2009年8月アーカイブ

筆者には日ごろ懇意にしている人々が何人かいて、学術、文芸、趣味など、テーマにしたがって、それぞれ一家言をもった人たちと語り合える幸運をもてるばかりか、時には杯を傾けながら、肝胆相照らす喜びを感じてもいる。

ビートルズの曲から「レット・イット・ビー」Let it be(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  困ったときにはいつでも マリア様が現れて
  知恵の言葉をささやく レット・イット・ビー
  つらいときにはかならず ぼくの前に立って
  知恵の言葉をささやく レット・イット・ビー

ビートルズの曲から「オクトパス・ガーデン」Octopus's Garden(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  海の底は 快適だよ
  岩陰のオクトパス・ガーデン
  タコがとても親切なんだ
  岩陰のオクトパス・ガーデン

そば粉の原料になるそばの実は、もともと「そば麦」といったそうだ。今でも漢字では蕎麦と書くところにその余韻が感ぜられる。

フランス民謡から「大事なタバコ」J'ai du bon tabac(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  タバコの箱にはタバコがいっぱい
  大事なタバコだからあげないよ
  とてもいい匂いのかぎタバコ
  でも君の鼻には吸わせないよ
  タバコの箱にはタバコがいっぱい
  大事なタバコだからあげないよ

フランス民謡から「小さなお船」Il était un petit navire(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  小さなお船
  かわいいお船
  これまでいちども航海を
  したことがない ない ないのよ
  オエ オエ

畫鷹:杜甫

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杜甫の五言律詩「畫鷹」(壺齋散人注)
  
  素練風霜起  素練 風霜起る
  蒼鷹畫作殊  蒼鷹 畫作殊なり 
  竦身思狡兔  身を竦(そばだ)てて狡兔を思ひ
  側目似愁胡  目を側てて愁胡に似たり
  絛鏇光堪摘  絛鏇 光摘むに堪へたり
  軒楹勢可呼  軒楹 勢ひ呼ぶべし
  何當擊凡鳥  何(いつ)か當(まさ)に凡鳥を擊ちて
  毛血洒平蕪  毛血 平蕪に洒(そそ)ぐべき

杜甫の五言律詩「房兵曹が胡馬の詩」(壺齋散人注)
  
  胡馬大宛名  胡馬 大宛の名あり
  鋒棱瘦骨成  鋒棱 瘦骨成る
  竹批雙耳峻  竹批(う)ちて雙耳峻しく
  風入四蹄輕  風入りて四蹄輕し
  所向無空闊  向ふ所空闊を無にし
  真堪托死生  真に死生を托するに堪へたり
  驍騰有如此  驍騰 此くの如き有り
  万里可橫行  万里 橫行すべし

リチャード二世の前に立ちはだかり、彼の王位を簒奪するものはボリングブルック、後のヘンリー四世である。リチャードはボリングブルックの父親ゴーントの財産を没収し、それを財力にしてアイルランドに遠征するが、その最中にボリングブルックがイングランドに舞い戻り、反逆に向けて準備を始める。

シェイクスピアの劇には、脇役的な人物がふと漏らす言葉に、劇全体の雰囲気を凝縮したような重い言葉が散りばめられている。祝祭的な喜劇においては、それは主に道化によって発せられるのであるが、リチャード二世には道化は出てこない。そのかわりを、二三の脇役が努めるのだ。

NHKの世界遺産特集番組が、ジャワ島中部のボロブドゥール寺院遺跡を紹介していたのを、懐かしい思いで見た。というのも筆者は、平成四年の夏に業務出張でインドネシアを訪れた際、この遺跡を見たことがあったからだ。

ネズミを食うという巨大な食虫植物が見つかったそうだ。植物学者のスチュアート・マクファーソン Stewart McPherson 氏が、フィリピンのヴィクトリア山頂上付近で発見したもので、ウツボカズラの仲間である。高さが120センチもあり、葉がピッチャー状になった袋の中には、濃厚なネクターがたたえられていたそうだ。虫やネズミがこの袋の中に誤って落ちると、そのネクターの中に含まれている酵素と酸が働き、獲物を消化吸収する仕組みだ。

うその効用

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人間とは何者か、さまざまな定義があるが、「うそをつく動物」というのもありうるだろう。チンパンジーやカラスなど、利口な動物には相手をあざむく行動も認められるが、人間ほど頻繁にうそをつき、他人をだましている動物は他にない。これは人間が言語を操る動物だということにも、一因がある。

