現代日本語には臭覚を表す言葉として、「におう」と「かおる」があり、その名詞形として「におい」と「かおり」がある。「におい」のほうは良い匂いにも悪い臭いにも用いられるのに対し、「かおり」のほうは、もっぱらよい匂いについてのみ用いられる。こんなところから、「におい」より「かおり」のほうが上品な表現だと受け止める人が多いのではないか。
「におう」はもともと「にほふ」と書いた。名詞形は「にほひ」である。言語学者の堀井令以知氏によれば、この言葉は本来臭覚ではなく、色彩感覚を表す言葉だったという。「に」は赤いという意味で、赤く塗ったものを「丹塗り」といったりする。「ほ」は際立つとか、表に出るといった意味である。したがって「にほふ」とは赤く輝くような色合いといった意味で用いられた。
「紫ににほへる妹」とか「紅にほふ」という表現があるが、これは色彩感覚を表していると解釈すれば腑に落ちる。
この「にほふ」が転じて、臭覚を表すようになった。当初はよい香りが漂うさまをさして用いられていたようで、現代語の香りと同様、もっぱら良い意味合いでのみ用いられていた。それが悪臭にも用いられるようになったのは、言葉の変遷による。
一方「かおる」のほうは「かをる」と書いた。これも堀井氏によれば、臭覚を表すのが原義ではないというが、筆者などは違う風に考えている。「か」は花などからただよう良い匂いのことで、この意味では太古から用いられている。「をる」は存在するとか、あるとかいう意味である。だから「かをる」はよい匂いがそこら一帯に漂っているという事態をさした。それが「かをり」という風に名詞にもなった。単に「か」ですむものを、「かをる」を媒介してもうひとつ新しい言葉が生まれたわけだろう。
「か」はまた「かぐわしい」のような言葉を派生させる一方、匂いを「かぐ」のような臭覚にかかわる動詞をも生んだ。
「におい」と「かおり」と、この二つの言葉は、かなり古くから使われており、日本語の中では息の長い言葉である。それでも言葉というものは長く使われているうちに手垢がついて、微妙な意味のずれを生じさせるものだ。現代人にとって「におい」のほうがややマイナスのニュアンスが強いのは、この手垢のせいだろう。
ところで近年面白い現象が生じた。「かおり」を「かほり」と標記する仕方が広がったのだ。一時期はやった「シクラメンのかほり」という歌が火付け役だったが、いつの間にか社会のなかに定着した。ことばの成り立ちからすれば無論、誤った使い方だが、「ほ」という音が日本人の耳に心地よいのか、誤りに目くじらを立てる人はいない。
かくしていまでは、生まれてきた女の赤ちゃんに「かほり」とか「かほる」とか名づける親もいる。
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