山吹:花の水彩画

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山吹:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)

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山吹は日本の野辺に自生する花で、万葉の時代から、春の花の代表的なものとして愛されてきた。その山吹を歌った万葉の歌を、ここにまとめて取り上げてみる。

  山吹の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく(0158)
  かはづ鳴く神奈備川に影見えて今か咲くらむ山吹の花(1435)
  山吹の咲きたる野辺のつほすみれこの春の雨に盛りなりけり(1444)
  花咲きて実はならねども長き日に思ほゆるかも山吹の花(1860)
  かくしあらば何か植ゑけむ山吹のやむ時もなく恋ふらく思へば(1907)
  山吹のにほへる妹がはねず色の赤裳の姿夢に見えつつ(2786)
  鴬の来鳴く山吹うたがたも君が手触れず花散らめやも(3968)
  山吹は日に日に咲きぬうるはしと我が思ふ君はしくしく思ほゆ(3974)
  山吹の花取り持ちてつれもなく離れにし妹を偲ひつるかも(4184)
  山吹を宿に植ゑては見るごとに思ひはやまず恋こそまされ(4186)
  妹に似る草と見しより我が標し野辺の山吹誰れか手折りし(4197)
  山吹は撫でつつ生ほさむありつつも君来ましつつかざしたりけり(4302)
  我が背子が宿の山吹咲きてあらばやまず通はむいや年の端に(4303)
  山吹の花のさかりにかくの如君を見まくは千年にもがも(4304)

これらの歌をひとつづつ読んでいくと、この花にこめた古代の日本人たちの心模様が、なんとなく伝わってくるような気になる

山吹といえば、大田道灌にまつわる伝説も見逃せない。道灌は山里で雨にあい、偶然出会った娘に蓑を所望するのだが、娘は蓑のかわりに折から咲いていた山吹の花を差し出し、こう歌ったのだった。

  七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき

「実の」に「蓑」をかけ、蓑ひとつ用立てられない貧しさを歌ったものだと、解釈されている。道灌は為政者だったから、人々の生活に責任ある立場だったのに、それをわきまえずに、怒ったという話も伝わっている。

山吹を歌ったものとしては、筆者は正岡子規の歌の連作も忘れられない。晩年の病床の中で詠んだものだ。

  裏口の木戸のかたへの竹垣にたばねられたる山吹の花
  小縄もてたばねあげられ諸枝の垂れがてにする山吹の花
  水汲みに往来の袖の打ち触れて散り始めたる山吹の花
  まをとめの猶わらはにて植ゑしよりいく年へたる山吹の花
  歌の会開かんと思ふ日も過ぎて散りがたになる山吹の花
  我が庵をめぐらす垣根隈もおちず咲かせ見まくの山吹の花
  あき人も文くばり人に往きちがふ裏戸のわきの山吹の花
  春の日の雨しき降ればガラス戸の曇りて見えぬ山吹の花
  ガラス戸の曇り払へばあきらかに寝ながら見ゆる山吹の花
  春雨のけならべ降れば葉がくれに黄色乏しき山吹の花





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このページは、が2009年6月15日 18:35に書いたブログ記事です。

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