に至り、上高地に抜けた縦走の思い出は、いまでも昨日のことのように甦ってくる。
あの頃はまだ20台半ばの若さで、体力が満ち溢れていた。東京から夜行列車に乗って早朝信濃有明駅に至り、休むまもなく歩き出してその日のうちに常念岳の頂上に登った。次の日は夜明けとともに起きて、爽快な空気を吸いながら尾根道を歩き続けて奥穂を目指した。道中若い女性の二人連れと仲良くなり、彼女らに昼飯をご馳走になったりした。いまから思えば、かすかなヴェールにつつまれた甘い夢のようだ。
いまこうして、安曇野でスケッチブックを広げて、その常念岳を描いている。山は他を圧してそびえ、頂上を始め稜線には雪の名残が輝いている。今はまだ初夏だ。山が最も美しい時期だ。山中にはおそらく、可憐な花が咲き広がっているに違いない。
それにしても、こうして下界から眺めあげる常念岳は、凛として聳え立ち、容易に人を寄せ付けないようにも見える。若かったとはいえ、よくあんなところまで登ったものだと、山容をスケッチしながら、老いの身に言い聞かせる。
できたらもう一度登りたい。だがおそらく、体がいうことを聞いてくれないだろう。
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