隅田公園の蝉

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隅田公園といえば東京の桜の名所、隅田川を挟んだ両岸に桜の並木が連なり、春ごとに桜花爛漫とした光景を繰り広げる。夏には蝉の声も聞かれるが、墨田区側と台東区側ではいささか様相を異にするという。台東区側では油蝉やミンミンゼミなど四種類の蝉が生息しているのに、墨田区側には油蝉しかいないというのだ。

このことを確認したのは、昆虫研究者の須田孫七さん。須田さんはこの現象を東京大空襲の後遺症ではないかと考えている。大空襲によって東京の下町は焦土と化したが、墨田公園一帯も甚大な害を蒙った。そのときに地中まで熱に焼かれたため、蝉の幼虫が根こそぎにされて、その影響が今日まで及んでいるのではないか、油蝉が生き残っているのは、なにか幸運な事情が働いたためではないか、と推測する。

筆者は蝉の生態については詳しくないが、蝉の行動半径が非常に狭いということは聞いたことがあるので、須田さんの推測にも一理あるような気がする。

アメリカの周期ゼミなどは、世代に渡って同じ場所に生息し続ける。だからその土地の環境が生息に適さなくなると、他の土地に移動することができずに、グループ全体が死滅する。それと同じような事情が、墨田公園の蝉にも働いたのかもしれない。

しかし台東区側にミンミンゼミがいるのに、墨田区側にいない理由はよくわからない。須田さんは、戦後蝉の死に絶えた墨田公園に、上野公園など付近の緑地から飛んできたものが、子孫を残したのではないかと考えている。しかしミンミンゼミは飛行距離が短いため、隅田川を渡って墨田区側に来ることができなかったのではないかというのである。

須田さんの考えには異論もあるようだ。東京にはもともとミンミンゼミはいなかったのであり、墨田区側はそうした東京の古い形を残しているだけだとする説などは、異論のなかでも興味深い。

筆者は広島や長崎の蝉の声は聞いたことがないが、そこでもやはり、蝉の種類は少ないのだろうか。原爆の熱は大空襲の熱量より大きかったと思われるから、須田さんの推測があたっていれば、墨田公園のケースと同じような異変が、広島・長崎の蝉にも訪れているはずだ。

(参考)朝日新聞2009年8月13日夕刊:セミの音に残る「戦禍」 隅田公園、なぜか一種類のみ






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誠に夏に相応しい、面白い話題ですね。戦禍が地中のセミにも及んだらしいと言うのは悲しい事です。蝉の幼虫は気が遠くなる程長い間地中にいると言いますから、日の目を見ないまま ”戦死”したのが沢山いたとは哀れそのもの。

昆虫学者の須田さんは ”蝉プロ”、壷斎さんは ”セミプロ”!?

さて、今朝はお茶があります。 茶杓の銘は 「蝉時雨」 にしましょうか。

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