ビートルズの曲から「サムシング」Something(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  何かしらあの子の物腰に
  ぼくはとてもひかれるんだ
  何かしらあの子の甘えぶりが
  ぼくをとりこにするんだ
  それは本物の感じさ

ビートルズの曲から「カム・トゥゲザー」Come Together(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  麦わら帽子で 足取りでれでれ
  目玉はしょぼしょぼ ロックンローラー
  髪を膝まで垂らして
  何でも思い通りにやり放題

「とんでもございません」とは良く使われるいい方だ。かくいう筆者も使ったことがある。あることがらを強く否定するときに用いられる。たとえば「あなた、わたしを馬鹿にしてるんですか」と気色ばった相手に対して、「とんでもございません」という風に。

あの人は視野が狭いとか、逆に視野が広くて周りがよく見えてるとか、そんな言い方がよくされる。視野が狭いというのは、どちらかというと否定的な感じで、人間としての幅の狭さや思慮の浅さに通じるイメージを伴っている。だがよくよく考えてみると、視野が狭いことは、悪いことだらけでもなさそうだ。

フランス民謡から「いたちが走る」Il court, il court, le furet(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  いたちが走る
  森のいたちが
  いたちが走る
  森の中を

フランス民謡から「朝の鐘を鳴らしなさい」Frère Jacques(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  寝ぼすけの ジャック坊や
  朝ですよ 起きなさい
  朝の鐘を
  鳴らしなさい
  カランコロンコロン
  カランコロンコロン

天才作曲家モーツァルトの死因については、これまで謎が多いとされ、さまざまな憶測がなされてきた。なにしろ35歳の若さで突然死んでしまったわけだから、無理もない。誰かに毒を盛られたのだろうとか、半生の豚肉を食って寄生虫にやられたのだろうとか、風説によりかかっただけの、根拠のあまり確かでない憶測が、飛び交ってきた。

杜甫の七言律詩「兗州の城樓に登る」(壺齋散人注)

  東郡趨庭日  東郡 庭に趨する日
  南樓縱目初  南樓 目を縱にする初め
  浮雲連海岱  浮雲 海岱に連なり
  平野入青徐  平野 青徐に入る
  孤嶂秦碑在  孤嶂 秦碑在り
  荒城魯殿余  荒城 魯殿余す
  從來多古意  從來 古意多し
  臨眺獨躊躇  臨眺して獨り躊躇す

杜甫の詩で今日に伝わるものは1400首余りに上る。だがそれらのうち30歳以前のものは数えるくらいしかない。大部分は40歳台半ば歳以降に書かれたものだ。だからといって、杜甫が若年の頃に詩を作らなかったとはいえない。晩年にいたって自分の詩を整理した際に、未熟のものを残さなかったからだというのが、通説である。

リチャード二世は、リチャード三世と同じく、王権の簒奪をテーマにした劇である。しかし両者のスペクトルは正反対だ。リチャード三世は簒奪する側に焦点を当てているのに対して、リチャード二世は簒奪される側に焦点をあてている。この劇は一人の王が挑戦者によって王冠を奪われ、没落していくことの、歴史的必然性を描いた残酷な劇なのである。

シェイクスピアの王権劇においては、王権の簒奪者が安らかに死ぬことはない。あらたに王権を狙うものがライバルとして登場し、民衆の支持を集めながら彼に敵対し、やがては彼を滅ぼす。そうして新しい簒奪者が王権を手にする。しかしその新しい簒奪者も、やがては別の簒奪者によって王位を追われる。シェイクスピアにとって歴史とは、簒奪者の交代を意味しているのである。

ビッグ・バン理論は、今日の科学者たちにとって、宇宙解釈のパラダイムとなっている。

隅田公園といえば東京の桜の名所、隅田川を挟んだ両岸に桜の並木が連なり、春ごとに桜花爛漫とした光景を繰り広げる。夏には蝉の声も聞かれるが、墨田区側と台東区側ではいささか様相を異にするという。台東区側では油蝉やミンミンゼミなど四種類の蝉が生息しているのに、墨田区側には油蝉しかいないというのだ。

ビートルズの曲から「日が昇る」Here Comes The Sun(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  日が昇る 日が昇る
  昇るよ

ビートルズ The Beatles の曲から「オールド・ブラウン・シュー」Old Brown Shoe(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  真の愛が欲しいんだ
  真は偽の反面だけど
  ショートヘアの子がいいんだ
  時には長く伸ばしてもいいけど

古語が現代語へと変化する過程で、二段活用の動詞は一段活用になった。たとえば「老ゆ」が「老いる」へと変化する類であるが、それは二段活用動詞の連用形に「る」がくっついた結果だった。だから現代語の一段活用動詞はみな、語尾が「る」で終わる。

フランス民謡から「ファンファン・チューリップ」Fanfan la Tulipe(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  お父さんたちがみんな
  しているように
  ぼくのパパも
  ある日ぼくを
  階段の下につれてって
  ぼくをみながらこういったんだ
  なあ おまえ
  うちにある
  金をみな
  お前にやるから
  さあいけ

フランス民謡「ロレーヌを通りがかった」En passant par la Lorraine(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  ロレーヌを通りがかった
  木靴を履いて
  ロレーヌを通りがかった
  木靴を履いて
  男たちに出会った
  木靴を履いて
  あらまあ 
  木靴を履いて

杜甫が自分の少年時代を回想した詩をもうひとつ取り上げる。上元二年(761)成都にあったときの作「百憂集行」。この頃の杜甫は、生涯でもっとも穏やかな生活を送っていた。そんなひと時に、往昔を回想しつつ、今の自分の境遇を自嘲的に描いたのが、この作品だ。

杜甫の少年時代から青年時代にかけてのことは、あまりよくわかっていない。文人としては名をとどめたが、生涯無官あるいは低官に甘んじたために、公的な記録もなく、自身も詳しい記述を残さなかったためだ。

日本ではあまり聞かない話だが、欧米では歯科の局所麻酔があまり効を奏せず、したがって歯の治療を極端に嫌がる人々がいるそうだ。

シェイクスピアの王権劇においては、女たちは常に嘆き悲しみ、怒り狂っている。暴力が支配する世界にあって、愛するものを理不尽に奪われるのは、いつも女たちなのだ。

リチャード三世の中でもっとも印象深い場面のひとつに、リチャードがへイスティングの殺害を命ずるところがある。ヤン・コットはこの場面の前後を、シェイクスピア劇でももっとも優れた箇所として、入念に分析している。

先日例の豊穣たる熟女たちと乾杯した際、これを最後と思わずにまた合いましょうと語り合ったことについては、先稿で述べたとおりだ。思っていたより早く、それが実現した。秋葉原で会って、四人で飲みに行きましょうということになったのだ。

日本が対米開戦に突っ走ったプロセスについては、これまで詳細が明らかになっていなかった。第一級資料が公開されてこなかったこともあるが、そもそもそうした原資料の大部分が軍及び政府関係者の手によって消滅させられていたという事情もあったらしい。

今年も原爆記念の日が巡ってきた。毎年この日の前後には、核の問題についてのさまざまな議論が巻き起こるが、今年は例年とはやや違った空気が流れた。長崎市長が、アメリカ・オバマ大統領の核廃絶演説に応えて、世界中にオバマ大統領を支持するように呼びかけたことは、象徴的な出来事だった。先にファッション・デザイナーのイッセイ・ミヤケ氏がオバマ大統領に対して広島訪問を呼びかけたことに続いて、長崎への訪問も呼びかけた。

ビートルズの The Beatles 曲から「ジョンとヨーコのバラード」The Ballad Of John & Yoko(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  サザンプトンのドックに立ってるのは
  オランダかフランスへでも行くため
  マックの男がいう
  戻ってこいよって
  誰も二人っきりにしてくれないんだ

ビートルズ The Beatles の曲から「ドント・レット・ミー・ダウン」Don't Let Me Down(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  ドント・レット・ミー・ダウン がっかりさせるなよ
  ドント・レット・ミー・ダウン 落ち込んでしまうから

カラスが利口な生き物であることは、イソップ物語の作者も知っていたらしい。イソップ物語には、のどの渇いたカラスが水の入った瓶を見つけたが、くちばしが届かないので石を瓶に投げ込み、水面を上昇させて飲むという話が出てくる。ここから「必要は発明の母」という格言が生まれた。

いわゆる「ら抜き言葉」が流行るきっかけになったのは「食べる」という言葉だった、そういう旨のことを先稿で述べた。

フランス民謡から「聖しこの夜」Douce nuit, sainte nuit(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  静かに 更け行く
  夜空に 星が光り
  奇跡が起こります
  御子は眠る藁の上に
  永遠の愛につつまれ
  永遠の愛につつまれ

李白の雑言古詩「臨路歌」(壺齋散人注)

  大鵬飛兮振八裔   大鵬飛んで 八裔に振ひ
  中天摧兮力不濟   中天に摧けて 力濟(つづ)かず
  余風激兮萬世     余風は萬世に激するも
  游扶桑兮挂石袂   扶桑に游んで 石に袂を挂く
  後人得之傳此     後人之を得え此を傳ふるも
  仲尼亡兮誰為出涕  仲尼亡びて 誰か為に涕を出ださん

フランス民謡から「雨がふるよ 娘さん」Il pleut, il pleut bergère(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  雨がふるよ 娘さん
  羊たちを帰しなさい
  羊小屋に早く
  早く帰しなさい
  木の枝には雨が
  音を立てて降り注ぐ
  嵐が来たよ
  雷が光るよ

李白の七言絶句「族叔刑部侍郎曄及び中書賈舍人至に陪して洞庭に遊ぶ」(壺齋散人注)

  洞庭西望楚江分  洞庭 西に望めば楚江分る
  水盡南天不見雲  水盡きて 南天 雲を見ず
  日落長沙秋色遠  日は長沙に落ちて秋色遠し
  不知何處弔湘君  知らず 何れの處にか湘君を弔はん

クラレンスの死をリチャードから聞かされたエドワード王はびっくり仰天する。しかしリチャードがその犯人だとは露も疑わず、ただ自分が無力なために、このようなことが起こるのだと悩む。そんなエドワード王を、リチャードはひそかに殺すのだが、王の殺人場面は劇にはあらわれず、他の人の口をかりてほのめかすだけである。

来る八月八日、渋谷のイメージ・フォーラムで一本のドキュメンタリー映画が公開される。題して「花と兵隊」。終戦後日本に復員せず、そのままタイやビルマ(ミャンマー)に残った兵士、いわゆる未帰還兵六人に対するインタビューをそのまま映画にしたものだ。

リチャード三世の最初の殺人シーンは、リチャードの命を受けた二人の暗殺者たちがリチャードの兄クラレンスを襲う場面である。リチャードは自分が王位を狙うに当たって、エドワード王そのもののほか、王位継承権を持つ人々をことごとく殺してしまうのだが、まず次兄のクラレンスを殺すことによって、足がかりを築こうと考える。

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夏の風物詩花火が全国各地で催されている。筆者が住んでいる船橋の北の郊外では、昨夜(八月二日)中山競馬場で花火があげられ、その様子が筆者の家からもよく見えた。隅田川のようには派手ではないが、夕涼み気分を味わうには十分だ。縁側にロッキングチェアを持ち出し、それに腰を埋めながら見物としゃれ込んだ。写真はその折にとったものだ。

ビートルズ The Beatles の曲から「ゲットバック」Get Back(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  ジョジョはさびしがり屋だけど
  ついに出かけたんだ
  アリゾナの家を後にして
  カリフォルニアへと
  ゲットバック ゲットバック
  元のところに戻っておいでよ
  ゲットバック ゲットバック
  元のところに戻っておいでよ
  ゲットバック ジョー ゴーホーム
  ゲットバック ゲットバック
  戻っておいでよ
  ゲットバック ゲットバック
  戻っておいでよ
  ゲットバック ジョー

ビートルズ The Beatles の曲から「オブラディ オブラダ」Ob-La-Di, Ob-La-Da(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  デズモンドは市場に店を出す
  モリーは歌うたう
  デズモンドがモリーに言い寄ると
  モリーも答えて手を差し伸べた
  オブラディ オブラダ 素敵だな
  とっても素敵だな
  オブラディ オブラダ 素敵だな
  とっても素敵だな

白いハイビスカス:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)

flower061.hibiscus.jpg

ハイビスカスといえば、燃えるような赤い花という印象が強烈だが、このように白い花もある。目印は、如雨露から飛び出たように見える芯だ。

「へ」の話といっても、臭いをともなったあの「へ」のことではない。接尾詞としてほかの言葉にともなわれ、場所や位置についての観念をあらわす「へ」のことである。たとえば「みずべ=水辺」とか「いそべ=磯辺」という言葉の中にあらわれる「へ」である。



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